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澤村の自己紹介 "Connecting the dots" 中学生編 目には見えない大切なこと

中学受験では最初は大学附属を目指していたが、塾の先生から「勉強しなくなる」などと言われ軌道変更。最終的には浅野中学校を受けて見事に落ちた。当時の私は勉強は頑張るものというよりは、元々の能力で全て決まると勘違いしていた。ここで落としてもらったことで、「ああ、勉強というのはやらないと伸びないものなのだな」と初めて気づいた。体感したという言葉が適切かもしれない。そして縁あって当時日本で最も長い名前の横浜国立大学教育人間科学部附属横浜中学校(以下附中と表記)に合格し、入学することになる。


探究学習の先駆け

附中は国立大学の教育学部の附属ということで、研究授業が盛んだ。良く言えば最先端の教育を受けられる、悪く言えば教育の実験台にされるということだ。そのカリキュラムの一環として、週に一回"Time of Fuzoku Yokohama"(通称TOFY)という総合学習の時間があった。当時の内容としては、各教科の中から自分が好きなものを選び、その教科に関連することを1年かけて探究し、その成果を保護者や外部に向けて発表するというものだった。例えば1年生の頃、私は理科を選択し「大リーグボール養成ギプスは本当に可能か?」というテーマで1年間探究に取り組んだ。空想科学読本を読んだり、実際に材料を揃えて作ってみたりした。1年後、不可能という結論に至った。2年生は国語で「CMの言葉の選び方」、3年生は社会科で「フードプロジェクト」という、今でいうSDGsのようなプロジェクト学習に参加した。当時は学校が意図することは感じることなく取り組んでいたが、今振り返ると自分の興味関心が向くものを1年かけて探究するというのは、ものすごく価値のある教育だったと思う。自分の中にある興味関心が向く方向に進めるというのは、なかなかない環境だ。自分が教育現場に身を置くと痛切にそれを感じる。そしてこういう教育を受けてきたからこそ、今自分は教育を変えたいと願うようになっているのだと思う。

"Connecting the dot" ≒ 「人間万事塞翁が馬」

中学受験の結果は冒頭にも書いた通り。合格発表の時はもちろん落ち込んだが、それ以降は特に凹むことはなかった。当時の志望校にそこまでの執着がなかったのかもしれない。また一つ合格をもらえたことで、救われたのだとも思う。附中は当時は併設する高校がなく(今は光陵高校に何割か進学できるみたいだが)、高校に進学するためには受験をする必要があった。2年生ぐらいから私立高校受験に向けて準備を始め、3年生の夏休みは朝から塾の自習室に行き、授業も含め1日13時間ぐらい机に向かった。こんなことが自分にできるとは全く思っていなかった。その原動力は「もう二度とあんな思いはしたくない」、「あの高校のユニフォームを着て野球をしたい」という二つの強い思いだった。中学受験の時とは違いしっかりと量をこなした結果、第一志望の慶應義塾高校に合格することができた。もし中学受験で第一志望としていた学校に行けていたら、今の人生はなかったなとつくづく感じる。私は受け持つ学年の最後の授業で必ずスティーブ・ジョブズの"Stay Hungry, Stay Foolish"を扱うのだが、"Connecting the dots"を「人間万事塞翁が馬」と訳して伝えている。そして「人間万事塞翁が馬」の意味を伝えるために、このエピソードを紹介する。人生の初期にこのような失敗と成功の両方が経験できたことは最高の財産の一つだ。

英語が苦手だったおかげでメンターに出会う

中学に入り英語が教科に入ってきた。附中はアクティブに授業を進めるのが基本だったため、中1の私は文法を体系的に理解できず苦しんだ。今英語教員をしているのが信じられない中学1年生だった。そんな私を見かねて、母は通訳の先生がやっている近所の英語寺子屋のチラシを見せてきた。「話聞いてみる?」と言われたので、とりあえず「うん」と答えた。話を聞きに行き、先生の考えや話のテンポに納得し通うことを決めた。ここから私の運命は開かれていったのは間違いない。
先生は机を挟んでマンツーマンで90分授業を行う形式を取っている。先生は全国通訳案内士として観光に来た外国人に通訳をしたり、語学学校で教鞭を取ることもあった。また通訳でありながらヨガの達人で、インドのシヴァナンダアシュラムで修行し、珍しい免許を持っている方でもあった。当然教科書を暗唱したり文法の問題を解説はするのだが、それ以上に哲学や人間の本質、また社会の仕組みや裏側といった教養について対話することが多かった。むしろその時間が大部分を占めていた。おかげで英語は得意となり、高校受験の結果にも直結した。ただそれ以上に大切な人間の奥底の部分を形成していただいたと思っている。今、教育機関で働いていると、「このシステムでは学びは面白くならないのでは」と感じることがある。それは教育と社会と人間個人が全く繋がっていないからだ。繋がっていないと学びは自分ごとにならない。自分ごとになれば全てのことが学びになる。
先生はよく「本当に素晴らしいものは目には見えない、そして本当に恐ろしいものも目には見えない」と言っていた。我々が日々自分の見たいものしか見えていないせいか、目に見えないことは意外なほど多い。先生の元へはこの後20年近く通うことになる。


自分の教育観はまた改めてしっかりと言語化したい。
やはり人生は"Connecting the dots"であり、「人間万事塞翁が馬」だ。ただTOFYのように自分の興味や関心、直感が反応した行動でなければ、それが後々繋がっていかないと私は信じている。そういう目には見えないご縁に深く感謝する。人生はやはり何と出会うか、誰と出会うかである程度決まってしまう部分がある。今の自分は、授業では「英文を読んでその背景知識について考える」ことを、部活の組織作りでは「野球を通して社会を生き抜く資質を身につける」ことを大切にしている。今取り組んでいるものから何か普遍性を見出すことが、自分の生き甲斐なのかもしれない。この後高校へ進学し、新たな環境でまた人間として彫刻されていくことになる。これまでになく劣等感を感じた時代でもあるが、じっくりと振り返りたい。


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