爆笑問題と 2

少し前に、ぼくは九州・福岡KBCのラジオ番組に電話ゲストで出て、元号の話をした。なんとそれを、爆笑問題の太田さんが聞いていたという。太田さんが地方局のラジオをよくチェックしているのは、知っていた。しかし、たまたまぼくが出たワンコーナーを聞いた偶然に驚いた。

太田さんはTBSラジオで、そのことを田中さんに話した。
「藤井青銅さんが元号の本を書いてて、ラジオに出てたよ」
「へえ、青銅さんが?」
ぼくはそれを聞いたのだ。なによりも、二人がぼくの名前を憶えていたことに、驚いた。そして嬉しかった。
だって、ぼくが爆笑問題の番組をやっていたのは1990年。30年近くも昔なのだ。

一般に、放送作家という連中は、仕事以外でもタレントさんやディレクターと会っているイメージがあるのではないか? 一緒に酒を飲んだり、食事をしたり、遊びに行ったり…と。
残念なことに、ぼくはそういうタイプではない。急いで付け加えておくけど、相手と仲が悪いわけではない。そういうのが照れくさいし、下手なのだ。そしてもう一つ付け加えておくと、そういった人付き合いが上手な人の方が、優れた放送作家だと思っている(いや、それ以前に、人としてちゃんとしていると思っている)。
だから告白するけど、実はずっと「ぼくはこの仕事に向いてない」というコンプレックスを抱いてきた。40年も続けておきながら、だけど。

番組は普通、一人か数人のタレントさんと、複数のスタッフで作る。スタッフが一緒に番組をやったタレントさんを忘れるはずはないが、タレントさん側から見れば、各番組にたくさんいるスタッフの名前をすべて憶えておくのは、無理だ。忘れても当然。
なのに、30年近く経ってもぼくを憶えていてくれただけで、十分嬉しかったのだ。そしてどうやら、爆笑問題がぼくのことを思い出したから今回のゲストになった、ということのようだった。

そうして当日、生放送のTBSラジオに行った。久しぶりに行ったら、ロビーが模様替えしていて、とまどった。


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