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ビジネスコンサルで提出したプロフィール

プロフィール

松岡佐和

株式会社プレマサイジョーティー代表

1974年西宮市生まれ
邦楽(箏・尺八)を教える両親の元に5人姉弟の長女として生まれる。
極度に無口な幼少期には毎日3〜6冊の本を読み、妖怪を見たりしていた。
中学生で体外離脱が日常化するようになる頃からは意識的に話し始めて一般的な人間でいようと努力する。
しかし高校では毎日2〜3時間目に登校。
自責の念から鬱になるが、土曜の最終授業の終了5分前に登校した瞬間にクラスで爆笑が起こり、自分も楽しくなって鬱が寛解する。
勉強もあまりせず成績は並だったが実技も学科も試験直前に見たものが出題され、美術専攻で京都教育大学小学校教員養成課程に入学
入学を機に家を出て、京都の学生寮に住んで絵を描きながら遊び暮らす。

1995年1月に阪神淡路大震災が起こり、18歳まで生まれ育った西宮の夙川の実家周辺がM7により壊滅状態になる。その光景にそれなりにショックは受けるが、家族は霊感の強い母のビジョンの導きでその1年前に山の方に引っ越していたので全員無事だった。
その頃両親はサイババの活動に熱心になっていて、神戸で炊き出しなどをしていたがしばらくしてさらに災害に強い兵庫の山奥に引っ越す

気楽な女子大生として遊び暮らしていた1995年7月
大学生の4年生の時に母の付き添いで南インドの聖者サイババに会いに行くツアーに参加。
ツアー終盤に突然覚醒体験が起こりびっくり仰天する。
見たいものが見れ行きたいところに行ける時空を超えた全知全能のような状態になり、しばらく面白がっていろいろ試していたがそのうち飽きてやることが尽きる。

意識体で目の前に現れたサイババに「あなたはもうこの人生でやることは残ってないから、今人生を終わりにしてもいいけど、どうする?」と聞かれ、
悩んだ末に元の世界に戻してくださいと頼み、元の状態に戻してもらう。
大学卒業後は京都で文化財の修復の会社で修行をしつつ、晩年は自分自身の超絶技巧の仏画師になるという人生プランを持っていたが覚醒体験により混乱して全て白紙になる。

覚醒体験で意識状態がその前と後では変わってしまったため、
大学卒業後はそれまでの昔の自分を知る人が一人もいないところに行こうと決め、
沖縄の西表島で当時ハマっていたダイビングのインストラクターになろうと思い、民宿で住み込んで働く。
西表で働くうちにインストラクターになる気が変わり、
日本最南端の有人島、波照間島に移動し、製糖工場で働きながらサンシンを習い、遊んで暮らす。

製糖工場でできた彼氏と北海道で働き、石垣島でキャンプをし、アジア各国をバックパックで旅行しているうちに彼氏のDVが激しくなり
2人で働きに行った三重で走って逃げ、派遣会社にかくまってもらって岐阜に移動し、身を隠しながら日系ブラジル人枠で工場で働く。

その頃から心霊体験が激しくなり精神疾患のような状態になって、日常生活を送るのが徐々に困難になる。
同時に自動書記のような形で絵がいくらでも描けるようになり、大量の絵を描く。

この頃サイババを再訪し、アガスティアの葉も見る。
それにより自分が陥っていた絶望と混乱の中に一筋の希望を見る。

アガスティアの葉の2度目のカルマ解消の巡礼中にモスリムの聖者と出会い、大いに助けられる。

心霊現象が激しくなりすぎて、日常生活を送るのを断念し、
実家に戻って半年間引きこもって内面を整えることに専念する。

半年後には内面も整い、自分の決めた引きこもり期間も終え、
その翌日インドで会っていた知り合いを訪れ、結婚することにする。

彼の援助を受け絵の個展やグループ展を月1ペースで開催。
兵庫での初個展が大手新聞3社の取材や神戸のタウン情報誌の取材なども受け、一定の評価を得る。
作品も徐々に売れ出す。

結婚直後にディラーだった夫が損失を出し自己破産。
2003年に第1子を横浜のアパートのユニットバス内で自力出産。

第1子が病弱だった上に引越し先の横浜でのワンオペ育児で気が狂いそうになり、
子供が7ヶ月の時にインドに連れて行ってサイババアシュラムに2人で2ヶ月半滞在する。

日本に戻り、沖縄の離島に移住しようとして子供を連れて家を探しに行く。
その頃ヴェーダチャンティングにもハマり、インド人留学生から熱心に学ぶ。

美術作品の制作とヴェーダチャンティングの両立が難しいと感じ、沖縄移住も難しく、
ヴェーダチャンティングの学習の方を取ることに決めて絵をすべて処分して離婚して子供とインドに引っ越す。

インドでヴェーダチャンティングの素晴らしい先生を見つけて完全集中して熱心に学ぶ。
同時にサイババに毎日会いに行き、子供はインドの地元の塾や学校に通わせて小学校受験の対策をする。

5〜6年そのように暮らすが高齢だったヴェーダの先生が体調不良で地元に帰り
私は習ったことを人に教えてはいたものの、自分の勉強に当てていた時間が必要なくなる。

人に頼まれての現地のインド占星術鑑定への付き添いの頻度が多くなり、
ボランティアで続けるには自分と子供の生活への犠牲が大きくなりすぎたために通訳料を設定する。
アフィリエイターの知人のサポートの申し出を受け、インド占星術のネットショップを開設する。

それまで書いていたインド日記の個人ブログの読者や検索から徐々に顧客がつき、順調にスタートする。
アフィリエイターの知人に自分のブログで紹介されると爆発的に顧客が増えて対処の仕方がわからずパニックになる。
仕事を処理しきれずに体調を崩しつつも仕事は順調だったが、
2011年に大震災が起き、それをきっかけに、
不安を解消するツールを持つ私たちの仕事の規模がさらに急拡大する。
原発事故なども起こり不安な情勢の中、
日本全体や世界全体の運命改善のための大規模な加持祈祷も開催するようになり、
多くの熱心な顧客に支えられるようになる。
2011年4月にサイババが亡くなりアシュラムの状況も不安定なものとなる。

連絡を断たれていた元夫が震災後のFXに失敗して態勢を立て直すために頼ってきてインドで合流し、親子3人で暮らす。
元夫が息子の保護者としてのビザで渡印した関係で息子の長期ビザが失効し、取り直す必要が出てきたが、
取り直しができずに息子だけ日本に取り残される。

元夫も元気になって日本の新しい彼女の元に去ったため
その後1〜2年ほど一人でインドで仕事や奉仕活動をしながら暮らす。

仕事は常に順調ではあったがプライベートが崩壊したため、疲れ果てて、
パスポートに切り替えのタイミングで日本に帰国する。

メンタルの立て直しのためにアカシックレコードの世界的権威のゲリー・ボーネルのスクールで学び、
立ち直って、ネットショップと同時にアカシックレコードのセッションも提供するようになる。

そういえば長野に住もうと思っていた、と思い出し、
なんとなく名前が気に入って、原村で賃貸を探しに行く前の日にゲリーのスクールでペアを組んだ相手が原村出身者だったのでそこに住むことを確信する。

預金残高は2万円だったが原村と隣の茅野市の境目の標高1400m地点の家具、寝具、電化製品、食料付きの別荘地の家を借りて住み始める。

インドでの顔見知りが転がり込んできたので再婚し、1年後にインドのサイババアシュラムの部屋で夫婦で自力出産、その1年後に離婚するが同居を続ける。
この頃、リコネクティブヒーリングのセッションの提供も始める。

離れて暮らしていた上の息子も高校進学を機に長野に来て同居に加わる。
しかし長野と長野の高校になじめず半年で休学。
2人の息子を連れてインドに滞在中にコロナ禍が始まり、5ヶ月滞在の予定が帰国困難に。
そのままコロナ禍の1年半をインドのアパートで3人でまったり過ごす。

インド占星術的に自分にとって良いタイミングで狙っていた2020年に法人化。
帰国できていなかったのでインドからリモートで法人化する。

上の息子が自分自身のアガスティアの葉を見たことに勇気付けられて高校に復学することを決める。
下の息子も小学校に入学のタイミングが迫っていたので割高な臨時便で帰国することにする。

その前に世界最大のお祭りである北インドのクムバメラに参加し、
全裸のサドゥーにまみれているうちに3人ともコロナ発症。
旅先のホテルで10日間寝込む。
当時インドではコロナの感染者数が爆発的に増えていた中、回復してほうほうの体で帰国。

2023年1月時点で会社は3期目
八ヶ岳(茅野市)と南インドのプッタパルティを行き来しながら家族4人で暮らしています。

現在好きで興味があることや学んでいること:歌・絵・陶芸・竹細工・弓道・インド占星術

提供していること:インド占星術関連サービス(鑑定・インドの寺での運命改善の加持祈祷の仲介・パワーアイテムや宝石販売)、アガスティアの葉の代行取得・カルマ解消代行、ヴェーダチャンティング指導、アカシックレコードセッション、リコネクティブヒーリングセッション

ネットショップのURLです
https://premasai-jyoti.shop-pro.jp

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