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この記事で、365日目

noteで毎日連続投稿を始めて、今日で365日目になる。この記事を書き終えれば、「毎日連続投稿(記事)」の最後のバッジがもらえる。ここで、一区切りとできる。

note自体は早くから登録していて、先日「9周年記念」のバッジももらった。でも、ほとんど投稿していなかった。それが突然、長らく書かれていなかった自己紹介記事を投稿した。

そして、以下の記事を書いた。

上の記事にも書かれているが、投稿のきっかけは、noteのイベント「この春こそはじめたい!「書く習慣」が身に付く 1週間プログラム 」を見たことだった。講師のいしかわゆきさんが書くことのハードルを下げてくださったのと、投稿の状況を報告できる「創作をまなびあう会」という場もあったので、とりあえず参加してみようと、1週間書いた。その間に注文した、いしかわゆきさんの著書『書く習慣』が届いた。『書く習慣』の巻末にある「「書く習慣」1ヶ月チャレンジ」に挑戦することにして、30日書いた。

記事の最後に私は「30日間のお題が終わってしまって、明日からはどうしたらよいのでしょう。どうなるかわかりませんが、できる範囲で頑張ります」と書いている。その言葉通り、できる範囲で何らか投稿を続けた。書いていく日々の中で私はよく体調を崩し、コロナウイルスに感染したりもした。

それでも続けることは苦しくはなかった。だが、冬頃からだろうか。投稿することは大変だと思いだしたのは。

体調の悪い日が増え、ネタも思い付かず、今日の投稿は無理ではないか、と思う日が増えていった。苦し紛れに、Twitterでたまに書いていた「140字私小説」をnoteでも始めてみたりもした(しかし、140字ぴったりでまとめるのは、それはそれで大変なのである)。最後のほうの投稿はもう「執念」でしかない。書く楽しさなどよりも、決めたことをやりとげなければという気持ちで文字を打った。そうまでして書く、本人が面白がっていない記事に価値はあるのかとも考えた。でも、結果として、面白くはないかもしれなくても、書いた。

私が毎日、少しでも何か書こうと思ったのは、書く習慣を付けるためであった。小説を書きたいのに書けていないという、小説書き志望者の中でも底辺であるような自分を変えたかった。本当は小説を毎日書くのがいい。でもそれができないのであれば、できるところから始めなければと思ったのだ。

書く習慣を付けるという目的は、現時点では達成できたかと思う。ただ、この習慣を定着させるには、今後も書き続けていかなければならないと思う。これについてはどうしようか、まだ決めかねている。

毎日投稿を続ける上では、読んでくださる方の存在が大きな励みになった。スキを付けてくださった方、フォローしてくださった方、ちらりとでも見てくださった方、皆さまに感謝したい。皆さまがたがいなければ、閲覧数がゼロだったなら、毎日投稿を続けることはできなかっただろう。

最初の記事では、誰にも見られていないのだから何を書いてもいい、というようなことを書いた。しかし、やっぱり、書いたら誰かに見てほしいのだ。自己顕示欲が強すぎると、誰にも見てもらえない時に大変悲しい。だが、その顕示欲があるからこそ、見てほしい気持ちを原動力にして書いていくこともできる。私が書いた物を読んで、何か思ってくださる方がいたならば、大変嬉しい。そんなふうに何か思っていただけるような物を書くことができたならばと、願い、そのために努力を続けたいと思う。

おや、ここで「続けたい」という言葉が登場してしまった。続けるのか?毎日投稿を?どうなるかはわからないが、私が書くことを全て止めてしまうことはないだろう。面白くない物を書いて落ち込んだり、閲覧数の低さがそれに追い打ちをかけたり、何も書けなくてため息をついたり、まれにいい感じに記事が書けて一人満足したりと、一喜一憂しながらも、多分。

お気持ち有り難く思います。サポートは自費出版やイベント参加などの費用に充てます。