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アメリカ大学院留学の志望動機

「さやかさんは、人生で後悔していることはありますか?」

ある女の子が、私の講演をきいたあとこう質問した。私は、「留学しなかったことかな」とそのとき、答えた。そのときの私は30歳だった。

私は、2013年に出版された「学年ビリのギャルが1年で偏差値40上げて慶應大学に現役合格した話」という本の主人公さやか本人である。私の恩師坪田信貴先生が書いたこの本は、120万部を突破し、有村架純ちゃん主演で映画化までされた。次第に、私のもとにはたくさんの講演依頼が届くようになった。

この7年間、行った講演回数は500回を超えた。私の講演を聞いてくださった方の人数は、25万人を超えた。多くの学校に伺い、たくさんの生徒や先生たちと対話した。保護者のみなさんの相談にもたくさんのらせてもらってきた。そんななかで芽生えた想いについて、そしてなぜいまアメリカ留学を志すことに至ったのかについて今日は書きたい。

私は、坪田先生に出会うまで「勉強する意味」がわからなかった。もうしんじゃってる侍が誰と戦って、どっちが勝ったかなんて、どうでもよくね?サインコサイン?それ大人みんな使ってんの?使わねーなら学ぶ意味ねーじゃんそんな暇じゃねーんだよと、意味なさそうなものばかり学ぶことを強制させられることにとてつもなくイラついていた。学校の校則だって、「ルールだから」という理由だけで守らせようとする文化に心底嫌気がさしていた。たばこ見つかって無期停学処分を受けたときは、「おまえは人間のクズだ、我が校の恥だ」と校長先生に吐き捨てるように言われたことを今も忘れない。なんで初めてしゃべるおっさんに、私のこと知ったような口きかれなきゃなんないんだよまじうぜえな、とおもった。学校の教師なんてみんなクソだ、大人なんてみんなイケてない。当時の私は、大人に、社会に、自分の人生に、完全に絶望していた。高校出たら適当に働いて、早めに結婚したいなぁ、と思っていた。

高校2年の夏、弟の代わりにいった塾の面談で、坪田先生に出会った。先生は、「そのまつげ、一体どうなってるの?」と私が学校の授業中にマスカラを1時間塗り続けて完成させたまつげをまじまじ見ながら聞いた。学校の先生たちは、私を見つけるとメイク落としシートを持って走って追いかけてくるばっかりだったから、私はこのとき驚いた。この人、怒らないんだな、って。

坪田先生は、私の話を笑って、対等に、ちゃんと聞いてくれる大人だった。実はこのとき、うれしくて、泣きそうだった。ずっとこの人と喋っていたい、とおもった。大人と喋っていて、あんなに楽しいなんて、それまで思ったことなかったから。2時間くらい、元カレの話、ジャニーズの話、(当時は)大嫌いだったむかつく父親のはなし、大好きな、母のはなし。いろいろ話した。

「きみさ、東大とか興味ある?」ときく先生に、ない。イケてる男いなさそうだし、と答えた。「じゃあさ、慶應ボーイってきいたことない?慶應はどう?」とニヤニヤしながら先生はいった。当時、嵐の櫻井翔くんがけいおーという大学に通っているらしい、ということを知っていた私は、「けいおーならいいよ!楽しそう!」と答えた。

ここから、坪田先生と二人三脚で死にものぐるいで勉強して本当に慶應義塾大学に現役で合格するまでの話は、ここでの本題ではないので割愛させていただきたい。興味がある方はぜひ映画ビリギャルを見るか、坪田先生の原作本を読んでほしい。

ここまでで何が言いたかったかっていうと、こどもたちの周囲の大人が持つインパクトって計り知れない、ということ。たったひとり、わくわくさせてくれて、なんで勉強するか、勉強した先に何があるか納得させてくれて、そしてなにより、「こんな人になりたい」と思わせてくれる大人に出会えるということは、人生を変えるほどのパワーがある、ということを、私は自分のした経験から確信している。

そして、これまでの7年間でもうひとつ痛感させられたことがある。それは、私はめちゃめちゃラッキーだったんだ、ということ。坪田先生みたいな、見た目や学力で判断せずに可能性を信じてくれて、ワクワクさせてくれて、自分にもできるかもしれないと思わせてくれる大人に出会える確率は、めちゃめちゃ低いことを思い知らされた。これまで、たくさんの子どもたち学生たちから毎日のようにSOSを受け取ってきた。

「信じてくれる人が誰もいない」「自分なんてどーせ無理」周りに言われるがまま、自分には無理と信じ込み、挑戦できずにいる彼らのSOSは、まるで昔の私の心の叫びだった。頑張るなんてダサい。失敗したらいやだし。そんなんやっても時間の無駄。

─でも本当は、どこか別の、ここではないどこかへ行きたい─

そんな彼らの気持ちが、痛いほどわかった。

彼らをひとり残らず救うには、私が講演して回るだけでは到底無理だ、と数年前から考えていた。坪田先生みたいな、大人が増えたらいいのに──と。そういう大人を増やすには、どうしたらいいんだろう。坪田先生は高校・大学と海外で学んでいて、専攻は心理学だった。人がやる気になるためには、周りはどんな言葉をかけるべきか、どうやってサポートすべきかを、心理学の視点で知っている人だった。わたしが通っていた学校の先生とは真逆のアプローチで、坪田先生は私のやる気と能力を引き出してくれた。それができたのは、坪田先生がその分野の知識があったのことがキーであることは間違いなかった。だから私も、講演活動を続けながら、教育心理学を学ぶことを決めた。それで、坪田先生みたいな大人を増やす活動がしたい!と素直にそう思った。

そして、2019年に聖心女子大学大学院の益川弘如教授のゼミに入った。益川教授は、認知科学の分野で有名な先生だ。そこで、「人はいかに学ぶか」「どんな環境があれば学習者はよく学ぶのか」などの問いに対して、科学的な視点から捉えようとする「学習科学」と呼ばれる学問に出会った。教育心理学、認知科学から派生したまだ若い学問だが、まさに「なぜ昔のわたしがあんなに急激に勉強し始め、でかい目標を成し遂げられたのか」という質問に次々に答えてくれる学問だ!と、感動した。そうか、だからあのときの私はできたのか・・!という具合に、紐がスルスル解けていく感じだった。簡単に言うと、勉強に限らずあらゆる分野で、本人が頑張れるか頑張れないか、いい結果を出せるか出せないかは、「学習環境」に依るところが大きいと言わざるを得ない。もともとの能力云々より外部要因が鍵を握っていると、学習科学を学んでみて確信めいたものを得た。これ、みんな知ったほうがよくない?なんで先生みたいな人でも知らないの・・!?とおもった。子どもたちの周りの大人がこれを知れば、子どもたちの能力を疑わなくて済むのに、と。こどもたちがなにかに挑戦したいと一歩踏み出そうとしたときに、「どうせ無理なんだから、やめなさい」と、根拠もなく芽を潰さずに、済むのに──と。

そんなとき、久しぶりに合った坪田先生がタクシーの中でスマホをいじりながらこういった。

「さやかちゃんさ、教育を真剣にやっていこうと思っているなら、一度日本から出ないとだめだよ。日本の教育しか知らないのに、どうやって日本の教育を語るの?」

今思えば、この坪田先生の一言が、今回の留学を志す最初のきっかけとなった。でも「留学」って、本当に大きな話じゃないですか。学生の時ですら海外に住むって途方に暮れるほど大きなことなのに、それが大人になると、さらに今持っているものをいろいろ諦めなくちゃいけなくなる。お金も、時間も、仕事も、とにきは家族との時間も。だから、もう30歳だし留学ってもっと若いときにするものでしょ?英語だって受験以来やったことないし、仕事もやまほどあるし・・って、このときの私はできない理由を一生懸命並び立てた。

でも、同時に、講演で後輩たちに「やってみなきゃわかんないっしょ!!って飛び込む勇気を持ってほしい。自分の人生を、自分でひらいていってほしい」と強く伝えた帰り道、言葉にできない想いがむくむく膨れ上がるのだ。今の私に、そんなこと言える資格あるのかな、って、

だから、2年前、ちょうどコロナが流行する一ヶ月前に、ついに留学を決意した。「ビリギャルのモデル」としてだけでなく、ひとりの教育に携わる者として、子どもたちの未来に貢献したい。子どもたちが自信をなくし、自己肯定感を失う教育でなく、なにか新しいことを学ぶって楽しいんだ!自分たちは世界を変えられる力があるんだ!学ぶって暗記でも苦行でもなんでもなくて、世界と全部つながってるんだ!ってことを実感できる教育を、すべてのこどもたちが受けられるようであってほしい。そして、自分にはちゃんと価値があるってことを、やる前からどうせ無理と諦めないで、何でも挑戦できるマインドが、すべての子どもたちのなかで育つ教育であってほしい。そのためには、日本の大人の学習観を、少しずつでも変えていかなきゃいけない。

あ、でもここで一個だけ言及しておきたいことがある。私は日本の大学院(2019−2021)で、渋谷区立の公立中学校と1年半に渡る共同研究を行ったのだけど、(具体的に何やったか書き出すともう大変なので詳細はまたもや割愛する)日本の教育は(日本だけじゃないけど)たくさんの課題を抱えてる。けどそれは、学校の先生が悪いんじゃない。これは仕組みの問題なんだ、ということを、わかってはいたけど、現場の先生たちと長期的に研究に取り組んだおかげで、前よりちゃんと理解できた気がしている。もちろんいろんな先生がいるけど、たくさんの先生たちは今のままじゃだめだってわかってる。学習指導要領も変わって、学習目標も変わって、主体的・対話的で深い学びを育むものにしてくださーい!って学校の先生たちは文部科学省から言われてる。でも、どうやって?を、誰も教えてくれない。先生が学ぶ時間も、リソースも、機会も、圧倒的に足りてない。

私は、今回の留学でしっかり力をつけて、ここに貢献したいと思っている。まじ勝手に、だけど、全国の先生たちの代わりに、私がコロンビア教育大学院に学びに行くつもりでいる。人はいかに学ぶのか、賢くなるかを、もっと科学的に捉える文化が日本に根付いたら、教育は正しい方向に変わっていくと信じてる。こどもたちのためにどんな学習環境を、教室で、家庭で、地域でつくってあげるべきなのか、ここをもっとしっかり理解するべきだと思ってる。日本はデータをとってそれを基に判断する、という文化があまりないけれど、教育こそそれをやるべきだ、と思っています。経験則ではなく、科学的に、データでわかっていることをもっとちゃんと参考にしながら、教育をデザインし直すべきだと思うんだ。

すんごい端折ったけど、これが私が教育心理学・認知科学の分野を学ぶためにアメリカの教育大学院に行く理由です(伝わった・・・?)。そしてそれに加えて、日本にいたら出会えない、様々なバックグラウンドをもった人たちとたくさん出会い、対話し、私が持っているバイアスをぶち壊したい。異文化にどっぷり浸かって、私自身の世界観価値観学習観を全部アップグレードしたいです。

これからこのnoteでは、私の初めての留学における備忘録としても兼ねて、いろいろを書き記していきたいと思います。ききたいことなどあれば、ぜひコメントください。

それではまた!





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