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書けない時は「書けないということ」を書くのだ

noteの記事を書かねばと思うのだが、書けないでいた。時間ばかりが過ぎていく。どうしよう。しかし書くことを諦めたくはない。そんな時は「書けないということ」を書くといいのだと読んだ気がする。

そう書かれていたと思われる本を調べてみたところ、そこに書いてあったのは「なにもない日は「なにもない」ことをネタにする」であった。いしかわゆきさんの著書『書く習慣』に載っている。この本は書くことのハードルを下げて、書きやすく、続けやすくしてくれる。

覚え違いをしていたのだが、まあ似たような感じだろう!として話を進める。今日は「書けないということ」を書いてみよう。

さて、なぜ書けないのか。ネタがないのか?
いや、ネタはあるのだ。例えば。
・観賞した映画の感想
・今使っている手帳の紹介
・ペンケースとその中身の紹介
・先日から始まったオンライン小説講座について
などだ。あるじゃないか! どれか書けばいいじゃないか!

書けない理由はこうだ。
・思ったことがうまく感想としてまとめられない
・手帳の写真を撮るのが面倒
・ペンケースと中身の写真を撮るのが面倒
・始まったところなので「頑張ります」としか言えない
という感じだ。主に面倒がっているわけである。

面倒だという気持ちはかなり手強い。面倒事を避けるためなら前もって面倒な対策を取っておく人もいるぐらいだ。そんな強敵「面倒」に我々はどう立ち向かえばいいのだろうか。

ところで面倒の対義語は「簡単」とか「容易」であるそうだが、それは何かベクトルが違うのではないだろうか。「面倒」には感情の成分が多く含まれていると思うのだ。「簡単」や「容易」の主成分は状況や状態なのではないだろうか。「簡単」と「容易」の対義語は「複雑」や「困難」だろう。

面倒だという感情が困難な状況を生む。では、容易だという状況はどういう感情から生まれるのか。「楽」ではないか。言い換えるなら「楽しい」とか「やりやすい」か。面倒という単語に「やりたくない」ニュアンスが含まれていることを考えると、その反対は「やりたい」だとしてもいいのではないか。

つまりは「面倒」に立ち向かうためには、その面倒を発している物事を「やりたい」と思わねばならない? ん? それでいいのか?

いいとして「書けない理由」に話を戻す。書くことが面倒でやりたくない状況を、どうにかして「楽しくてやりたい」状況に変えてやればいい、ということになろう。

どうやって? 我々はその謎を解明するために(略)

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