見出し画像

【修論】 1.1. はじめに

以前、私が日本の大学院で書いた修士論文の目次をTwitterで載せたら、意外にも「読みたい!」という物好きな方が多かったので、




すこしずつその論文をかいつまんで、読みづらいところはリライトしながら公開していこうと思う。論文は172ページにも及ぶので、全部やろうとすると私絶対飽きる&読者も絶対飽きるので、気ままにゆるゆるとやっていきたいと思います。

今日は、論文の最初にくる「はじめに」。ここは、この論文に一体何が長々と書かれているか?なんでこの研究しようと思ったのか?などを含めた全体像を読者に提供する「完全ネタバレ部分」である。ここはわかりやすいと思うので、ほとんど原文ママです。


画像1

はじめに

現代の社会環境が極めて予測不可能で困難な状況に直面していることの認識を言い表すものとして「VUCA―不安定性(volatility)・不確実性(Uncertainty)・複雑性(Complexity)・曖昧性(Ambiguity)」という言葉を聞くようになった。新型ウイルスの世界的蔓延、台風や豪雨、地震などの自然災害など、我々の生きている社会では予測不可能なことが日常的に起こりうる。そのような状況下では、専門家ですら明確な答えを持ち合わせておらず、地球上の一人ひとりが他者と協力しあって問題を解決していくことが不可欠である。また、その解決方法にも多くの選択肢があり、ひとつの問題を解決するまでの過程でまたさらに別の問題が発生し、知識を生み出すことでまた新たな知識を生み出さなければならないという、まさに複雑さを極めた状況がどこまでも続いている。このような社会情勢の劇的な変化を背景に、地球上の一人ひとりがより賢くなっていく必要性がますます高まってきている。そしてそれに伴い、学校教育は変革の時を迫られていると言える。

見通しが立たない現代社会を生き抜き、持続可能な社会を構築していくためには、学習者自身がその人なりの考え方の枠組みを作りだし、自ら課題を見つけ、他者との関わり合いの中で解決策を見つけ出していくことの繰り返しが求められている。米国学術評議会(United States National Research Council ; NRC)から出版された「How People Learn(人はいかに学ぶか)」では、各教科で整理された学問分野はそのための知識として存在しているのであり、それらについての深い理解を獲得しながら、生涯に渡って学び続ける「自立した学習者の育成」を教育目標とすべきである、とまとめられている(Bransford, Brownand Cocking, 2000)。以上より、現在学校教育に求められているものは、学習者が各教科内容に関する「知識を知っていること」を重要視することではなく、学習者が未知の課題を解決できるよう、「新たな知識を生み出すための知識」として各教科内容を深く学ぶことを教師が支えていくことである。

筆者は、現状多くの学校現場では、教科書の内容を理解させることに精一杯で、それだけの学習目標を達成可能にするような環境は、未だ整備されていないと考えている。しかし同時に、そのような整備されていない環境の中でも、教員の「学習観」が変わることにより、授業を通して子どもたちの「主体的・対話的で深い学び」を引き出すことは可能であることを、自身の学校現場でのインターンシップ経験で目にしてきた。しかしながら、「学習観」の変容は容易ではない。これまで何度か学習指導要領が改定されてきたが、その中でもいわゆる「教師中心」ではなく「学習者中心」の学習観は貫かれている。それにも関わらず、多くの現場では学習観は変容せず「教授主義」の教育から脱却できていない場合が多い。

そこで、本論文では、学習科学研究に裏打ちされた「教員の学習環境」を提供し続けることで、教員の安定した学習観と実践の変容を促し、それは結果的に生徒の学びや他教員の意識までもを変化させうるのではないか、という仮説を立てた。その仮説を検証するため、渋谷区立笹塚中学校と共同研究プロジェクトという形でコラボレーションし、1 年半に渡り現場の教員とともに研修やミーティングを企画実施し、変容を促していくデザイン研究を行った。そのデザイン研究の取り組みの中で、本研究ではひとりの社会科教員に焦点を絞り、変容の詳細を追った。研究は、教員自らが「知識構成型ジグソー法」という協調学習の型を授業に取り入れることにより、従来の一斉授業から脱却し、「教師中心」ではなく「学習者中心」の授業を目指すことから始まる。その後、その教員はあらゆるリソースを新たに獲得することで学びを深め、その学びは授業や生徒の学びにも顕著にあらわれていった。しかし、その教員の成長過程で大きく 2 度の障壁が立ちはだかった。ひとつは、これまで実施してきた定期考査を知識偏重型テストで行ってきていたことにより、教師・生徒双方とも知識偏重重視の考えから脱却できない「評価」の問題である。もうひとつの要因は、新型コロナウイルス感染拡大防止の為の長期休校による、「生徒把握と時間制限」の問題である。学習者一人ひとりの見取りが難しい中、オンラインにて授業を提供しなくてはならなくなった為、「知識を伝達する授業」の動画作成などを行い、期限内に内容をこなさなければならなかった。しかし、「教師中心」から「学習者中心」へ学習観の揺り戻しに重要な役割を果たしたのが、学習者中心の理念を崩さずに授業実践を進める他校の教員の存在であった。授業実践での経験則を基にした他教員との対話により、同じ知識構成型ジグソー法の型であっても、目標や理念が異なっていると、授業設計や評価が変わってくることを知り、教員はさらに学びを深めた。

本研究では、教員は「評価」の問題、コロナ禍の「生徒把握と時間制限」の問題で 2 度「教師中心」へと引き戻されてしまったが、研究終盤では、他教員との対話を通して教員の学習観が安定的に変容し、「同じ理念を持つ教員仲間のネットワークを拡げていきたい」という旨の発言が出てくるまでに至った。このように、教員を取り巻く環境には、学習観を左右する様々な要因があることがわかった。それらは教員の学習観を大きく変容させ、学びを前進させる有効的なものもあれば、教員の学びを妨げる障壁となるものもある。しかし、本研究を通して改めて明らかになったことは、「教員の学び」は「子どもたちの学び」に直接的に影響を与えるものであるということであり、したがって、先に挙げた新しい学習目標を実現するためには、まず「教員が学び続けられる仕組み」の整備が不可欠であるということである。本研究を通して、教員が学ぶために不可欠な事柄と、障壁となる要因を明らかにしていく。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?