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「生きたい」と思うから感情は動く

『ねほりんぱほりん』 #35「震災で家族が行方不明の人」より

高校生だった時に被災し、津波によって父親が行方不明のアキコさん。

友達のお葬式に出た時は自分も悲しくなって泣いたりして
でも、自分の父親だけは悲しくならないっていうのがあって
もしかしたらそれは自己防衛じゃないですけれど
それでせき止めてたのかなって
そうなると9年間のツケみたいなのをいつか払う事になるんじゃないのかっていう怖さがあります
あの日の本来受け止めるべきだった感情を、余すところ無く受け止めなきゃならない日が、何かの切っ掛けで来るのか、一生来ないで終わるのかは分からないけれど
そういうのがあるのかなぁっていう・・・

ねほりんぱほりん #35

人は自分のキャパを超えたことが起きたり、感情の消化が追い付かなくなると、感情を止めて状況に反応しなくなります。
アキコさんがおっしゃっている通りで、自己防衛のために。

でも、どれだけ表面的に感情を止めたり、無関心になっても
その下の自分はちゃんと何かを感じ続けている。
だからこそ、その感じた感情はいつか必ず「余すところなく受け止めなきゃならない」のです。
※人は感情を味わい尽くして、そこから学ぶ事で成長できるため。

そのタイミングは今生なのか、来世なのかは分かりません。
自分が様々な経験の中でキャパを広げ、その時の感情の蓋を開けられるまでになったときに、ようやく扉は開きます。(勝手に感情の扉が開くことはありません)

*     *

ドラマ『舟を編む』の3話でみどりが

「そっか、変わるってことなんだ、生きるって」

舟を編む 3話

とつぶやきます。

確かに生きるって変わり続ける事。
自分の中で何かが変化したとき、私たちは生きている事を実感するのだと思います。

でも、感情を止め、あの時のまま変わることを拒否しながら生きるということは「生きてはいない」のでしょう。
実際、クライアントさん達を見ていていも変わることを拒否している方は感情の動きはとても悪いです。

そういえば、私も消化試合のような人生を止めたい「傷ついても自分の人生を生きたい」と思った時に
過去の様々な記憶がよみがえるようになりました。

「生きる」と決めるから、感情も動き出すのでしょう。
でも、そのためにはもう繰り返しの人生をやめて、変わり続ける覚悟が必要ですね。

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