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カタログギフト


およそ半年続いた心療内科の復職プログラムは、9月の初めに修了した。このプログラムは3.5段階で構成されていて、レベルアップする毎に通う曜日が増えていく。最初は週二日から始まり三日(レベル1.5)になり四日になり最終的に月曜日から金曜日まで、午前中のみとはいえ平日は毎日通うようになる。プラス、土曜日には診察もある。なかなかにハードではある。

昨年の8月から会社を休んでいたぼくが、今年の2月にそのプログラムに通い始めた当初は、参加者はぼくより若い男性が一人だけで、ぼくがレベル2になる前には復職、つまりプログラムを卒業してしまった。そんなに参加者が少なくなるのは珍しいとスタッフさんも言っていて、ぼくが入る前には他にも何人かいたのが立て続けに卒業していったらしく、ぼくが一人になって2、3週後からは、これも立て続けに何人も入ってきてそれなりの人数になった。

そんな調子で、ぼくがレベル2から通うようになった木曜日は、ぼく一人に対してスタッフが2人とういう状況が3回続き、でもそれは自分の質からいえば、寂しいというよりは気楽でよかった。

その木曜日の授業はロールプレイングをすることだった。プログラム全体の目的が【復職】であるだけに、テーマは例えば実際復職した時の職場での挨拶はどうしようとか、自分の心の症状の伝え方だとか、苦手な人をどうかわすかといったテーマについて、具体的な場面を設定する。とはいっても仕事限定を条件にしていると案外似たようなシチュエーションばかりになってしまうので、家庭内のことや、普段の生活で遭遇した場面でどうしたら良いか困ったというようなことも、渡された過去の実績リストには書かれていた。

初めての木曜日の朝、授業が始まる前にその内容や意味について教えてもらった。机を端に寄せて部屋の半分ほどの小演劇のスペースを作る。どんなテーマがいいかとスタッフに促されたが、すぐにはこれといったものを思いつけなかった。その頃はまだ自分が復職するイメージが無かったし、考えたくもない時期だった。どうしてもアイディアがなければスタッフ側からお題を出すのもあり、ということだったが、初日でもあるしできればぼくの考えたテーマがいいかなという流れに自然となっていた。数分のあいだあれこれ話をしながら頭を絞りに絞って出てきたのが、その数日前に岡山駅で見かけたあるシーンだった。

プログラムとは別の、土曜日の診察日の朝に、駅のホームで白状を持った人を若い女性がエスコートしていたのだった。ぼくは最初その視覚障がい者の男性を見ても困っているという風には見えず、というか何も考えておらず、逆にその女性の行動を見て、そしてその申し入れを受け入れる男性を見て、あ、あの人は困っていたんだとハッとすると同時に自分もあんな風に行動できたらいいな、と思ったのだ。そのことをスタッフ二人に伝えると、リーダー格のKさんが、いいんじゃない、やってみるの、そういうのもありだと思うよ、と言ってくれたので、試してみることになった。

まずぼくがその時に見た状況をなるべく細かく説明する。白状を突いた男性がホームの端の点字ブロックを探っている。すぐ横には回送列車が停車している。男性が向かう先はホームの外れの方だ。そちら側にも一応は階段があってぼくも時々使うには使うが、大多数の乗客はそれとは反対側の中央改札に直結する階段か、地下改札に降りる階段を使う。

今考えれば障がい者の方にとってはエレベーターも無い不便な方へ向かっていたわけで、そのことにも気がつかなかった。直後、その女性が彼に声をかける様子が見える。男性が答える。二人は向きを変え、男性は女性の肩にそっと手をのせる。少し歩き、そして地下改札に向かう階段の直前で歩みを止めて一言二言交わして別れる。男性はそこからは慣れた様子で、しかし慎重に杖で探りながら階段を降りる。

場面としてはそうだが、ロールプレイングの会話は完全に想像で創作し、スタッフのAさんがホワイトボードに板書する。

ためらう間もなくすぐに本番をやってみようとKさんが立ち上がる。Aさんが白杖を持つ人の役で、そこに横からぼくが声をかけるという設定。

はい、スタート!(パン!)

Aさんがヨタヨタと歩くところにぼくが横から近寄る。

あの、何かお手伝いしましょうか。

あ、ありがとうございます。階段のところまで行きたいんですがわからなくなって。

あ、じゃあそこまで一緒に行きましょう。ぼくの肩に手を乗せてもらえますか。

あ、はい。

二、三歩歩いたところで、Kさんが、はい! と手をたたく。

ふー、緊張しました。

どう?やってみて。

声が震えちゃいましたよ。

でもブルーさんの声が優しく聞こえたから安心感ありましたよ、とAさん。

          普段から声が小さい。
え?ホンマですか?そう思えてもらえたんならよかったです。

じゃあよかったところは?
板書。批判はしないルール。

こうするともっとよくなるだろう点は?
板書。

よし、じゃあもう一回。

『あの、何かお手伝い…』

翌日は朝から強い雨が降っていた。クリニックは駅から近いので、地下改札からできるだけ長い距離を地下街を通っていくという選択肢もあるが、その朝は橋上駅舎の中央改札を出て傘を差して外を歩くことにした。

雨は嫌いじゃない。そう思って東口への階段を降りていたら、下の方で手押し車を押している男性が見えた。傘は差していない。腰がひどく曲がっている。そのせいで前方がよく見えないのか、進路が定まらない。点字ブロックの凸凹にさえ車輪がとられている。ぼくは、様子をみながら階段を下まで降りる。誰か連れ合いがいる様子もないし、誰も声をかけない。これはどういう状況なんだろうと理解しようとするが、本人は困っているのかどうかわからない。いや、雨にずぶ濡れの時点で困っているだろう。ぼくは雨の降り込まない庇の下で少し考えを巡らす。

おいおい、昨日クリニックのプログラムで練習したばっかりだろうよ、今しないでどうするよ。

意を決して傘を差し、その男性の方へ急ぎ足で向かう。それほど高齢ではないようだが、いかんせん顔をあげられないでいるから表情がわからない。

恐る恐る近寄る。腰を曲げた男性の顔の高さまでかがんで声をかける。

あの、何かお手伝いしましょうか。

あ、ありがとう、すみません。タクシー乗り場まで行きたいんですが。

顔をあげるとタクシー乗り場はもうすぐそこだ。雨だからかタクシー待ちの列も長い。一応、屋根はある。あるが、少しの風で雨が吹き込んできそうな細い屋根だ。

一緒に行きましょう、とぼくは言う。

男性はありがとうか何か言ったと思う。

手押し車にぼくの手を添える。彼が少しでも濡れないように傘を差し出す。手を添えながらもレンガブロックのほんの小さなギャップですぐに車輪を取られる、ふらつく。歩きにくい。どこからそうやってここまで歩いてきたのだろう。悩む間にさっさと声をかければいいものを。

ほどなくしてタクシー乗り場の列の最後尾に着く。

もうここで大丈夫です。

大丈夫ですか?お気をつけて。

風が吹けば濡れるだろうけど、と思うと離れ難い。しかし、ぼくは先に行く。

何もしないよりはよかったんだと自分に言い聞かせる。

クリニックに着いてからスタッフさんにそのことを話すと、あー、それは昨日練習しておけ、ということだったんだね、と言われて、肩の荷がおりる。間違いでなければいい、と思うしかない。

そのさらに数日後、やはり岡山駅を出たところで、白杖を突いている男性が点字ブロックから外れてしまったところを目撃して声をかけた。彼を地下街に降りる階段まで案内した。これは練習したとおりのシチュエーションだった。

郊外に住んでいて普段目にする機会の少ない場面に、都会(岡山)ではよく遭遇する。他にもいつも同じユニフォームTシャツを来た視覚障がい者の男性をよく目にし、その人は白杖を持ちながらも慣れた様子で昇りエスカレーターに乗る。電車ではマタニティマークを着けた女性も見るし、パニック障害と書かれたバッジをぶら下げたひともいる。駅員さんに車椅子を押されて乗ってくる人もいる。それがなければ困難を抱えているとは思えない人たちがいる。そういうことを知ることができただけでも電車通院をしていた意味があった気がする。

ぼくは視力がいい。自分で努力をして獲得したものではないから自慢するようなものではないけれど、両目とも裸眼で1.5だ。今はパソコン仕事ばかりで、健康診断の日の体調によっては1.0くらいの時もあるが、基本的に遠くのものはよく見える。その代わり、こういう体質の宿命で老眼がひどい。40過ぎの頃から怪しかった。今は読書用とパソコン用に度の入ったものを2つ持っている。とはいえ視力のいい体に生んでくれた親には感謝している。だからいつの頃からかどこかに何かお返しをしたいと思っていた。長らくぼんやりと考えた末に思い付いたのが盲導犬募金だ。ぼくは昔から犬が好きだし、ラブラドールレトリーバーのような大型犬はなおさらで、一石二鳥のいいアイディアだと思った。初めて募金箱に500円硬貨を入れたのは、15年くらい前のことだ。それ以来機会ある度に、というほどはしていないが、常にその意識だけは持っている。お小遣いも少ないのでお札しか財布になければ諦めるというなんとも情けない話ではある。

しかしここにきて国際的な人道的医療団体への募金も選択肢に加わり、盲導犬の方がおろそかになっていた。

無事に、かどうかはいまだに微妙だが、一年と少しの間続いた休職の末に、元の職場に復帰することになった。休職する直前に勤続◯◯年に到達していて、会社側はどういう訳か、というかありがたいことに金一封と、業界組合からのお祝いのカタログギフトをとっておいてくれて、復職面談の日にぼくに渡してくれた。金一封は正直気にはなっていたし、助かった。傷病手当だけでは当然生活はきつい。

カタログギフトは引き出物などでもらうことがあると、大抵は食べ物などあとに形が残らないものを選ぶ。

今回も分厚い冊子の中から但馬牛のすき焼き用肉を第一候補に選んだ。正月には息子も帰ってくるからちょうどいい、と思ってそのページに付箋を貼った。他に何かいいものがあるかもとカタログをパラパラとめくっていると、最後のページに、募金案件が三つ並んでいた。なるほど、特にこれといったもの、好みのものがなければという時のため、にこういう選択肢も載せてくれているんだな。

正直他の二つは覚えていないが、縦に並んだ真ん中に盲導犬関連団体への募金があった。心がガクンと傾いた。こちらにしようか牛肉にしようか。そんなに裕福でもない家計だから自分たちの食べたいものを選んでも罰は当たらないんじゃないかと思ってみたり。

でも。

迷っていたら、一緒にカタログを見ていた妻が、元々息子が正月に帰ってくる時くらいはと思って、一日はすき焼きにするつもりだ、と言った。だからこのカタログからはぼくが好きなものを決めて選べばいい、と選択権を完全に預けてくれた。それでも休職が長引いた引け目があるから、できれば家族が楽しめるものがいいんじゃないかと何日か悩んだ。悩んだ末に盲導犬募金の番号を葉書に書いて投函した。

すき焼き肉の量、質からして5千円は下らない、もしかしたら一万円くらいするのかもしれない。それが募金になった時にどれくらい盲導犬育成に役立つのかさっぱり想像もつかない。希望する人に対して盲導犬は全く足りていないというのはよく耳にする。

後日、その団体から募金お礼の絵はがきが届いた。きっとこれから盲導犬になる、ラブラドールの子犬の、賢そうな、人懐こそうな顔がこちらを見ている。



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