「書くこと」で見えてきたもの。
疲れた顔のママ友と話したとき、「1人の時間を持ったほうがいいよ」そんな薄っぺらい言葉しかでてこなかった自分に幻滅しました。
伝えたいことは普段から言語化していないと、伝わらないんだ。だから記録しておこうとnoteに書いています。
わたしはずっと「片付け」をしてきたので、現在はキレイな部屋で過ごしています。片付けたのは正解だったけど、それだけでは物足りなくて。
で、片付けたあとに何をしていたかというと、金継ぎをしていました。
食器を修復する作業をしていたんです。
なぜ、割れたお皿、欠けた食器を修復していたと思いますか? 捨てたほうが簡単です。捨てるならゴミ箱にポイっとすればいい。だけど、できなかった。なぜか、できなかった。
金継ぎをしていると静かな時間が流れました。割れたり欠けたりした食器を修復することは、自分の心を整える時間でもありました。それが心地よかったんです。
部屋を片付けたこと。食器を金継ぎしたこと。それは、自分を良いほうへと導きました。
ある日のことです。
2020年の手帳を読み返していたら、「キッチンを片付ける」のほかに、「すみません」は言わないと書かれていました。
なぜか普通に生きているだけで人に謝ってばかりでした。子供が熱を出すたびに仕事をお休みしなければならなかったし、残業はなるべくしたくなかったし、夫と子供を1番に考える生活スタイルだったからです。
いつか「すみません」を多用しない世界へ行きたいなと、ぼんやりと思っていました。
「片付け」や「金継ぎ」が自分の心を整え、居心地の良さへとつながったように、「書くこと」も同じでした。
夫にいつも「お金にならないことをしている」と小言を言われるけれど、「書くこと」は自分の心を整え、居心地の良さへとつながっています。
それが3年経ってわかったことです。
仕事を辞めて専業主婦になってから「お金」のことを考えるようになりました。「応援」や「御礼」のためのお金は、会社員で得た収入の100倍くらい嬉しいです。あなたの勇気や心づかいに感謝しています。