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わたしの頭の中

わたしの頭の中では、いつも、文章がとめどなくあふれている。ずっと頭の中の誰かさんの音読を聴いているような、あるいは勝手に動く万年筆が紡ぐ文章をぼんやり眺めているような、独特の感覚のなかにいつもいる。

物語は現実に近いところを漂っていることもあれば、果てしない空想の世界に旅立っていることもある。こころのなかの物語に夢中になりすぎて、起きているのに電車を乗り過ごしてしまうこともしばしばだ。

私は、それが普通だと思っていた。物語を作るのに、まずプロットを書く、とか、文章を書く前に設定をこまかに決める、とか聞くと、彼らは敢えて聞こえてくる誰かさんの文章に耳をふさぎ、いったん論理のフィルターにかけた後再構成しているのだと。私はどうしてもそれができなくて、聴こえてくる物語を消えてしまう前に必死に書き留めてばかりいる自分に呆れていた。

だが、先日あるnoteを読んで、みんないつも物語を聞きながら生きているわけではないのかもしれない、と知った。そのnoteによると、発話は3パターンあるのだという。

(1) 耳タイプ:発言しながら同時進行で正誤を判断する

(2) 目タイプ:自分の思考が文字になって流れている

(3) 内臓タイプ:自分のなかに湧いてきた思考を内蔵で確認しながら言葉にする 

そして、これは行ったり来たりするものではなく、人によって異なるものなのだと。この話は私にとって、なかなかの衝撃だった。

と同時に、プロットを書く、とか、設定をこまかに決める、とか、これまで幾度となく挫折してきたプロセスは、そもそも私にはかなり難しいことだったのかな、とも気づかされた。

先日、「君の夢を、聴かせてよ。」という小説を書いた。一度丁寧に小説を書いてみたくて、プロットや設定のようなものを、作ろうと幾度も試みた。だが、できなかった。

机に向かい、書こうとした瞬間、「私」も「君」も、それらをとりまく地の文も、勝手に動き出して止まらないのだ。「君(はじめ優くんに名前はなかった)」はおしゃれなホテルでさっそくお酒を飲みだすし、「私」も景色を眺めているし、なんならまだ思い出す場面になっていないのに、披露宴会場で「君」の同期がこっちに向かってくる。いったん耳をふさいで設定づくりに集中しようとしても、物語はいっこうに止まってくれない。

苦戦したまま数週間が過ぎ、このままでは締め切りが来てしまう、ということで、仕方なく書き始めた。空き時間に少しずつ聞こえてくる物語を書き留めた。

するとはじめて、物語の足りないところが見えてきた。

私と君はどこで出会ったのか。君は何をしている人なのか。(頭のなかでの物語では、優くんは『なにか創ることを目指している人』なだけで、画家なのか作家なのかはたまたほかの何かなのか、分からない状態だった。)

おしゃれなホテルで私と君はなぜ乾杯しているのか。

どこだろう、何をしているのだろう、なんでだろう、と考えて、その部分の物語が流れてくるのを待つ。流れ始めたら消えてしまわないように脳内で反芻して、時間ができたときに書く。数日それを繰り返して、物語が完成した。

効率のいいやり方とは言えないかもしれない。それでも、「ひたすら流れてくるものを書き留める」だけではなく、意識してひとつの物語を「作れた」ことは、私にとって大きな喜びだった。

ちょっと変わったやり方だけれど、頭の中の誰かさんと話をしながら、物語が作れるようになったらいいな、と思う。

余談。

この文章を書くのにかかったのは32分。敢えて流れてくるものを素直に書き留めた場合、このくらいの文章量でこのくらいの時間、このくらいの完成度になる。

たぶん、「そこそこ」なのではないか。速さも時間も完成度も、そこそこ。そこそこのものは書けるけど、それ以上のものはなかなか作れないのが、物書きになりたい「目タイプ」の人の悩みなのではないかな、と予想する。

頭の中の誰かさんの語りはタイピングより速いので、必死に追いかけるし、追いつけなくて何度か同じ文章を繰り返し言わせたりもする。頭の中の誰かさんはいつも呆れてこっちを見ている。その目線に心苦しくなるのも、きっと「目タイプ」の人の悩みだ。

(参考:文章中で紹介したnote)

発話のパターンを「ミドルプット」という独自の概念でまとめられたnote。


「君の夢を、聴かせてよ。」



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