百舌
歴史小説の短編集を集めています。
紀元前十五世紀の古代インド。 このドラビィダ人が農耕と牧畜で生活している大地に、アーリア人が武力を持って侵入している時代。後のインダス川と名前を変えた七大河に戦乱が満ちている。 かつて高度な文明を駆使して大地を支配していた、神々と呼ばれた民族は天空に去った。 かつてアーリア将官だったナラ・シムは遺伝子操作を受け、蛇のDNAを注入されて独特の生態を持つ肉体に化身している。 彼はアーリア人にもドラヴィダ人にも混じることはできずに、放浪の旅を続けている。
ふと気晴らしに恋愛小説を書いています。
橘醍醐は、女心が分からぬ。 かれは次男であり家名は告げぬ。なので長崎奉行で小役を賜る。端役である限り無聊だけは売るほどある。 時は慶応26年、徳川慶喜の治世は30年近い。 その彼がまさか異国の娘に巡りあおうとは。
離婚式という社会通念が生まれて久しい。 両家がきっぱりと縁を分つために。 その縁を切る範囲は、現代では広すぎるので。 社会のモラルとして、結婚したら離婚保険に入るのは常識になってる。 なぜなら離婚事故を起こすリスクがあるのだ。
桜が散っている。 私のロードスターは、高台のパーキングに停まっている。 ふたり乗りのちっぽけなロードスター。 オレンジに塗られたボディに、漆黒の布製の幌が掛かっている。 急勾配の傾斜の途中に、巨人が指でつまんでこしらえたような平地が、虚空に向かって突き出している。そのパーキングのへりに平たく張りついている。 仕事がかさんでいる時期には、帰宅が深夜になることも、ままある。 エンジンの鼓動が止まり、車外に出ると、眼下には夜景が広がる。星が吹き散らされたような眺めだ。
夜の帳が降りている。 三日月がさらに伏し目がちに天にありて、幾分は足元の助けになっていた。先日よりも温い風が、大北山から吹き降ろしている。 総司は五条色街をそぞろ歩きしている。 昨日と相違点は、隊服を着流している。 彼はその染め物羽織を好んではいない。 弥生に上洛して程なくして、会津藩の支度金により麻の染羽織が支給されている。話によると清河八郎の言により、赤穂浪士の歌舞伎衣装を元に設えられたという意匠である。 出自がそれであるだけに、街頭では目を引く。 しかも
空気が薄くなった。 灌木は既に見ない。 昨日までは平原を覆う草原があったが、今や岩陰に僅かに繁茂しているのを見るだけだ。吹き抜ける風には氷雪の冷気がある。 黒毛の山牛を押し並べて進む隊商の姿もない。 空気が薄いことにカリシュマは慣れている。私も化身の身であり、爬虫類の特質を持つために代謝が低く、さほど苦痛ではない。 しかしルウ・バの表情は暗い。 身体を鎧うあの筋肉が枷になっているのだろう。彼には呼吸をゆったりとするようにと言い置いていた。 しかし昨秋は、この肉
ますます重症化しました・・・ 昨日よりこの愚痴をnoteに垂れ流したところ、皆さまのありがたいお言葉を頂戴いたしまして。ますます重症化しました・・・ 今日は新作に挑めずに。 中古カメラ市場をあれこれと眺めていました。 やっぱり自分の好みとしてはレンジファインダーなんですよね。 コンパクトで高画質。 ピントは目測でもいいのです。 露出で何とでもなりますから。 うーん、ローライ35なんてどうだろうか・・・ デジカメでしたがU4rはフィルム感のある画質でした。
趣味が多彩です。 むしろ離島に来て趣味がますます増えてきた気がします。 こんなに毎日、文章を書く日々がくるとは思いませんでした。 今の趣味といえば、バイクでしょ、note投稿でしょ、BRONPTONでのポタリングでしょ、シュノーケリングでしょ、陶芸でしょ・・・料理でしょ。 まあ料理はさあ、生活のためであって。 でもまあ、美味しいものを食べたくて。 ダイビングやカヌーを趣味にしようとしていたけど。その予算がバイクになってしまった。それで今もツーリング計画を着々と立
さくりさくりと微かな足音がする。 鳶職の見習い衆の男が家路を急ぐ。 それを遠くに聞きながら、総司はそぞろ歩きの振りで尾行いてゆく。 その足捌き、背格好、彼の生業が総司に仄めかしている。 彼があの船頭ではないのか。残念ながらあの高瀬舟では背を向けており、三日月の薄暗がりでは顔姿の印象は刻まれておらぬ。 だが総司には特質がある。 彼の剣を支えているのは、その心眼にある。 特に敵の動きを察知する勘所が抜きんでている。それで先手が打てるのである。彼自身はその眼を常に信
今月は厳しいな。 進行表をスマホで管理している。 もう銀杏の並木道に木枯らしが駆け抜けている。 歩道には植物の実とは思えない、生臭さを放つ実が散らばっている。踏み潰されたのは数個でしかないのだけど。生焼けの肉の匂いにも似ている。 来月には年末進行に入るけど。 その前にクリスマスにかけての特集がある。 それが辛い。 でも時期的にはタイムリーだろうな。 フレンチのBISTROを特集ですって。 また胃腸が荒れてしまうな。メールに添付されている店舗を地図アプリに落
BROMPTONでの有酸素運動を続けてます。 還暦を前に、またもdietの日々になります。 直接にきっかけは先日の葬儀でありました。 長崎で大丸閉館の折に、従姉妹の結婚式を見越して礼服を誂えました。それはもう13年もの年月で、冠婚葬祭等で愛用していました。老化肥満を見越して大きめに仕立てていましたが、何とか入るものの今では長時間が辛い。 残念ながら当日は、似たような色目のスラックスで参列しました。 原因は判っています。 今年の初春はコロナ罹患で、半月は自宅待機
花見の頃合である。 文久三年の春、京においては未だ戦火のきな臭さはまだない。 然るに不逞の脱藩浪人が、血走った眼で往来を歩くことが多くなった。 彼らは月代も剃らず、浅黒い肌に黒々とした無精髭を蓄えている。湯浴みどころか行水もしないので、獣の気風を備えている。彼らの姿があればぴりりした緊迫があり、風の往来も遠慮がちになる。 先月の事である。 今上天皇が賀茂上下神社へ行幸になり、攘夷を祈念された。在位中の行幸は幕府開闢も間もない寛永以来のことで、皇の慶事に京は沸き立った
陽は既に昇っていた。 壬生の屯所までは一里半はあろう。 街路は露に濡れていて、雨上がりに見える。 朝靄のなかで京長屋の通りでは煮炊きの匂いがしている。 そぞろ歩きをしながら、総司は事の顛末を愉しんでいた。 懐には空の財布と化粧道具を入れている。いや実はその財布は空に見えて、手応えがある。ひとつを開いて摘まみだし、ふふんと鼻で嗤った。羽の如くの軽きものが、武士の矜恃の如く重い。 これでは死人も出ずば、盗人の届け出も出ないであろう。 それは判る。 しかしながらそ
やや伏し目がちの三日月が出ていた。 下弦の三日月は娼妓の眼に似ている。 己が表情を隠すために瞳を見せない。 妓楼に生きる、端女の定めでもある。 冷え冷えとした風が吹き抜けている。 川面を忍びゆく風に冬の匂いがある。 その薄暗がりでも、川面に浮かぶ桜の花弁は白々と見える。 「親父、その鬼とやら。女子供を襲うというが死人は出ておるのか」 「へぇ、とんと存じあげまへんなぁ」ともう興味を失ったように、熱の入らない声音だ。 「左様か」 「ただの噂の類と、はあ」 総司の脳
再びかつ丼に関する話題です。 先に和食のお店の料理を図るメートル原器として、かつ丼を注文するとも書きました。この習慣はもう大学生時代からですかね。 かつ丼には、だしの配分、卵の量、かつの厚さ、などの個性があります。そこに料理人の矜恃が出てくるのだと思います。 さてもう失われた銘店です。 長崎に諫早市という地域があります。あの体操のレジェンド、内村航平選手の出身地でもあります。 この諫早市にドラゴン食堂というお店がありました。 私の高校時代から、甥っこの高校時代も
伏見に鬼が出るという。 それを聞いたのは五条色街の二階だった。 総司が買うのは花魁大夫ではない。手順があり過ぎる。所詮はまぐ合いの道具である。やれ簪だの帯留めだのと、雛に餌を運ぶ燕のごとき付け届けの、手の篤さというものが彼にはない。 一夜がけで精を放てばそれで良し。 彼はそう単純に考えている。 その相手はまだ幼く、乳も張ってはいないが、耳慣れた江戸言葉を話していた。秩父の出自という。京言葉に嫌気が差してきた頃合いだったので、その音律が総司の耳に優しく届く。 「伏見
細目の眼が検分している。 橘醍醐はそれを微風を受けるかの如く、平然と椅子に座している。 まだ一言も交わしてはおらぬ。 江藤新平、彼も上背がある方ではない。 醍醐の上役と違い、官服で高飛車に出るのではなく、華美で沙羅な洋服を誂えているのではなく、着流しの和装である。ただ腰には一刀だけは帯びている。一見しては共和国政府の高官というよりも書生じみている。 かなり年嵩の書生で、すでに五十坂は越えていよう。髪も蓬髪で聊か後頭部が怪しくなっている。月代を剃っていた世代ではない
小雨のなかでバイクを停めた。 佐賀城本丸歴史観を訪問した。 春先に《江藤新平没後150年特別展》が開催されていて、偶然にもソロソロ彼の出番を構想していたタイミングだった。 江藤新平。 不憫な人物である。 歴史において彼の活躍した時期は、ほぼ3年余りと極端に短い。その間に並みの元勲では追いつけないほどの濃密な業績を上げている。 まずは東京遷都を進言したひとりでもある。 そして廃藩置県後に文部大輔につき、四民平等と学制の法務体系を整える。学制についての近代化政
基本的に晴れ男なんです。 それでも雨に打たれてしょんぼりの日もあります。 なぜだか、そんな日には無性にかつ丼を欲します。 しかもですね。離島にはこんなレベルのかつ丼はない。 貴方、料理が特技じゃないの、自分で作ったらどうなの。という方もいらっしゃるかと。 ところがですね。 かつ丼は作ろうとも思わない。 ちゃんとしたカツを揚げたらそれでご飯にしたらいいのです。何もそれを卵でとじて、という一工程を加える気にならない。 それでこのメニューは外食の定番でもあります。