(劇評)新しい水の湧き出る場所

『太田省吾TRIBUTE』の劇評です。
2016年9月2日(金)20:00 金沢市民芸術村ドラマ工房・アート工房
2016年9月4日(日)15:00 金沢市民芸術村ドラマ工房

 腕時計の秒針が動く音さえ聞こえるほどの、沈黙があった。その状態を制御できるのは、舞台上の演者だけだった。いや、観客もその空間を体中で支えていた。金沢芸術村ドラマ工房とアート工房に満ちた沈黙、それが『太田省吾TRIBUTE』そのものだった。
 この試みは、3日間で4つの太田省吾にまつわる芝居を上演するというものである。私は初日のAプログラム3作品と、3日目のBプログラム1作品を観た。

 まずはAプログラム、劇団帆嶋『なにもかもなくしてみるその前に』。中央に椅子が一つ照らされている(終演後に確認すると縦に二つ並んでいた)。男女が登場し、対話する。男が去り、やがて別の女が現れ、先の女と履いていたハイヒールを交換する。もう一人の男が現れる。二組の男女の会話が交錯する。彼らは別の存在なのか、同一存在の別の見解なのか。太田省吾のテキストが複数作品から引用されているようだが、構成の妙でひっかかりは感じられない。ただその対話を静かに見守る時間が作り出されていた。別れを感じさせるやりとりがあり、やがて女はいなくなってしまう。

 続いて、グループGOKAN『空気と月と生きもの』。舞台中央には、二人が座れる長椅子が置かれる。初めに男性が現れ、その後女性が、壁のような物を背負って登場する。壁は二人の背後に立てられ、二人は会話する。夫婦の会話は、部屋に敷いた布団と布団の間の距離にやたらこだわるなど、滑稽さも交えられている。だが、火葬場の話が出たりと、ここでも別れが意識されている。そして女は行く。一人残された男が、かすれるように歌う『荒城の月』。ここがラストでもよかったと思わせる含みがあった。

 3本目は、場所をアート工房に移動する。観客達は並んで、建物前の水場の上にある通路を歩いていく。
 アート工房には、階段状になった展示スペースが設けられており、最初の段まではスロープが伸びている。階段状のスペースには、姿見の枠組のような木枠が20数本ほど、あちこちに立っている。この特殊な場所で、劇団新人類人猿『歪んだ肖像』が上演される。
 だんだんと暗くなる会場には、森田童子の歌が流れている。いつのまにか、スロープをゆっくりと人が登ってくる。時々、倒れる者もある。時間をかけて、全ての登場人物が階段上にたどり着く。「2007年7月13日」この日付が最初の言葉だった。それは、太田省吾が亡くなった日。俳優達から発せられる言葉は、誰かとの対話にはならない。彼らの言葉は、どこまで届いていくのか。観客の内側に染みていくのだろうか。丁寧に彼らの挙動を追いたい気持ちでいたら、終わりの時が早く感じられたのだった。それは、その空間にもう少し身を置いておきたいと思ったからだろう。

 Bプログラムは、『映像×言葉×演奏』として、太田省吾の『小町風伝』『水の駅』などの記録映像に合わせて、フルートの演奏と、俳優による言葉が発せられる。
 中央にスクリーンがあり、映像が映し出されている。脇にある柱の陰のそれぞれに、フルーティストが立ち、役者は木箱に座っている。アフタートークでの説明によると、決められた箇所以外は、即興での演奏、発声だったそうだ。言葉は、あらかじめいくつかが選ばれて俳優に渡されていた。映像に向かって投げかけられたり、貼り付けられたり、寄り添ったりする言葉と音。その瞬間にふさわしいであろうと思われた素材が、それぞれの力加減で集中していく。あえて音も言葉も無い瞬間もある。コラージュのように、一枚の絵が美しくなるように、まとめあげられていく。
 俳優が立ち、終わりかと思ったその時、奥からやってくる人物がある。木枠を背負ったその人は、Aプログラムに登場していた人物ではないか。これまでの登場人物が、何人も、続いて、歩いてくる。皆まるで、何かを目指すように。そう、様々な人物が、水の駅にある水源を目指してやってきたように。このBプログラムは、Aプログラムからのすべてを一つにまとめるような、フェスティバル全体の統合であったようだ。今、太田省吾への尊敬を根底としながら、ここに新しい水源を見出そうとした行動、それが、今回のトリビュートだった。その水源からは、絶えることなく水が流れ続けている。そしてその水を、求める者がいる。

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