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短編小説 壁のシミの憂鬱

 ムンク、犬、嘔吐するおっさん…
 いつからかは覚えていないが、僕は壁のシミから何かを想像する癖がある。

 6月23日。我が家の温湿度計付き時計は午前10時37分、室温29度、湿度80%をさしている。

 昨日お風呂に入らずに寝たので、全身汗でしめり、不快感でいっぱいだ。早くシャワーを浴びたいが、梅雨特有の全身を押しつぶすような気候のせいで身体はだるく、一向に起き上がる気になれない。温湿度付き時計と壁のシミ、スマホ画面をみてはうたたねするのを繰り返す内に2時間くらい経ってしまった。

 本来今日は1限目から授業を受けなくてはならないはずだったが、起きた時間が8時47分だったため、2限目まで自主休校することにし、今に至る。我ながらダメな大学生だなぁと思う。

 勿論、こうしてたまに授業をサボっているのは両親に内緒だ。ただ、多額の学費を支払ってくれている両親のことを思うと、罪悪感でほんの一瞬胸がチクりと痛んだ。

 外は雨が降ったりやんだりを繰り返し、いまいちぱっとしない天気だ。おまけに「アホォ…アホォ…パヤッパヤッパヤッ…」と奇妙な鳴き方をするカラスの声まで聞こえてきて、妙に気持ちがイライラしてしまう。

 11時2分。流石にそろそろシャワーを浴び、学校に行く準備をしないとまずい。そう思い、布団から起き出すと、汗と生乾き臭が混ざったような据えた匂いが、ぷんと鼻をかすめる。きばんだ枕に目をやると、頭を取り囲むような形で黒カビが生えていた。

 床に転がった髪の毛や埃、中途半端に中身の入ったペットボトル、中途半端に食べて残したポテトチップス、丸めたティッシュ、脱ぎ散らかした服を足でよけながら風呂場に向かう。いい加減片付けなくてはいけないとわかってはいるけど、明日でいいやを繰り返して1ヶ月くらい経ってしまった。実家にいたときは、そんなに散らかしたことないのに、なんで一人だとこんなことになるのか。

 汗でしめった服やパンツを脱ぐだけで、いくらか気分はマシになった。洗濯機は4日は回していないから、洗濯物でパンパンになっていたが、上から軽く衣類を押しつぶし、無理矢理ふたをしめた。

 お湯と水の蛇口を交互にひねり、シャワーを浴びる。ちょうどいい温度になった試しは一度もない。大抵ややぬるいか暑すぎるかのどっちかだ。まあ、家賃3万5000円のアパートだし。仕方ない。

 ボディソープを手に垂らし、股間を入念に洗っていると、換気扇から男女カップルの声が聞こえてきた。
 
 ーこれ、どこにつながっているんだろう。

 どうでもいいし、なんて言ってるのかはわからないけどむかつくなあ。今ここで「うあぁあああぁぁ!ばあぁあぁぁああ!」とか奇声を上げたら、あいつらどんな反応するかな。やらないけど。
 身体を洗い終えたので、タオルで身体を拭くと、生乾き特有の切り干し大根と牛乳の染みこんだぞうきんが合わさったような匂いがした。着替えを持ってくるのを忘れたので、全裸で部屋を物色したが一向にパンツが見当たらない。

 ーまずい。洗濯サボりすぎて換えのパンツが無くなった。

 仕方ないので、昨日まで履いていたパンツを裏返して履いたが、なさけない気持ちと不快感で胸がいっぱいになる。

 それから冷蔵庫からファンタグレープとイチゴスペシャルを取り出し、パンツ一丁のまま、モサモサと食べた。そういえば、ここ3日位菓子パンとカップ焼きそばしか食べていない。軽く頬を手で撫でると、にきびがぼこぼこと指先に当たった。

 「3限行くのだるいな…。」

 急に血糖値が上がったからか急激に眠気に襲われ、奇妙な夢をみた。


 クリーム色のもやがかかった公園で、犬とおじさんが喧嘩をしていた。掃除機からでた埃のような色をした犬は、5本ある手足は全てバラバラの方向に曲がり、奇妙な5足歩行をしていた。だが、そんな犬が気にならなくなるほど、おじさんも奇妙な見た目だ。齢40歳くらいのおじさんの頭頂部には髪の毛はほとんどなく、顔は自転車のサドルのように痩せこけていた。おまけに鼻筋から耳元まで大きく垂れ下がった両目と、上半身が妙に長い風体は、みていてクラクラする位珍妙だ。

「ワンワン!ワンワン!」
「こら!辞めなさい!」
「う゛ぅ…」
「なぜ私の顎をかむのですか!」
「お゛ぉぉぉぉ」
「離れなさい!」

 5足歩行犬の歯はどんどんおじさんの顎にめりこみ、融合していった。助けた方がいいかとも思ったが、あまりにも珍妙な光景に足がすくんでうごかない。おまけにクリーム色のもやはどんどんどんどん濃くなっていく。

気がついたら、僕はまた2時間も眠っていた。結局今日の授業は全てサボってしまった。ふと、壁をみると、湿気で壁のシミが濃くなり、ムンクと犬が融合していた。そして嘔吐するおっさんの吐瀉物は、ムンクたちを覆い尽くすほどの大きさになっていた。

「あのもや…。もしかしておじさんのゲロだったのかな。」そんなことを一瞬考えたが、あまりにもくだらないため、夢の出来事は3分も経たない内にすぐ忘れてしまった。

雨はまだまだやまない。

 


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