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「良し悪し」族から「好き嫌い」族へ

以前、尾石晴さんのVoicyの放送で、「良し悪し族と好き嫌い族」という放送がありました。

物事や考え、価値観などに対して、自分の持っている判断軸に照らして「良いか悪いか」で見ていると、
自分と合わないことに対して、「あれは悪い!」と考えてしまったり、
自分の行動が、周りの人から「良い」と判断されるか?「悪い」と判断されるか?という視点で考えてしまったり、
という感じになってしまいます。

一方、「好きか嫌いか」で見ていると、
自分と違う考えや価値観に出会っても、「自分はその考えは好きではないけど、あなたはその考えが好きなんだね」と、相手の考えも肯定できたり、
相手から自分の行動に対して否定的な意見をもらっても、「あなたは好きじゃないかもしれないけど、私はこれが好きなんだ」と思えたりします。

もともとは、楠木健さんのこちらの著書で述べられている考えだそうです。

はるさんのVoicy放送の中では、有休を取って旅行に行かれた上司の方の例や、タバコの例が取り上げられていました。


僕は現在、実家で両親と同居しているのですが、
家族の言動や行動、価値観が、自分とは合わないなと感じています。

でも、「好き嫌い」族の話を聴いてから、徐々に、
自分はそういった価値観は好きではないけど、家族にとってはそういった価値観が好きで、心地よいんだ、と理解できるようになり、
家族は家族、自分は自分、と線を引いて過ごせるようになりました。


他にも、ネット上の他人の意見や発信に対しても、
自分はそういう考えは好きじゃないけど、この人はそういう考えが好きなんだから、人それぞれだよね、と考えられるようになったりとか、
自分とは考え方は違うけど、この人の発信はおもしろいから聴き続けようかな、とか、
自分とは異なる考えや価値観も受け入れたり、楽しめるようになりました。


そんなふうに、相手と意見が異なっていても、それを「良いか悪いか」という視点で捉えるよりも、「好きか嫌いか」という視点で捉えると、
お互いの意見や行動を肯定しやすくなったり、楽しめるようになるんじゃないかなと思います。

(こちらの記事も読んでみてください)



話は少し逸れますが、数年前にTwitterで、こんな議論がありました。

ある曲に対して、「良い」「悪い」という評価をすることって、
ある人が「良い曲」と評価をしても、別の人が「良い曲じゃない」という評価をすることもあるし、
あくまでその人が「好き」「嫌い」と感じたに過ぎないのではないか。

(僕の記憶から思い出しているだけですが…)

これって、いろんな分野でいえることだなあって思うんです。
音楽、絵画、写真、文章、などなど…といった芸術分野でもそうですし、
食べ物だってそうだなって思います。

僕は昨日、セブンイレブンさんの肉野菜炒めを買ってきて食べたのですが、
僕は「おいしいなあ」って思って食べたのですが、「別においしくないよ」という感想を持つ方もいると思います。

僕は「好き」と感じて、おいしくないと感じた方は「好きじゃない」と感じた、ということだと思うんです。

これも、「良いか悪いか」ではなく、「好きか嫌いか」で考えることで、
お互いの価値観を肯定できる例になるかな、と思います。


そんな感じで、「良し悪し」族から「好き嫌い」族へ、というテーマで書いてみました。

読んでくださり、ありがとうございます!!