さわ

関西人。 京都、沖縄、岐阜、横浜、インドなどに住んだのちに長野にいます。 解せない人生…

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関西人。 京都、沖縄、岐阜、横浜、インドなどに住んだのちに長野にいます。 解せない人生、そのうち解せるのかな?

マガジン

  • サイババ体験談

    私が21歳の時に南インドで経験した出来事について書き残してみました。

最近の記事

アガスティアの葉の代行を、インドに住んでいた頃から10数年している

私はアガスティアの葉の代行業者でもあります。 アガスティアの葉の代行を10数年前から行っています。正確に言うと2010年からかな。 商品ページ貼っておきます。 https://premasai-jyoti.shop-pro.jp/?pid=21031539 最近またちょっとしたアガスティアの葉ブームがきてる気配がありますが、代行業者としては私はまあまあ古参な方なのかなと思います。 自分自身が初めて葉を開けたのは25年くらい前かな。 その時私は人生が行き詰まってたって言う

    • ビジネスコンサルで提出したプロフィール

      プロフィール 松岡佐和 株式会社プレマサイジョーティー代表 1974年西宮市生まれ 邦楽(箏・尺八)を教える両親の元に5人姉弟の長女として生まれる。 極度に無口な幼少期には毎日3〜6冊の本を読み、妖怪を見たりしていた。 中学生で体外離脱が日常化するようになる頃からは意識的に話し始めて一般的な人間でいようと努力する。 しかし高校では毎日2〜3時間目に登校。 自責の念から鬱になるが、土曜の最終授業の終了5分前に登校した瞬間にクラスで爆笑が起こり、自分も楽しくなって鬱が寛解す

      • +13

        プロフィール写真

        • 今見てることが終わるということ

          エメラルダ(松岡佐和) ※これは田口ランディさんのクリエイティブライティングの講座の課題として提出したものです 大群衆が集まったホールの空間が歪み、きらびやかな天上音楽の音程が不気味に下がり、世界が彩度を失って遠ざかる。 見ている世界が途端に過去の記憶の呼び戻しのようにあやふやで、現実味を失い、それが私を切なくさせる。 これは今目の前で起こっていることなのに。 私は南インドでサリー姿のインド人の婦人たちと強く密着し、滑らかな黒い石でできた床の上に膝を抱えて座っていた

        アガスティアの葉の代行を、インドに住んでいた頃から10数年している

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        • サイババ体験談
          13本

        記事

          「サイババの呪いか祝福か」

          (※これは2021年に書いていた記事ですが、手直しをして、下書きフォルダー保存から公開設定に変更しました) 「サイババの呪いか祝福か」 5歳になった2番目の息子の名前はサイくんです。 20数年前にテレビで何度か特集が組まれ、関連書籍もベストセラーになり日本でもブームになった南インドの聖者サイババの町で彼は生まれました。 名付けるまでもなく、息子の名前はサイババにあやかってサイくんとなりました。 もちろん、日本に拠点があり日本人である私ですから、気づいたらなぜかイ

          「サイババの呪いか祝福か」

          飛行機に乗り遅れた夢

          (記録のためにおいておきます) 私の夢物語 「飛行機に乗り遅れた」  松岡佐和 飛行機に乗り遅れる夢を見た。 スリランカ経由で日本に帰る便だった。 私はたくさんの荷物を持っていて、機内に持ち込むものは大きな茶色い紙袋に入れてあり、その中には畿内で読もうと自分で入れたらしい、漫画「王家の紋章」全巻が入っていて、重かった。 漫画は中古で紙は薄茶色に変色していた。 私は「これ、面白いのかな」と少し疑問に思い、何か別の、活字の本を何冊か持っておいた方がいいのではないかなと感じ

          飛行機に乗り遅れた夢

          夢「食い逃げを捕まえた」

          (記録のためにおいておきます) 私の夢物語 「食い逃げを捕まえた」  松岡佐和 私はいろいろな種類のものを扱うコンビニか何かのお店で仕事をする店員でした。 外は暗く、遠くまで見通せない夜でした。 そこに3人組の若い女性がやって来て、 店の外で注文したいと言ってきました。 会計はレジでお願いしますと私は言ったんだけど、 ちょっと理由があってと言われ、しょうがないから私はメモを持ってきて店の外に出て行き、彼女たちの欲しいものを店の外の半分闇の中で聞き書きして注文を受け

          夢「食い逃げを捕まえた」

          マハーラヤアンマーワーサイプージャ(スペシャルな先祖供養)

          ちょっと宣伝。 私がしてるインド占星術関連オンラインショップの スペシャルプログラムのお知らせです。 数日後の10月6日にスペシャルな供養のプージャを実施いたします。 (マハーラヤアンマーワーサイプージャ) 先祖供養、亡くなった方の供養、過去生での親族とのカルマ解消に有効です。 場所は南インドタミルナドゥ州に流れる神聖な川、カーヴェリー川のほとりのアグニーシュワラテンプルです。 今回供養のプージャを行うアグニーシュワラテンプルは金星のお寺だそうです。 そしてここでは金星

          マハーラヤアンマーワーサイプージャ(スペシャルな先祖供養)

          サイババ体験談 あとがき

          ある日プッタパルティでサイババのオフィシャルな組織の役員から 「ババの85歳の誕生日の記念に出版する体験談集に、インパクトのある体験談が欲しいので」 という趣旨で手記を頼まれたので、ビザの都合でタイで約1ヶ月間待機している間に体験談を書いてメールで送りました。 しばらくして、知らない間にその本が出てたので日本から送ってもらって、楽しみに読んだら没になってました。笑 出版された本を読んだ感想としては、私の体験談は、読んでも生活を悔い改めたりするような、いわゆるためになる

          サイババ体験談 あとがき

          サイババ体験談⑫

          私は沖縄での暮らしの後、意識の降下とでもいうのでしょうか、本能的に実際の周囲のものや自意識を形成することがらとのつながりをどんどん切っていって、 余分なものをすべて取り払ったあとに残るであろう個人の私の核のようなものを見出そうとしていました。 それはいったんすべてを捨て去る作業でした。 手探りですから何も守らないように、保持しないようにという思いで、たとえ人に痛めつけられることでもそのプロセスを進めるものとして本能的に歓迎し、のちに自分で自分を痛めつけることすらしました。

          サイババ体験談⑫

          サイババ体験談⑪

          ところが、いくつかのことはインドに行く前とは決定的に違ってしまっていました。 まず、自分の中に屈託が生まれました。 世界がすべて自分の中にある幻想であり、信用に値するものではなかったという体験の記憶を持ったままこの現象世界の中に戻ってきたので、 ではいったいこの世界の中で個人としてのわたしは何をよすがに生きていけばいいのかということが分からず、 虚無感と居心地の悪さと、それをこの世界の誰とも根本的なところで分かち合うことのできない哀しさがありました。 インドに行く前の

          サイババ体験談⑪

          サイババ体験談⑩

          次に目が覚めて気がついたとき、機内はうっすらと明るくなっていました。 夜明けでした。 そして意識を取り戻すと同時に、私は自分のすべての感覚の日常感覚に戻っていることに気がつきました。 それこそまったく信じられない、奇跡が起こったとしか私には思えませんでした。 私の周囲のあらゆるものが、私とは別個のものとしてそれぞれのいとおしい独自の存在感を取り戻していました。 わたしはもう絶望的な孤独の中にはいませんでした。 多くの、私とは別のものに囲まれていました。 私はうれしく

          サイババ体験談⑩

          サイババ体験談⑨

          私はインドに来るまでの日常生活の中で、エゴをなくし、宇宙意識の導きによって人生をなめらかに流れてゆくことを心がけていました。 そしてそれは完成した、と感じ、あとは寿命が尽きるまで楽しく幸せに生きるだけだ、もう何があっても大丈夫、と思っていました。 ところが初めてのインドの地で個人としての自分がパチンとはじけてしまい、この宇宙意識そのものに自分自身がなってしまいました。 それは当然といえば当然の結果なのかもしれませんが、 この瞬間、「今、終わりにしてもいいよ」と、人生が前

          サイババ体験談⑨

          サイババ体験談⑧

          何もすることがなくなっても私は相変わらず超絶的な状態のままで、それはゆるぎそうになくて、いよいよ、困ったなあ、と思いました。 それまでの21年間の人生においては私は「宇宙意識」と中学生のころから呼んでいた、ある無形の意識に私のすべてをやらせていたので、自ら考えて何かをしなくてはいけない状況を避けることが出来ていました。 表面上は私が考えて行動したように見えることでも、私の内面においては宇宙意識がすべての原動力で、その力の流れる方へと、行くべき方向は自然に決まっていったので

          サイババ体験談⑧

          サイババ体験談⑦

          その頃、空港ロビーではまたちょっとした騒ぎが起こっていたと後で聞きました。 聞いたところによると、同じツアーの参加者の別の女性が錯乱して騒いだあと、空港のトイレに閉じこもったところを力づくで引っ張りだされたりしていたそうです。 私も「おかしくなった人」だったので、飛行機の機内ではその彼女とまとめて近くに座らされました。 飛行機の中では通路に挟まれた中央の席の、4つ並んだ左端に座らされました。 私の右には世話する係りの人が、その右には空港のトイレから連れ出された錯乱した女

          サイババ体験談⑦

          サイババ体験談⑥

          私がそのように突然パチンと切り替わった時、周囲の人々は心配して、気功のできる何人もが手をかざして気を送ってくれたりしました。 というのは、私はシビレてしまって、床に座り込んでほほえんでいたからです。 つまり、おかしな病気になってしまったと、みんな思ったのでした。 私も、周りの人たちに「ちょっと具合が悪くなって」などと言いました。 でも、至福で頭はパカっと開いていました。 みんなを心配させて、手をかざしてもらって(もちろん必要なかったのですが)ほほえむ私を見て、母は恥ずか

          サイババ体験談⑥