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伏見の鬼 6

 夜の帳が降りている。
 三日月がさらに伏し目がちに天にありて、幾分は足元の助けになっていた。先日よりもぬるい風が、大北山から吹き降ろしている。
 総司は五条色街をそぞろ歩きしている。
 昨日と相違点は、隊服を着流している。
 彼はその染め物羽織を好んではいない。
 弥生に上洛して程なくして、会津藩の支度金により麻の染羽織が支給されている。話によると清河八郎の言により、赤穂浪士の歌舞伎衣装を元にあつらえられたという意匠である。
 出自がそれであるだけに、街頭では目を引く。
 しかも悪い風聞まで付いてきている。
 卯月初めのことである。
 芹沢鴨の誘いで、神道無念流の師である近藤勇がつまづきを起こした。壬生浪士隊の入り金の見通しが立たぬために、大阪平野屋から百両の押し借りを、卸し立ての隊服で行っている。
 首尾よく進めて上機嫌で屯所に帰宅した近藤を、弟子であるはずの土方歳三が、激しい口調でたしなめた。
 町人より金子を召すのに、義はあるのか、と。
 それは近藤の口癖の模倣でもあり、反駁の余地もなし、ただ項垂うなだれて彼の言葉をとくと聞いた。
 むしろ近藤の懐の広さだと、却って総司は思う。
 その後は兄さぁは掌を返して、女子衆を騒がせる流し目で微笑した。
「仔細判ればそれはよし。非礼についてはお詫び致します。なに平野屋には、たっぷりと利子をつけて返せば良きこと」
 と彼は心根に事の納め処を持ちながら、師の不義理をただしたのである。その後に商人に利子払いを能くしておけば、師の顔は殊更に立つ。恐らく彼はその次の手を打っているのであろう。
 経世のことわりは、兄さぁは体得している。
 若輩の頃に丁稚奉公に出ていたのだ。
 おれには、そのような手筈は無理だ。
 総司はただ目前の獲物を追い込むのみである。

 先と同じ妓楼を選んだ。
 登楼にも手順は不要だ。
 総司は引手茶屋を介さずに直づけでゆく。緋色の暖簾の影にいる若衆に手間賃だけを握らせるのみだ。直づけは娼妓の容姿や年頃は選べない。そっちの技量においても、だ。
 若衆は下卑た表情を浮かべていたが、浅黄色の段だら染付の隊服を見て、それが凍り付くのを感じた。
 この隊服にもう悪名が付いている。
 平野屋の件だけではないのだろう。
 かの芹沢鴨が若手を連れて豪遊しているとも聞く。その支払いがいかがであるかをその表情が物語る。
「今日は初会はつかいでございまっか。さすれば張見世の間でお好みをお選びでっか」
「いや、既に馴染みがおる」
 と口籠り、あの娼妓の源氏名を告げた。
 ひっと若衆が口走り、怯えるように左右を見た。
「不都合か」
「先ほどもう先の客がお上がりに。さすれば急ぎ別の花を」
「構わぬよ。その者には仔細がある。ここで待たせて貰う」
 彼はずかずかと上がり込み、引付座敷に胡坐をかいて座った。
 慇懃無礼である方が、ここは巧くゆく、と思った。

 

 

 


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