海外協力隊活動日誌🇩🇴239日目「日本を離れて日本が好きになる」
今日は昨日の疲れもあって
休みたい気分だったけれど、
そうも行かず、学校へ。
今日はドミニカ共和国で活動する他の隊員さんが活動訪問にくる日なのです。
ママはお仕事なのに、
朝から鼻歌を歌っていて、
超ご機嫌。
私にUber代も半額ちゃんと払ってくれて、
きっと満足だったんだろうな。
綺麗だったわね〜ってにこにこの朝、嬉しかった。
世間はセマナサンタですが、大学は違うようで、
一応ちゃんと授業もあります。
1コマ目の実験は今サイクル最後の実験らしいです。
少な!
相変わらず、双眼実体顕微鏡と双眼顕微鏡の使い方もしらない大学生にびっくりしながらも使い方のお手伝い。
2コマ目には手伝いをしてもらって!と紹介されるほどに。よかったよかった。
隊員さんたちに説明もしながら、2コマ。朝ごはんを挟んで2コマ。
ミゲル先生の授業にも行ったけれど、ちょうど終わってしまいました。
お昼ご飯を食べていると、
今日はデザートもあると学生さんが。
普段先生は食べられないから、
って案の定だめだったんだけど、
すぐに他の人が持ってきてくれて、
歓迎を受けました。
ありがとうございます😭
みんな優しい。
デザートだけじゃなくて、
さやかの友達は歓迎しないとって。
ニルサの教育法はないのに、
ニルサはわざわざ声をかけにきてくれたり、
ダンス部に行けば
みんなが歓迎してくれて、
授業あるのにきてくれる学生もいて、
最後はみんなでサルサを踊って
楽しかったです。
活動先、きっと恵まれているのでしょう。
何か貢献して帰りたい気持ちだけ溜まっていきます。
ああ、難しい。
日本を離れて日本が好きになる
日本にJICAのプログラムで15年くらい前に3年大阪大学に勉強しに行っていた先生がいて、日本を好きだとよくいってくれていたのだけれど、日本に帰りたい?って聞くと、それは嫌だという。
海外からみた日本がとても興味深くて、
その話を聞く中で、
「あー、私はやっぱり日本人なんだなぁ」って思ったことが多くて、今日はそれを残そうと思う。
そう、私は日本人なんだ。
その先生は3年間でストレス性難聴になって、
切開したそうだ。
確かにドミニカ共和国の人が日本で生活するとなるときついのかもしれない。
時間とか、時間とか、時間とか。
彼女曰く、
ドミニカ共和国のおもてなしと日本のおもてなしが違いすぎることが1番のストレスだったようだ。
ドミニカ共和国では誰のお家でもすぐに行くのが普通で、いろんな人を招くのが一般的だ。
でも日本ではあまり家には招かれない。
歓迎会やご飯会はほぼほぼレストランで、
それが受け入れられてないみたいで悲しかったそう。
家に呼ばれると、料理は安いし、
もって来てもらったお酒を分け合ってみんなハッピーだと。
一理ある。
でも、やっぱり家に呼ぶのは抵抗あるな。
呼べるにしろ人は選んでしまう。
ようこそようこそ!とはならないなぁ。
それにお店の方がいいしなぁ、と思うのは日本人だからだろうか。
それから挨拶の感じも距離を感じるらしい。
教授にハグで挨拶しに行ったらここではそういうのはしないと、お辞儀の挨拶を教えてもらったけれど、それも悲しかったんだと。
確かにここではハグが当たり前で、
しないと、「さやかは日本人だもんね」と言われるもんな。
でもやっぱり私は適度な距離感ある日本が好きだな。
道はとても綺麗だし、場所も、建物も素敵だけれど、踊らないでしょう?とも。勉強や仕事ばかりで、私の人生なのに仕事や勉強が1番みたいで嫌だと。
それは確かに。
仕事にプライベートが侵略されてるなんてこともしばしば。
そこは確かにドミニカ共和国を見習いたいところ。
とまぁ、こんな感じで、
私は、「確かに」って聞いていたけれど、
結局「それもあるけど〜、でも〜、見習いたい」などなど、だから変えようとか、ドミニカ共和国いいな、とかじゃなく、日本推しだったわけで、そこに、「あー、結局日本人だなー」としみじみ思ってしまった。
愛国心ばりばりにあって、
もしこの国に生まれていたら勉強なんてイージーモードだったかもしれないけれど、
それでもやっぱり日本に生まれたいと思う私は、日本が好きなんだと思う。
協力隊に入る前だって別に日本のことが嫌だったわけではもちろんないけれど、海外に来て日本の良さとか、日本のすごさとか、日本人としてのプライドとか、今まで見えなかった愛国心をものすごく感じている。
世界を知らなければ、分からなかったこと。
これも私が知りたかったことの一つなのかもしれない。
いろんな世界を見て、
物事を推しはかれるようになろう。
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