人生、適度に手を抜くのがいいんじゃないか。
こんにちは、さやか先生です。
先日私にも、ちょっとしたケアレスミスがあったので、最近意識している、適度な手抜きについて話したいと思います。
完璧主義は完璧ではない
まず、前提として、私はかなりの完璧主義でした。そのことに気がついたのは最近なのですが、とにかく何度もチェックをして、ミスを徹底的に無くさないと、気が済まないタイプだったのです。
何の疑問も持たず、そうするのが当たり前だと思っていたのです。
でも、ある時気づきました。
絶対にミスしたくない、と思うといつまで経っても完成しないということに。
人間だし、ミスをすることもある
そうやって完璧を目指しても、悲しいことに見落としてしまうことがあるんですよね。
複数の人間で、くまなく確認しても稀に誤植があるように、自分1人ならなおさらです。
仮に、時間をかけてミスのない資料や文書を作ったとしても、根本的に方向性が変わったらイチからやり直しです。
それよりは、序盤は方向性の擦り合わせをして、中盤で精度の高いレビューを行い、世の中にアウトプットしてからも修正を行う。
最近の(特にアプリなどの)商品開発もそうなってきていますよね。
致命的なものだけ避ける
とはいえ、伝えたいことが何だかわからないレベルで間違っていたら、修正レベルでは済まないですし、個人情報やお金に関することはある程度シビアにするべきかなと思います。
逆に言うと、それ以外は段々完成させていく、という考え方ができると、全体的な効率も完成度も高まるのではないでしょうか。
手抜きには勇気が必要
手抜きというと、ただ楽をしているように捉えられるかもしれませんが、自分の中で未熟と思うものを開示するのは、はじめのうちは勇気がいります。
私も以前のマインドなら、毎日noteを書くことは難しかったでしょう。私のnoteの書き方としては、頭の中でざっと構成を考えて、スマホかパソコンで書き上げ、最後に軽く読み直して終わりです。
誤字脱字もあると思いますが、
「間違えてても、まあ命まで取られるわけじゃないからいいか」と、ある種の開き直りで書かせていただいています。
信頼ゆえの手抜きもあるが・・・
以前、他人の文書をチェックしていたときに、1つの文章にいくつもミスがある人って、どんな風に書いているんだろう?と不思議な気持ちでした。
また別の話で、「さやか先生は読解力があるから、適当に伝えても伝わると思ってる」と言われたこともあります。
相手(私)の理解力に任せよう、修正してもらおう、というタイプです。信頼されていることは伝わるのですが、本来その人がやるべきことをさぼっているとしか言いようがありません。
何事も"適度"が大事で、雑になってはいけません。特に、相手との関係を大事にしたいなら余計に、です。メールやLINEなど、簡単なメッセージでも、相手に思いやりを持って送りたいですね。
それでは今日は、この辺で。
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