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それでも、言いたいこと

昨日、こんなことをつぶやいた。

これはその日に講演を聴いて思ったことを基本として、いろいろ考えた上でこういった形に書いた。私がこのように思っていることに間違いはないし、取り消しはしない。ただ、「じゃあその意見もおごりじゃないのか。飲み込むべきではないのか」と問われると、そうなのである。このようなつぶやきを「あなたの思っていることより良いのに」とちょっとでも思わずに書いているのかというと、そうではないだろう。おごりはどこかにある。

ここから、おごりの気持ちを消すことの難しさが浮かびあがってくる。自分と誰かを比べたくなる気持ちはなかなか消せない。すっかり消せている人がいるとしたら、その方はある種の悟りの域に達していると言っていいだろうと思う。

だからといって、「この気持ちはおごりだから外には出さない」とするのは、それはそれで違うような気がする。思ったことを言って、誰かの気持ちをネガティブにすることもあるかもしれない、そんな危険性を持つ言葉は出さないのが安全だ。いろいろ考えてそう結論が出たのならば、思ったことであっても引っ込めて、それでいい。

だがここで「でも言いたい」という気持ちが感じられるのであれば、言う方向で、もう一段考えを深めてみればいいのだと思う。そのまま書いたら良くないかもしれない。では、少しでも良い感じの言葉にするにはどうすればいいのか。この表現のほうが意図が伝わりやすいのではないかと、頭を使い、心を砕くのだ。

言葉を受け取る側が、発した側の意図通りに受け取ってくれない可能性のほうが、きっと高い。どれだけ気を配ったって、どこかで読み違いは起こるし、どう読むかは相手の自由でもある(発した側の意図をきちんと受け取る努力はしたほうがいいとは思うが、強制できるものでもないだろう)。

思った通りに言葉は届かない。その言葉は誰かを傷付ける可能性も持っている。そのことを忘れないで、自分の意図と相手の理解の隙間をちょっとでも小さくするように、言葉を磨いていくことが大事なのだと思う。


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