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回収されない物語


2010年12月の土曜日、たまたまその日は会社カレンダー上の通常出勤日だった。午前中の業務を終え、弁当を食べる前に自分の携帯電話をチェックしたら、実家の兄から着信が入っていた。5、6回の回数が表示されていた。

何か緊急のことだと思ったからすぐに折り返すも、兄は電話に出ない。

緊急のことならもしかしたらと、自宅にかけると妻が出た。事情を簡単に説明したが、いや、こっちには連絡無いよ、と、続けて、おかあさんに聞いてみたら?と言われたので実家の電話番号を押した。まだその頃は母は認知症にはなっていなかった。

電話に出た母は、

つまり緊急な話は母に関するものではない、とそこで理解したのだが、

母は具体的なことは知らないようで、どうも兄たちが朝からお父さん(実際には名前で◯◯さん)のことで慌ただしくしているみたいだとのことだった。

ぼくの両親はずいぶん昔に離婚しているが、別居している父親(とその再婚相手)とぼくら兄弟と子どもたちとは交流があった。ただその2010年時点では何年か前の事故やらなんやらの影響もあり認知能力を失っていて、会話どころか表情すら変えることもなく、ずっと病院のベッドで寝たきりでいた。

それ以前は盆で帰省すると一日は無理やり昼食に付き合わされていたのだが、それもいつしか病院に見舞いに行くだけになっていた。

文章表現からもわかってもらえると思うけれど、ぼくは父親と会うのが嫌だった。それは両親の離婚の原因やその後の父親の態度のせいであり、正直に言ってぼくの方からは嫌っていた。

その日の電話は、その父親が亡くなったということだと、母への電話を終えたあと義姉の携帯に電話をかけてわかったのだった。

朝、病院から兄に連絡があり、朝の巡回で父の意識はほとんど無くなっていたそうだ。正式に死亡が確認されたのは午前10時とか9時だったが、実際は夜中にひっそりと亡くなっていたのだと思う。

当然葬儀が行われるのですぐにでもそちらに向かわないといけないのだけど、ぼくの超個人的心情により、一日あとにしようかと思ったりもした。

が、結局その日のうちになんやかや準備をして家族4人で新幹線に乗り東に向かった。

仕事はちょうど現場で込み入ったことをしていて、事情を上司に伝え、早退したい何日か休むと申し出ると、困るなあという顔をしていた、ように見えた。

父の家に着いたときには外はもう真っ暗だった。冬至が近づいていた。父は仏間に寝かされていた。ぼくたち家族は遅れた詫びを兄に言い、そして白い布を取って父に向かって手を合わせた。

ふと頭を撫でてみると、とても冷たい感触で、思わず手を引っ込めそうになったが、義姉が『冷たいでしょう』と言うのでそれで気持ちが落ち着いた。

通夜は翌日で、喪主は兄が執り行うことになった。

ぼくは父の死に対する特別な感情が湧かなかった。横たわる父を目の前にして泣くこともなかった。

そうして告別式の日になった。

式場には、兄の仕事上の立場で会社関係の人たちがたくさん来ていた。ぼくの会社からも花輪が来ていた。一応実父だからそうしてくれたのだろう。

父方の親戚も大勢来ていたが、両親の離婚はぼくの幼い頃で、誰が誰だかぼくには全くわからなかった。6歳上の兄も彼ら彼女らには何年も会っていないはずだけれど、ぼくよりは交流があっただろうから、幾人かとにこやかに会話をしているのが印象的だった。だいたいがぼく自身かなり内気な質で、兄は反対に外交的な性格だ。

告別式は滞りなく進み、いよいよ斎場へと向かうことになった。

葬儀会社の手配したバスに乗り込み、20分ほどで市の北部にあるその場所に着いた。

ぼくは父の実の息子であることは間違いないことだから、棺にいちばん近いところに兄たちと立っていた。

お寺さんの短い読経が終わり、いよいよその扉の中に棺が入る段になって、

急に涙がこみあげてきた。こみあげるどころか溢れて止まらないようになった。

困った。
ぼくは父のことでそんなことになっているのを他の人に見られたくなかった。

いや、そう判断する前に勝手に体が回れ右をしてその場から早足で立ち去った。ぼくの後ろにいた名前もほとんどわからない親戚たちの間を掻き分けて抜けていった。

ロビーの太い柱の陰で、涙が落ち着くのを待った。

どれくらい時間が経ったのかわからないけれど、なんとか元の場所に戻ると、まだみんなそこにいて、妻がぼくを迎えてくれた。

恐らくその場にいる全員が過去の事情を知っているから、どうしたなどと聞かれることもなく、でもぼくの目は真っ赤に腫れていたと思う。兄も黙ってくれていた。

それから10年以上経った今もまだ、ぼくがなぜその時急に泣いたのかわからない。

悲しかったのか
いなくなってせいせいしたのか
本当はもっと話をしたかったのか
許せなかったのか
幼いぼくと遊んでほしかったのか
許したかったのか
生前会ってもぶすっとしていたのを謝りたかったのか

自分でもわからない理由を探りたいと思うけれど、きっとこのままわからずにぼくも歳をとっていくのだろう。

この世にはきっと回収されないまま途切れてしまう物語が溢れていて、これもそのひとつなんだろう。

この世にはきっと回収されない物語の方が多いのだろう。

きっと。

今朝ノンと散歩をしていたら、とあるお宅の庭先で、ほおずきが赤くなっているのを見かけた。

盆が近いのだ。

その後亡くなった母とぼくが生まれる前に亡くなったいちばん上の兄ちゃんの墓参りに行きたいと思うのだけれど、一人でひっそりと行きたいのだけど、どうかな。

もし行けたならついでに父の墓の前にも立とうか、とは思う。積もる話があるわけでもないが。


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