泥を泳ぐ魚

20歳になったら死のう、と14歳の時に思ってから情けないことに10年近く経ってしまった。結局今は30までは生きれるまで生きてみるか、くらいの気持ちでいる。

一度世界に絶望して「死にたい」と思ってしまった人間は二度と戻ることができないのだという。だったら私はこの“死にたさ”と一生付き合う心づもりでいるしかない。喉元に柔らかく押し当てたナイフに迸る自分の血潮と痛みをやり過ごしながら生きるしかない。

私の最初の目標は20歳。そんなの大学生まっただ中なわけだが私は入学早々コンプレックスを拗らせて死にかけることになる。

こんな私にも友だちらしきものがありがたいことに数えられる程度だがいるのだが、うち一人がどうしようもなく私の劣等感を掻き立ててしょうがないときがある。仮に彼女をはちちゃん、と呼ぶことにしよう。

彼女とも長い付き合いで結局のところ付き合いの長さを正確には覚えていないが、16年は同じ学び舎で過ごしたのだから人生の半分くらいは付き合いがあるのだ。そんな彼女に対して私の心はたまにちりちりと煙を吐き出す。火種はなにかは分からないが、とにかくその時私は有害物質の煙を巻き散らかす煙草と化してしまう。

例えば、いつだって彼女は私より成績が良かった。絵が上手という、人がパッと見ても示せる特技を持っていた。背も小さくて、何より愛嬌があった。

いつからか人と目が合わせられなくなって、人と話すのが恐くて仕方のない私とは大違いだ。

何よりはちちゃんは、ちゃんと彼氏を作ったことがある。

大学1年生の初夏だったろうか。はちちゃんが同じサークルの先輩に告白されたと密やかに報告してきた時、私は衝動的にそのまま三階の講義室から飛び降りようとした。結局理性が勝ってそのような珍事を起こすことはなかったのだけれど、私はなんだか無性に悔しくて辛くて惨めで心の中に大雨が降ったようだった。足元がぐちゃぐちゃに泥濘むような。

あの子はこんなにもキラキラしてるのに、どうして私はどうがんばってもダメなんだろう。

それでもなお私は「いつもどおりの私」の仮面をかぶっておどけて「なんで私には良い恋ができないんだろー」はちちゃんは答えた「いつかきっと彩佳ちゃんにもあるよ、そんなこと」

ぐさり、柔肌に刃物が突き刺さる。

いつかって、いつだろう。

私は今すぐにでも死にたいのに、来るか来ないかもわからない明るい未来なんて待てない。

そもそも、そんなものが私に訪れるはずなどないのだ。

こんなオタクで、腐女子で、メンヘラの私を好きになる人なんているはずがない。いたら絶対その人はおかしい。狂ってる。

でも私だって本当は救われたい。暗がりで息を潜めているこの真っ黒な私の手を引っ張り上げて明るい所に連れて行ってくれなくたっていい。ただ傍にいてさえくれれば、離れないでいてくれればそれでいい。

けれど私はわがままだから誰でもいいとは言えない。私が好きになった「あなた」にそうしてほしい。

笑顔を形作ったお面の下で惨めで泣いていた。

っていうか、そもそもあなたは私より上の学校を志望していたのにセンター試験が終わって私の志望校まで下げてきたじゃない。私の席を脅かしてまた一緒になれたらいいね、って笑ったよね。そんなことをされたら私が座れるかもしれないはずの椅子が一つ減ると恨みさえした。うまくいっていればここにいなかったはずのあなたがどんどん成功していくのを、どうして私に見せつけるのだろう。それとも、こんな醜い心の人間はやっぱり生きている価値などないのだろうか。

嫉妬と劣等感でめちゃくちゃになった私は多分3年ぶりくらいに、手首に赤の真一文字を刻み込んだ。

とにかくその頃の私はめちゃくちゃだった。単位をぼろぼろ落として涙もぼろぼろ落とした。けれどそんな姿はだれにも見せまいと人前では唇の端をつり上げつづけていた。

最近やっと気がついたのだが、私はどうも環境が変わると適応不全を起こしやすいいきものらしい。そういえば高校も最初のテストはぼろぼろだったなァ、多分それとおんなじことが起こっていただけなのだ。今思えば。

中学に上がった時分はそんなことはなかったはずなのだが、と思うとやはりこっち側に転げ落ちてしまったのが原因なのだろうか。それとも思春期になにやらホルモンみたいなものでもあったのか。

口の中の皮膚をずたずたにしながら、大学生らしくバイトもしたしサークルもしたし、次の学期からはうまい作戦を考えて単位を落とすことはなかった。

片隅にちらつく恋したーい!という欲求は見ないふりをしていたのだけれど、実はこの頃少しだけまた恋をしていた。同じ学科の男の子である。第2外国語やらなにやらが被って一緒に海外研修に行くなどすることにも成功したのだが、如何せん大きな壁が立ちはだかっていた。

彼と親しくしている同期がいた。それはまあいい。ある時彼女がべろんべろんなテンションで私に多量の薬を見せてきた。話を聞くにどうやらメンタル系の薬らしい。まあ確かに彼女には双極性の気があった、と素人目には判断できた。

そこで私は思ってしまった。ダメだ、これ以上彼にメンヘラの介護をさせてはいけない。こんな女が彼に近づくなんて申し訳ない。一応私はその頃はまだ病院にかかってはいなかったが自分にもそういう気質があることを認めていたので潔く彼とはちょっと親しい友人程度で引き留まろう。そう考えたのだ。

非力な私が大荷物を抱えて野太いうなり声をあげているのを見かねて手を貸してくれようとする優しい人だ。その手を煩わせたくなくて、強がって「大丈夫」と答えてから思う。

やっぱり私、かわいげのない女。

今日も私はにっこり笑って、悲しい事なんてなんにもありません、問題は自分で解決しますのでお構いなく、という顔をする。

家に帰って悲しくて、寂しくて、明日が恐くて泣いていても外での私はそういう顔をするのだ。だってもう10年、そうやって生きてきたんだから。

衝動的に死にたくなったら死ぬかもしれないし、まだ思いとどまるかもしれないし。

喉元のナイフは時折場所を変えて私を抉るけれど、私を本気で殺そうとはまだしていないのだ。



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