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ウクレレと私〜音楽活動物語〜

あ、音楽活動始めよう。


私の昔からの夢は歌手になることでした。


それはとても漠然としていて、
ジャンルやスタイルは成長するにつれて習い事をする度に変わっていきました。


「モーニング娘。のようなアイドルになりたい!」とか、
「安室ちゃんのように歌って踊れるアーティストになりたい!」などでした。


ダンスをすることは好きだったし人前で思いっきりカラオケをすることも苦痛ではありませんでした。


むしろ隣の人と競うくらいの精神は歌うことに対してありました。


いろんなことを試行錯誤、模索しながら"歌う"ということだけには一途になってここまで育ってきました。


そんな私が、
第一回目の一歩を踏み出すきっかけは、"お母さんに言ってみること。"でした。


前述でも書いたように習い事はいっぱい習わせてもらいました。


和太鼓、ピアノ、日本舞踊、ジャズダンス...。


なんとなくお母さんも分かっていたし、上手いとは褒めてくれていたけど、
そんな中、"歌手になりたい!"...これはなかなか、恥ずかしさの方が勝って言えない私がいました。


なんせ、その頃は年頃の17才の時でした。


でも、中学生の頃からでも早く音楽活動を始めたかった私が
今このタイミングで逃したらもう後は来ない!と思って
なんでもない日に突然、お母さんに言ってみました。


私「あのさ、私将来の夢、本気で歌手になりたいんだよね。」

でも、お母さんも最初の頃は少し戸惑っていました。

お母さん「歌手になるって、やるって言ってもどうやって..?」

そりゃ、私も周りの人も音楽活動をしている人はいなかったので、未知の...どころか"無知"の世界でした。

私「分かんないけど、やってみたいの!!何かしら今はいっぱい(方法が)あるでしょう!?」

私「...それ以外やりたいことないの。ずーっと小さい頃から夢見てたの!」


私の夢はどちらかに揺らぐかと思いました。
これで、大とまではいかなくても"プチ反対"なんてされたら私の端っ切れのような心は折れてしまう...と思いました。


でも、そんなこんなしてるうち、日が経つに連れて
話し合いをしていき少しずつ夢に向かって進み始めることになっていきました。


最初はボイストレーニングを習ってみました。


新鮮で楽しい!これで夢に一歩近付けるのかな?!そんな気がしました。


でも、ボイストレーニングの教室主催の、外部の有名な事務所などを多数呼んで行われるオーディションを受けましたが、どれも思い通りにはいきませんでした。


それに、レッスンではいい先生に恵まれていたので問題はなかったのですが自分の中に一つ問題があることに気付きました。


それは、

「私は、他人から教えてもらって習うのは向いていない!!」

ということでした。


なんだか、習う度に少しずつ窮屈に感じる日々でした。
だから、せっかく先生とは仲良くなったしとてもいい環境で習わせてもらえて恵まれてたけど、名残惜しさもある中、辞めました。


「どうしよう〜、夢への一歩が失われたぁ〜、」
普通だったらそう思うところじゃないですか?


でも、私はその当時もう一つ行なっていることがありました。


それが、「音楽活動」です。

つまり、Open micとうものに出ていました。


Open mic、私も最初はどこかのおしゃれなカフェかなんかの名前かと思っていました。

ですが、このOpen mic、検索する時にたまたま引っ掛かったキーワードで、
最初は音楽活動をするためにライヴができる場所をただただ探してた時に巡り会った名前でした。


私「ええー、こんな素晴らしい文化が日本にもあるなら私も早く参加してたのにぃ!」そう、思いました。

Open micとはつまり、ライヴです。
ですが、普通のイメージするライヴとはちょっと違います。


一般的なライヴとはお客さんからお金を頂いて、
ワンマン(自分オンリー)で行うライヴか、対バン(何人か複数のグループが交代で参加する)で行うライヴがあります。


ですがOpen micは敷居が低くて、主催されるオーナーに指示される金額によって参加費を払い、歌いたい方は誰でも参加できる!というシステムになっています。

いわゆる、音楽仲間が集う場所。と、いう感じでしょうか。

今の私にはそういうイメージがあります。


これを見つけてから、この検索のキーワードのお陰で私の人生は変わりました。


まさに、こういう場所が欲しかった〜!って感じです。


Open micという言葉を知ってからは、
すぐさま私の住んでいる地元でも行ってる場所はないか調べました。

地方の田舎なので正直クリックするまでは、緊張してましたが、案の定良い意味で期待を裏切られました。

「私の住む地域にも有名なOpen micがあるっ!」

日にちを少し置いてから心の準備をして、
その日はドキドキしながら主催者の方に電話を掛けました。


思ったよりも、電話越しの声はやわらかい声でどこにでもいる優しい地元のおじちゃん、みたいな声でした。


そして、段取りを決め会う日にちを約束しました。


ひとつだけ注意点があったのは、
カラオケ音源禁止。と、いうことでした。

その当時私はピアノしか習ったことがないし、
アコースティックギターは中学生の頃にネット通販で買える物をかじった程度だったので、プレッシャーを感じました。

しかもピアノは小学生高学年以来...!(焦りが...)

約束当日までに、ピアノの練習をしましたが
おぼつかない演奏でした。しかも、歌いながらピアノを弾くってやったことがなかったので、物凄く難しい!

練習日も残り少ないので仕方なく、
両手から片手でも弾ける演奏に切り替えてなんとか乗り越えました。

今思えばその当時の私にはそれが精一杯でした。


初めて、オーナー(主催者)に会った日は忘れもしない
全身黒のスーツと裏腹に優しい瞳でお出迎え、でした。

そして、地元で有名な楽器屋さんの店長さんまで呼んでくれていました。

ただただ、嬉しさだけが込み上げ内心舞い上がっていました。

もちろん、この出会いは人生最高なスタートの出会いでした。



それは、言うまでもなく間違いないです!

問題はそこから、ここからなんですっ!笑



結論から言えば、あとは自分の成長、実力次第なんです。


一回一回の、ライヴが満足いくかどうかは、
他の誰に頼るでもなく、自分次第!なんです。

最初の演奏は温かい目で見守ってもらう中、
もちろんこれが今の実力だと分かりながら自分に言い聞かせて、頑張りました。


でも、それよりも何よりも一番は、楽しかった!という記憶の方が大きいです!


やっと自分のやりたいこと叶えたいこと来たかった道を第一歩、達成したー...!という、感じでした。


そこから月日は流れ、あっという間に5年目に入ってました。


ここで、タイトルの"ウクレレ"はどこへ行ったの〜?
と、気になる人も多いでしょうがここからが結論です。


あの日を境に、"きっかけ"がありました。

「周りのみんな(音楽仲間)もギターをやってるし、アコースティックギターでも買ってみようかなぁ?」

そんなこんなで、中学生の頃使っていた通販で買った昔のアコースティックギターがどこからか出てきました。


よし、これでおぼつかないピアノからも卒業できるかも〜!

と、思っていたら大間違いでした。


順調にいっていた練習が、
ある日誰もが苦戦するという、Fコードで挫折してしまいました。

かなり指がつりそうです。押さえ方が難し過ぎる...💦

しばらくの間、アコースティックギターもピアノからも遠のきました。

その間も、オーナーにライヴ参加のキャンセルの電話をすると、
オーナー「何言ってるの、場数が大事なんだから、出なよ!」

と、言われてしまいました。(その気持ちはありがたいし、嬉しいんですが今の私には...😭トホホ)


という、気持ちで重い足を引きずりながらでも
ライヴ会場へ向かいました。


そんな中、それを見兼ねたお母さんがこんなことを言ってきました。


お母さん「ウクレレでも、やってみたらぁ〜?」

・・・。


先にお伝えしときますが、もちろんお母さんは
ウクレレをやったことがありません。


むしろ、後に私が教えてあげるくらいのことにはなるのですが、
その当時お母さんは小さくてかわいい楽器だし、
音も私に合ってる気がするから!という直感だけで選んでくれました。


そこから、Open mic初日当日に来ていただいていた楽器屋の店長さんの所へ家族総出で行って、私のためにウクレレ選びを始めました。


最初から値段のいい物を買うと、長続きしなかった時にもったいないしどうなるか分からないから...と言うお母さんのアドバイスで黄色の5000円くらいで買える安くて可愛いウクレレにしました。


余談ですが、インスタグラム上のウクレレ界ではMyウクレレに名前を付けるのが当たり前らしくて、私はさっそく、「"パイナポーちゃん"」と名付けました。(もちろん黄色だから。)


店長さんは安い楽器は、おもちゃみたいなもんだよ。(きっとプロ目線だから..。)と、言っていましたが私にとってはとてもいい音のなる貴重な楽器でした。


やっぱりプチ挫折することもありましたが、
数ヶ月間、間を置いたくらいでアコースティックギターの時のようにはなりませんでした。



「楽しい!楽しく続けられる!」



そんな輝きを増しました✨



それからというもの、私のウクレレシンガーソングライターを名乗るというのには最適な楽器で、

沢山、オリジナル曲を作詞作曲できるようになりました。

今では30曲以上はできました。

お母さんの我が子を見る目はさすがと言わんばかりの直感力を頼りにして、ここまで音楽生活が弾むとは思っていませんでした。

あれから世界に一つだけのオーダーメイドウクレレもハワイからやってきて、
人前に立つ時は必ずそれを使っています。しかし、

第一に我が家にやって来た、first ウクレレ。

パイナポーちゃんも、作曲をするときに活躍しています。


なぜか、分からないのですが作曲するときはこのウクレレじゃないとスラスラ進みません。



きっと、魔法か何かを掛けられてるのかはたまた、ご縁なんでしょうね。


いつか、この"おもちゃのようだよ"と、アドバイスされたfirst ウクレレも人前に立って披露する時がくればいいなと思っています。

なんせ、アンプに繋ぐピックアップ(ケーブルを繋ぐ穴)が取り付けられていないですが。


でも、この子の声をよ〜く聞いて判断してあげたいと思います。

もしかしたら、このまま家で作曲をしながら、私の元で活躍したいよ。と、

言うかもしれないし、いや!前に出てみんなに私の歌声を聞いてもらいた〜い!


と、いうかもしれません。


それは、やっぱり楽器次第なので私は
ウクレレの気持ちを優先したいと思います。


最初から目的があってやってきたわけじゃない、first ウクレレ。


そのウクレレはどんな楽器よりも、特別なのかもしれません。


人前で演奏する為に作られて、決められてやってきたハワイのウクレレとは違い、


安いけれど、それはそれで選択肢まで楽器次第で決められるんですから特別な使命があったのかもしれません。


"自由"です。


それがまさに、ウクレレ本来の魅力、素晴らしさです。


アコースティックギターは6本の弦ですが、
それに対してウクレレは4本です。


たったこれだけの弦で迫力があるの?
何ができるの?なんて思っていました。


でも、今となってはきっといつかお母さんと
お別れが来る日が来た時は、最高のプレゼント
最高のお母さんからの贈り物なんだと思います。


だって、私にとってウクレレは一生涯の相棒になりました。


そして、最高の音楽家としての武器にもなりました。


私から探して出会った訳じゃないけど、
お母さんからプレゼントされたなら仕方ない、
とてつもなく最高の贈り物です。



これを執筆した日がちょうど、母の日5月14日でした。



この音楽活動物語は、
決して私だけじゃない、音楽愛がある人なら誰でも分かると思います。


人前に立っていようが、お家だけで弾いていようが
あなたにとって大切な時間と空間と愛しい感情を送ってくれる贈り物、それがウクレレです。



きっとこの先結婚しても、子供が生まれても、
歳を取ってもずっと離れられないことになるのがウクレレです。



最高なこのことに気付かせてくれて、ありがとうお母さん。



これが、ウクレレと私の物語です。



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