小さな親切余計なお世話

僕は実家から離れて一人暮らししている大学生です。たまに帰省すると、親切心からか部屋を"片付け"られているのですが、余計なお世話なんですよね。

ことわざは先人が残した抽象的教訓です。具体例として僕の場合を記述しますが、僕以外にも具体例が当てはまる人は少なくないはずです。

よろしくお願いします。

何が起きたのか

実家は思い出の集積地です。"片付け"をした当人にとっては"ゴミ"かもしれませんが、僕にとってはそうではなかった。青春の思い出がひとつ、また一つと処分されていく悲しみは、耐え難いものがある。

例1 書籍の処分

僕は浪人して大学に入っています。僕の略歴は以下をご覧ください。

参考書が普通の人より多くあったんです。中には自分にとっても価値のないものもありました。必要がないので処分した物もあれば、思い出として忘れないように"あえて"手放した物もあります。(大切なことは、手元に残すより時には手放して、頭に残すということも有効です。自転車の乗り方は一度覚えれば忘れないのと一緒かもしれません。)

自分なりに考えて残しておいた物です。それが処分されかけて、母が直前で食い止めたと聞いた時は衝撃でした。それらは結局、ビニール紐で縛られ処分する寸前の状態で部屋に置かれていました。


捨てられる直前の参考書

例2 お宝の処分

僕の部屋にはロフトがあるのですが、そこには無数のお宝がありました。最も踏み入れて欲しくない領域です。

そこには、無数のオタクグッズが揃えられていました。中学生のとき、魔法少女まどか⭐︎マギカにハマっていて、映画も何回も見に行ってプレミアつきの特典、お金があるだけでは手に入れることができないものすらありました。

それらが、ほとんど捨てられていました。中学生の頃僕がアフィブログで稼いで数十万円かけて集めたお宝だったんです。


残されたわずかなお宝、羽はもがれツインテールも消えている。

母もロフトは最重要で決して踏み入れてはいけない領域と認識していたようです。お宝がほとんど処分されていたことを伝えた時、ショックを受けていました。

母方の実家にも、思い出のお宝が集められているスペースがあるので気持ちがよく理解できたんだと思います。母も、僕の祖母にあたる人に"処分された"経験があり常日頃から口にしていました。

ぼくにも母のお宝の価値は完全には理解できない。けれどそれがとても大切であるということはよく分かる。

例3 機械の物理的破損

堪忍服の緒が切れたのはここです。

中学生の頃、自作PCと言ってパーツを集めて組み立てるコンピュータを作りました。

流石にシステム要件が厳しくなっていたので前回帰省時にパーツをほとんど更新したのですが、荒い扱いを受けたのかHDD(ハードディスク)とマザーボードが物理的に損壊していました。

修復は難しいです。一部のバックアップは取っていましたが、HDDについてはかつて起動用のCドライブにしていたものを、完全にデータ保管用にしていたためいつか壊れることは想定していましたが人為的に壊されるとは考えていませんでした。
思い出は、完全に壊されました

金銭的被害額

PCだけで50万円、これだけで学費がほとんど払えてしまいます。
コレクションは正確には分かりませんが低く見積もって30万。
合計80万円程度ですが、実際はもっと被害があると予測しています。

値段がつけられない思い出すら捨てられました。

近く、裁判所に訴えます。

小さな親切余計なお世話

小さな親切は余計なお世話になるどころか、自身に跳ね返ってくることすらあります。謝罪もなかったので訴えます。お金と時間を無駄にすることになります

でもここまでされては仕方がない。甚大な被害がでています。

お節介は時に自分にとって害となることを、皆さんにはわかって頂きたいです。







助けてくれると、嬉しいです。