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ブルックリンに、「ある光」。

こんにちは。
一週間以上振りの投稿となります。
お元気ですか。
私は、出てしまいました。
アレルギー症状です。
以前、診断名を初めて聞いた時、初耳過ぎて何かの早口言葉かと思いました。
友人から教えてもらった皮膚科・形成外科のドクターに出会う前まで、10代の頃から何箇所の皮膚科に通ったのか数え切れません。
その都度、跡形も無くキレイに治ってくれていたのは、ありがたいばかりです。
原因は、「ストレスかも…」と言われる事も多々ありました。
しかし当の本人である私が「ストレス」という概念を元々持ち合わせていないので、互いに首をひねるばかりでしたが、それでも毎回キレイに治して下さり、ありがたかったです。

そして現在のかかりつけ医院のドクター・院長は、今までの服薬が正反対の効能の方向性だった事と、聞いたことの無い診断名を紙に書きながら私の症状を数秒間、ひと目で仰っしゃり、驚きました。
私の友人数名も同じクリニックに通いますが、ドクターの勢いとスピード感とズバリと言われるご指摘に、私と同じ位の大人年齢の友人が受診時に涙を出して泣いてしまうという事態になるのですが、それでも皆で、ドクターが好きです。

去年から現在は出来ていませんが、友人数名での"飲み会"では、なぜか必ずドクターの話題に尽きなくなる事もよくありました。
支障が無い程度の内容ですと、ある時、私の友人に中々治らない皮膚症状が出てしまい、初めてドクターの元を訪れ友人が「ストレスとかですか…?」と質問したところ、ドクターは「あのね、僕はあなたの人生について何も知らないし、今までどんな人生を送ってきたのかも知らない。僕の仕事は、治すことだけ!」など言われ、泣いてしまった…というエピソードがありますが、やはり治して下さる確かな目利きと治療と、ドクターの魅力溢れるキャラクターの為、結局は皆で集まると「この前、○○先生の所に行ったら…」という話題になるのでした。

私の場合は、泣くというよりハッとさせられるドクターの言葉に毎回、楽しく笑い合ってしまうという感じです。
ある時、止せばいいのに、ドクターに「原因は、何ですか…?」などと聞いてしまい、ドクターは「原因はわからないよ。そもそも原因がわかったら世の中に病気なんて存在しない」と言われ、納得しました。
例えばスギ花粉症の主な引き金はスギ花粉の存在でしょうが、突き詰めていくと、ドクターの言われる内容へ行き着くのかも知れません。
良い先生に出会えました事、本当にありがたいです。

前回の投稿時の、色々頑張ってみますという内容の通り、ふと気付くとソファで眠ってしまう毎日ですが、さすがに昨日から"お休み"しています。
両腕に出た症状の為、痒いよりも痛くてたまらず、神経までビリビリ痺れる感覚と共に、両腕に力が入らず、ペットボトルの蓋も開けられなく、スマホも重くて持てません。
にも関わらず、今、画面を置き、タッチペンで入力しています。

何気ない日常会話をする相手が、私にはおりません。
元々、友人ともまめに連絡をし合わない私ですが、特にこのような世相の中、より一層、無言で過ごし続ける日々です。
寒いねも暑いねも雨だねも、お腹空いたねも、今日は頭痛がするよも、美味しいねも楽しいねも、一切の何も無い自宅内に、慣れたフリをし続ける私から私自身がまずは脱却しようと、立ち上がった一週間前から、作業用手袋の手首ゴム部分に肌荒れしてしまう為、綿100%の白い手袋で、段ボールとテープとハサミとゴミ袋にまみれながら奮闘してきましたが、寝る間を惜しんで勢い付き過ぎました。

時に休憩を挟もうと思いつつも今やらねばという観念で、ひたすら突っ走るのは私の癖ですが、身体は正直で、こうして暫し休まざるを得なくさせてくれます。

ただ、私には5月初日、予約をし、とても楽しみにしていた予定がありました。
腕も中々動かせない程の症状と、今までの体感上、今回は両腕だけで治まりそうですが、やはり一週間後までの治癒は望めない予測の為、又、直前キャンセルも申し訳無い気持ちが先走り、考えた末、先日、予約をキャンセルさせて頂きました。
そして尚一層、キャンセルしてしまい本当に申し訳無いという気持ちで一杯になり、もうたまらない気持ちで一杯という現在です。

そしてやはり私は悲しくなってしまう気持ち、寂しく侘しく感じてしまう空虚のような心の穴、そこに入ってしまわぬよう、早く治して自宅での作業も黙々と開始したいのですが、やはり考え直し、機会というタイミングはきっと好機に存在するはずだから、それは今では無かったのかも知れなく、今現在では無く一日後かも知れず、今の目視ではまだまだ治癒しないと思える症状も急好転するかも知れない、と逡巡しています。

以前からの予定では、私は今頃、他の市内に三泊四日の二日目滞在のはずでした。
一泊で行ける所ですが、たまには違う所でのんびりしようと、月曜日の予定の為に、前泊から後二泊の宿も予約し、楽しみにしていました。
予定自体はありがたい事に中止では無く「延期」になり、楽しみな期間が増えたので、より楽しみになりました。
中止でも仕方の無い世相かも知れない中、延期を決めて下さった皆さまの御決意と「勇気」に、感動と感謝の気持ちしかありません。
ありがたいです。

そして、現在のアレルギー症状は別とするならば、せっかく予約をした三泊四日、予定は無くとも、昨日から一人で行ってしまえばよかったな、と思います。
ホテルをキャンセルした後でこのように考えても仕方ないのですが、ただ一人で道を歩くだけでも、一人でホテルの部屋に居るだけでも、何か楽しかったはずだな…と想像します。
当初は、その三泊の後、まだ一席だけでも有るならば少しだけ足を延ばして他の所へも行こうと考えていましたが、"無観客"となったので、それは伺えなくなりました。
しかし配信を拝見出来るだけでも有り難いと思います。
いつかは、必ず、伺えます。
その時への楽しみが増しました。

こうして入力していると、普段、日常会話の無い私にとりまして、とりとめのない内容で失礼しますが、段々と整理されていくので大切な行為であります。
ポジティブ一辺倒にもなり切れない私ですが、この入力から何かネガティブを醸し出してしまっていたら、大変失礼致します。

ポジティブとネガティブを両方併せ持ち100%に出来上がっている自分だと、つくづく感じます。
99%嬉しくとも1%疑いを捨て切れなかったり、本当に面倒な自分を自分でも嫌になりますが、そこでも又、99%自分が嫌でも、1%自分大好き、が存在し、それをまた別の自分が俯瞰しています。
疲れます。
そして、その疲れも99%の疲労と共に1%の愉快が存在するという、激しく面倒な話になりつつあるので止めておきます。

段々、元気な気分になってきました。
乗り物に乗りたい気持ちになり掛けながら、今、出来る事をまずは再開してみます。
腕に力が入れられませんが、何か良い方法を考えたり、次に出来そうな事への取り掛かりは、イメージだけでも上限は有りません。

こうして立ち止まると、気付くことも沢山あります。
知らぬ間に、何か色々を背負う事を選択してきたなぁ、とも思います。
自らの選択です。

「人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。
不自由を常と思へば不足なし。心に望み起こらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思へ。
勝つことを知りて負くることを知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるに勝れり。」
徳川家康

突然、家康公に御登壇頂いてしまいましたが、何度読んでも、只々凄いなぁという感想です。
もし私が江戸時代に生きていたら、立場としては、城下町の「町人」の娘、町娘であります(これは本当です)。
(なぜか唐突に、江戸時代の設定へ…)
想像ですが、多分、楽しかったはずです。
江戸時代から現代、大して壮大な時間は経っておらず、そう考えればイチ町娘の私が家康公の視点や景色での「背負う」という表現に、どこまで理解出来るのかと想像力を駆使せずともわかるのは、理解できるはずも無いという事だけです。
比較とかの次元では無いかと思います。

言い換えれば、町人の娘である町娘の私にも、私なりに出来ることは沢山あります。
家康公のように、家康公のスケールでの「背負う」という内容、私が私なりに「背負う」と思ってきた内容を、私は「背負う」では無く「抱(いだ)く」に置き換えてみます。
背負うとなると、重みを重く見繕い勘違いから押し潰されそうなイメージです。
抱(いだ)く、ならば、共にある、というイメージで、守るべきものを抱きながら、その温もりと共に進んでいけそうなイメージです。
伴走もしたいです。

伴走というと「マラソン」「駅伝」などが浮かびます。
私の部屋の窓からは、「ブルックリン・ブリッジ」が見えます…いえ、すみません、違います。
本当、すみません。
国からして設定に違いは多々ありますが、毎年「駅伝」のランナーが、その勇姿と共に疾風の如く往復路、駆け抜ける橋でもあります。
私が心の中で勝手に呼んでいるその橋が架かるこの地は、マンハッタンから見るとブルックリンの位置付けみたいだと常々感じているので、橋はブルックリン・ブリッジ、ここはブルックリン、という設定です。
(デトロイトっぽさもあるかと思います…)

江戸時代からニューヨークへと飛びましたが、この世界の様々が凝縮され溢れ出ているようなこの街から、流れる川を挟み「マンハッタン」へと繋がる「ブルックリン・ブリッジ」を眺めながら、今日も様々な想いを馳せながら、今日も一生懸命、生きています。
この街には、善悪や倫理や不徳の概念をも全て同じく包んでしまう様な雰囲気が有り、しかもそれらが常に溢れ出ているようなまとまら無さもあり、何とも不思議です。
私には日常なのですが…。

この数日間で「路上飲み」「路上飲酒」等の言葉を見聞きしますが、学区内の通学路でも早朝から道のあちこちでの「宴会」を楽しそうだと思いながら歩いてきた私としては、今さら感というものすら浮かびます。
この街にもしもルールがあるとするならば、ゆるしあう、という暗黙の気持ちや、最早ゆるす許さないという概念すら不要で、只々一生懸命生きている街だと感じます。
生命のうねりが聞こえます。
命が光っています。
一人ひとりの命は、眩しく光るものなのだと最近、よく思うようになりました。
時にその光は鈍い明かりになる事はあれど、消えることの無い灯りです。

まだまだまだまだ、これからです。
突然、アレルギー症状が好転し、行きたかったところに行けるようになるかも知れません。
どうなるのかわからない事を不安に変換せず、楽しさと一生懸命に変えていこうと、今日も生きていられます。
ありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。



小沢健二 - ある光

小沢健二の17thシングル。
1997年12月10日発売。

作詞・作曲・編曲 小沢健二

「この線路を降りたら赤に青に黄に
願いは放たれるのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに」

小沢健二「ある光」歌詞より




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