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アジア競技会2018を終えて

アジア大会を終えて帰国した。予選ラウンドを4戦全勝で1位追加。ベスト4で中国に1点差で敗戦。その後の3位決定でタイに勝利して銅メダルで大会を終えた。

金メダルは韓国、銀メダルは中国、銅メダルは日本。目標としていた決勝戦には一歩届かずだった。悔しい気持ちもあるし、銅メダルを獲得できた事に喜びや誇りも感じている。というより感じるようにしているという方が正確かもしれない。やはり悔しい気持ちは小さくない。

2017年の世界選手権以降、2018年に入ってからジャパンカップ@高崎でのポーランド戦、デンマークでのコペンハーゲン戦、熊本トライアルゲームズのニューコビン戦などを通じてこのアジア大会に向けて準備を進めてきた。

若干のメンバーの出入りや、けが人などはあったが、おりひめJAPANとして一歩一歩ビルドアップさせながらアジア大会に臨んだ。開会式よりも早く現地入りし、予選ラウンドを戦っていった。40点台、時には60点を超えるハイスコアで予選4試合を勝ち抜いていった。その後急激に対戦相手のレベルが上がってのベスト4だった。

THW Kielのアシスタントcoach経験のあるドイツ人監督を招聘し、体格を活かしたスケール豊かなハンドボールを展開する中国との真っ向勝負の準決勝だった。前半立ち上がりは6-10の4点リード許すが、そこから巻き返し前半を終えて15-13の2点リードでハーフタイムを迎えた。後半も3点リードを保ちながら優位に試合を進めていったが、後半ラスト10分に逆転を許す31-32の1点差で敗戦。決勝には駒を進めることができなかった。

この敗戦から何を学び、次にどう活かすか。日本代表はそんな場じゃないのかもしれないが。それ以外にない。

ここから先はハンドボールの勝敗とは直接関係ないけど、ハンドボールやスポーツを通して僕自身が今回感じていたこと。

7月中旬から今回の活動はスタートし、デンマーク(スウェンボー&ニューコビン)、東京、熊本、東京、ジャカルタと約7週間も続いた日本代表活動だった。気候、食事、文化、民族、国の違いを感じとる事ができるなかなかユニークな7週間だった。

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中でもアジア大会の開会式に参加できたことや、選手村での生活は普段なかなか経験できないものだった。

開会式で感じた高揚感は言葉にできないような素晴らしいものだった。

ハンドボールの日本代表の男子の選手やスタッフ、女子でも他の国の選手やスタッフ、または日本の違う競技の選手やスタッフと選手村の食堂やトレーニングルームで何度か顔を合わせて挨拶するようになった。

レスリング日本代表の選手やスタッフのトレーニングを見たり、話を聞かせてもらえたことは素晴らしい気づきになった。鈴鹿を拠点に活動する陸上の衛藤さんが「鈴鹿組で一緒に頑張りましょう」と部屋を訪ねてきてくれたのも嬉しい出来事だった。

台湾男子代表のちょう君、韓国代表男子コーチの白さんは日本リーグでも顔馴染みだったので、会うたびにお互いに声を掛け合っていた。中国代表コーチやタイ代表コーチとも、それぞれ代表チームのコーチっていう境遇もあってか試合会場で会うたびにどちらからともなく声を掛け合っていた。

また現地でのボランティアスタッフは片言の日本語で話しかけてきてくれたり、テレマカシー&サマサマ(ありがとう&どういたしまして)とインドネシア語で挨拶を交わしたり、練習会場や試合会場で割と顔なじみになって一緒に写真を撮ったりした。

2006年に日本を出てドイツでプレーすることを機会に僕は今まで自分が日本人であるということは割と意識して生きてきた。今回このアジア大会に参加して、自分がいるアジアのこと、全然知らないんやなって凄く思ったし、自分はアジアの一員なんだって自然に感じるようになった。

メダルセレモニーがひと段落して、原と多田が「しょうがないから一緒に撮ってあげますよ」って銅メダルを首にかけてくれたのは最高に照れ臭くて、最高にいい思い出になった。

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