幸せの小さなユニットバス

こんにちは。ヨガインストラクターの吉田紗弥です。9月も半ばに入り、栗や秋刀魚など秋らしい食材が見られるようになりました。皆様いかがお過ごしでしょうか?
今回もヨガのお話から始めてまいりたいと思います。今から約2000年前に成立されたとされるヨガの根本経典「ヨーガスートラ」には私たちの生活をより良くしていく賢者の教えが記されております。その中から一説ご紹介します。
「サントーシャによって無常の喜びを得ることができる。」

この一説のサントーシャとは日本語で「知足」という意味があります。すでに満ち足りているということを知ることによって無常の喜びを得ることができるという一説です。

大昔、水道も冷蔵庫もない時代には、その日の水や食料を手に入れることは死ぬか生きるかの問題であり、私たちはすぐに足りないものを見つけ出すことができなければ生物としていき残ることは難しかったのです。ですので私たちは常に足りないものに目を向けるように遺伝子にインプットされているのです。
けれども現代になり、便利な世の中になった今、足りないものに目を向けすぎると欠乏感が生じてしまいます。現在、世界の幸福度調査を見てみても日本は物資的に恵まれていたとしても、「自分が幸せである」という意識は他の国に比べて少ないようです。

人生の豊かさを考えたとき、私たちはないものに目を向けすぎるのではなく、すでに自分自身が持っているものの存在に目を向けることを思い出した時、私たちは大きな喜びや感謝の気持ちを得ることができるはずなのです。
例えば、すごく喉が渇いている時、目の前にコップに半分水が入っていたとしましょう。この時、コップの空間の部分に目を向け「半分しか入っていない」と考える時、悲しみや失望感を感じてしまうかもしれません。けれどもコップの水の部分に目を向けると「水が半分もはいっている」という喜びや嬉しさが湧いてくるかもしれません。

私たちは日常生活の中で自分にとって足りないものに目を向けがちですが、すでに手にしているものの存在に目を向けることですでに満たされれているということに気づくことができ、心のあり方ひとつで幸せを感じたり、悲しみを感じたりするのです。

私の話になるのですが、私は大学生の時、京都で一人暮らしをしておりました。
大学が清水寺の近くにあった女子大に通っていたのですが、その一人暮らしのアパートは清水寺のすぐ近くにある坂の途中にあり、7.5畳でその中に1つのコンロのキッチンと冷凍庫のついていない冷蔵庫があり、洗濯機は共同、そしてお風呂とトイレが一緒になっているユニットバスでした。
私は貧乏学生だったので週3、4でバイト、そして食費を節約するために飲食店でバイトしながら賄いを夜ご飯にし、ランチは食堂で300円以内と決めて生活していました。
一方、私の友人の多くはお嬢様も多く、学校から歩いて3分の女性専用の新築マンションで、オートロック、そしておしゃれな中庭がついており、広い部屋に住んでいる子が多く、しかもバイトをしておらず、遊びに行けばおしゃれなペペロンチーノなどのご飯を振る舞ってくれるのです。
羨ましいなぁ、私もこんな生活がしたいなぁと彼女らを羨ましく思い、もっといい生活がしたいと学生生活を過ごしていました。

そして卒業間近に近続き、別の大学の友人が突然卒業の旅行でバックパッカーで旅行するということで、誘われたのです。彼女はヨーロッパやアフリカを旅していたのですが、私は途中から参加ということで、モロッコに一緒に旅行することになりました。バイトで貯めたお金で航空券とホテル代を貯め、旅行はモロッコの空港がある首都のカサブランカ空港に現地集合になりました。

航空券も一番安い航空券を買い、エミレーツ航空で名古屋のセントレア空港からドバイで乗り換え、カサブランカに向かうというものです。
そしてそのフライトが名古屋からドバイまでが何かの理由でかなり時間が押してしまい、ドバイからのカサブランカへの乗り換えの時間がほぼないような状態でドバイの空港の中を全力で走り、なんとかカサブランカ行きのフライトにのり空港に着いたのです。
しかし着いたのは良かったのですが、乗り換えの時間があまりにも短かったため、私自身は間に合ったものの、荷物が間に合わず届いていなかったのです!
当時はどうすることもできず、スタッフに助けを求めたけれど、荷物が遅れるのは当たり前のようでスタッフは真顔で平然としており、友達と私は、カサブランカから出ることができず、旅行の予定が崩れ、友人とカサブランカで一泊することとなったのです。
そして初めてのモロッコの旅行は全く日本と異なり、発展途上国であり、郊外はインフラが整っておらず電車は時刻表もなく何時に来るかもわからず、1時間まちは当たり前、そしてバックパッカーでの貧乏旅だったので、泊まるホテルはどこに行ってもお湯が出ず、冷たいシャワーで体を洗っていました。物々交換は当たり前で、そしてある日は、変圧器が壊れ、携帯の充電ができず、写真が全く取れない状況になったりと旅は踏んだり蹴ったりの毎日でした。

それはそれで良い思い出となり、とても楽しい旅になったのですが、日本に帰ってきた時は、ものすごい安心感と日本の居心地の良さに気づいたのです。

京都のアパートに戻るまでには新幹線が時刻通りに来て、丁寧で迅速なサービス、そして夜は明るく出歩くことは当たり前にできて、アパートに帰ると作ったお味噌は最高に美味しく、そのアパートの小さなユニットバスにお湯を張って小さなユニットバスに入り旅の疲れを取ると暖かい気持ちと旅の余韻に浸ることができました。

そして気づくとこのアパートは窮屈で、お金もなくひもじいなぁ、と周りの友人の生活がとても羨ましいと感じていましたが、安全安心で治安も良い日本で、京都の清水寺という世界遺産のもとで生活ができ、当たり前に温かいお湯のシャワーとユニットバスで素晴らしい贅沢さと喜びを感じることができたのです。

私たちは日頃、ないものに目を向け、今の生活に不満を抱いてしまう時があります。けれども今自分が持ってるものの存在に目を向けることができた時、私たちは大きな至福感と充実感、そして感謝の思いを思い出すことができるはずです。

まるでありのままの世界を自由に飛び回り世界を楽しんでいく蝶のように、私たちもあるものに目を向けもっと自由に人生の喜びを見つけていくことにしましょう。


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