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25歳が考えるパワハラの定義

最近会社の会議でパワハラの話題になりました。

40人程の大人数が参加する会議だったのですが、その際部長がパワハラの定義に関して話題を持ちかけたのがきっかけでした。
まあ、想像に難くない所ですが、そんな大人数の会議で裁量権を持つ人がそんな話をしだしても、誰も思い切ったことは言えないわけで、最終的には"このメールの文面はパワハラか"や、"業務時間外に働かせる様な仕事の振り方はパワハラか"というような、すごく詳細な話になり、お世辞にも有意義な議論とは言えなかったと思います。

私は今年で25歳になるのですが、パワハラとは何かと考えた時に、そもそも細かい気配りが足りていないことによる、理解のズレが原因で起こる事象という結論にいきつきます。特定の行為がパワハラと定義するのは難しいと思うのです。
例えば、親から多少ムチャなことを言われても赤べこ人形の様にふんふんと話を聞くように、パートナーから夜中にプリンを買いに行けと言われても、泣く泣くプリンハントに赴く様に、行為の強制は誰にどんな内容を強いられるかによって心もちが変わってきます。

誰に言われるかという点は、指示する人間と指示される人間が互いをどれだけ理解できているかに因数分解できるでしょう。理解が深まれば深まるほど、相手の意図をくみ取れるので、「なぜこんな七面倒なことをやらないといけないんだ」という負の感情が少なくなります。

どんな内容を強いられるかは難しい点ですね、会社で働く以上、嫌なことでもやらないといけないですし、断る権限はありません。ある意味、「嫌なら会社をやめてくれ」が成果を出す上では一番効率的な気もします。
個人的にはマネジメントはその様な姿勢で居てくれた方がある意味分かりやすくてすっきりしますが、そうもいきませんよね。
私は単純な人間なので、無理なことを強いられても何とか頑張ってくれとたきつけられるだけで、大きく心もちが変わります。その一言で、この人は信頼して自分に仕事を振ってくれると感じるからです。
但し世の中は十人十色、他の人にはその熱量に汗をかき、疲れてしまうかもしれません。
何が言いたいかというと、人のモチベーションに繋がる言葉はそれぞれ違うということです。
マネジメントとしては、そこを見極めたきつけるというのが、生産性の上昇も期待できる効果的な手段なのではないでしょうか。

マネジメントは皆、各分野で成果を出した人間です。つまり彼らは人材を操るプロでは無いのです。私は本来、マネジメントは人材に対して理解が深い人間がやるべきと思います。数字を出す責任を持つ人間とチーム管理を行う人間は切り分るべきと感じるのです。

話がそれましたが、40人いる会議でパワハラを議題に扱うことがナンセンスだし、恐らく他社員と部長の意識には大きなズレがあるし、パワハラを定義するよりも、「頑張ってくれ!」と毅然とした姿勢で語ることが、部長の仕事なのでは?と思った朝10時の会議でした。

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