見出し画像

僕も、アヤメを植えるー2024ーさやのもゆ

4月も下旬にはいった週末。
都田公園に出かける途中、車窓の景色を眺めていた母が思わず「あそこの家のアヤメは花が咲いてたのに、ウチのはマダなんだよ」と、口にした。
母は、毎年のように忘れず、わが家のアヤメのことを心にかけている。
これには、大切な理由があった。

ちょうど4年前の、四月。
昼下がりの庭仕事から、家に入ってきた母は、こう言った。
「玄関に置いた鉢植えのアヤメが、蕾をもっているから、見て来なさい」。
わが家には、「お父さんのアヤメ」と呼んでいる、亡き父が生前に植えつけたアヤメの鉢がある。
母によれば、「このアヤメはね、お父さんが『僕も、アヤメを植える』と言ってきたもんで、お母さんが教えてあげたんだよ。」
という。
このことを母の口から初めて聞いたときー正直言って、すぐにはイメージが結びつかなかったので、思わず記憶をめぐらせた私である。
父は、定年後から三方原の親戚の畑を借りていたが、大根やオクラなど、季節の野菜を育てる畑の一部は、お花畑であった。
ルドベキヤにギボウシ、ユリなど・・思えば父は、花が好きだったのだ。
その父が亡くなったのが、2016年の1月。
するとこのアヤメは、父が植えてから少なくとも、10年は経っていることになる。
今は母が世話をしており、花の数は芳しいとは言えないまでも、毎年のように2~3輪ぼど咲いていた。
さすがに父が亡くなった年は、思うように世話が出来ず、咲いたのはたったの一輪のみに終わったのだがー。
一時は枯れることも危ぶまれたものの、植え替えたり肥料を撒いたりと、手間をかけたおかげで、次の初夏にはつぼみが5~6個つき、色づきはじめた。
最初はシュシュっとした葉の付け根を真紅色に染めていたのだが、これが次第にふくらみながら上をさして昇っているのが。見て取れるようになる。
そして、葉っぱの中から茎を伸ばし、涙形にくるまれたつぼみの先端が、合わせ目を解いていく。
ほどなくして、厚く絞られた青紫の花びらがくるくるとほどかれるように開き、たぐい稀な姿を現わした。
この一輪を始めに、次から次へと花は咲いてい行き-この日は、六輪の花が咲きそろったのだ。
「一度にこれだけ咲いているのは、たぶん今日までだね。」
母はそう言って、花を写真におさめた。

ちょうどその時は、午後の西日が細葉の垣根を掠め、洩れさしてくる時刻。
本来ならこの花には、曇りがちな朝の空だとか、あるいは露を含んでふっくらした露の気配などがよく似合うと思うのだがー。
あざやかに影を揺らす、夕ひかりのなかにあっても、そのあでやかな気品は変わらない。

今年もまた、花の季節がやってきた。
ゴールデンウィークの前夜、仕事から帰った私に、母は言った。
「今年のアヤメはね、ふたつだけ蕾がついたんだよ。」
この連休には、二輪のアヤメの花が咲くのを、見届けることになりそうだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?