見出し画像

芸術家の生き方

私の大好きな脚本家であり映画監督のマーティン・マクドナーの最新作映画「イニシェリン島の精霊」の2回目を観ました。
そういえば、ブルーレイってもう出てるんじゃない?と急に思い出し、購入。監督長編映画第一作目の「ヒットマンズ・レクイエム」以来のコリン・ファレルとブレンダン・グリーソンの共演だという知らせを見た当時は興奮が冷めずずっと公開を楽しみにしていた作品でもありました。
ちなみに「ヒットマンズ・レクイエム」はこれまで私が一番好きな映画だったのですが、2作目の「スリー・ビルボード」に続きこの「イニシェリン島の精霊」もとてもよくて個人的に胸に刺さる映画でした。

人間の価値とはなんなのか

人間の価値とは知恵なのか、財産なのか、善良さなのか、一体何なのか。人それぞれに重きを置いているものがあると思います。
劇中の中では2人の大人の男が仲違いをしますが、それは個人の人生における価値観の相違からと言えるでしょう。私はこの2人それぞれと近い経験をしていますし、生活の中で問われるものは自分の生き方と美学(価値)でというのは、大なり小なり誰にでもあるのではないでしょうか。

芸術家の生き方とは


ブルーレイの特典映像でマーティン・マクドナー監督は芸術家の生き方が問われていると話します。
人生を芸術に捧げているのか、創作のためなら人を傷つけていいのか。
芸術家として旅行やサッカー観戦は時間の無駄ではないのか。
映画の中に答えはないし、私も答えを出せていない追求したいテーマであると話す彼に、私は深く共感を覚えました。

メンタルの健康を患ってからというものの、私は仕事に関係すると自分が感じられるもの以外のことについて取り組んだり楽しんだりということができなくなってしまいました。
映画館に通い、音楽を聴き、漫画を読み、ゲームを楽しんでいた頃がもはや嘘のようです。これらだって様々なアーティストやクリエイターたちの作品であって、インプットしなければ井戸は枯れ、アウトプットすることはできなくなるということもよく分かっているのですが、実際に制作している時間や勉強している時間をもっと増やせるのでは?と、考えてしまうのですね。

そのバランスが取れず、力が出なくなって悩んでいた私に丁度「みんなそんなものだよ」と語ってもらったような気持ちになりました。なんてタイムリーなんでしょう。

徐々に分かってきたこと

大学を卒業して10年が経ち、いろいろな展示会をさせて頂いていました。
5~6年間は病気をしてほとんど表立った活動はできていませんが、その中でずっと考えているのは自分の生き方についてです。
答えが出ない、疑問は増えるばかりで、「足りなさ」をいつも抱えて生きている状態の中でいつも心のどこかが欠けている感覚を持って生きています。
しかし徐々に分かってきたことは、こうやって偉大な芸術家の言葉や、作品を通して共感からヒントを得る、ということがどれだけ大きなことか、ということでした。
「みんなそう」であることがどれだけ勇気づけられることか、わかりません。その共感こそが、人々の中で自分として生きていく大きな力になり、私は芸術家として次の一歩を踏み出せる力を貰ったような気がしました。

暗い、こわい、と言われてきた私の作品たちは、一方でたくさんの人たちに絶対的な共感をしていただいてるということを、改めて思い出し、それを胸の中に大切にとどめておこう、と思ったのでした。

共感から生まれるもの

共感は自分の思いがけない瞬間に起こる、美しいものだと思います。
作家と鑑賞者は作品を介して会話をします。わたしはこう思います、こう見えます、という作家の価値や美学を、鑑賞者は共感したりしなかったりします。その中で起きる「共感」という現象には力強い希望が生まれると私は考えています。



「イニシェリン島の精霊」をはじめ監督の作品や脚本家らはもっと考えてみたい!と思わされることが多いので、これを機に作品やインタビューにもっと触れたいと思います。
未視聴の方で興味がありましたら、ちょっとグロテスクな画もありますが…どうぞご覧になってみてください。


よろしければサポートお願い致します。いただいたサポートは作家としての画材費、活動費に使わせていただきます。