「金持ってこいって言っただろ...あぁ?」
ドカッ
「っ...ごめんっ...」

一宮高校の裏門、職員室や生徒の通り道からは死角になる一角で、一人の少年が複数人の少年たちに蹴る殴るの暴行を加えられていた。
少年は体を丸め、なんとか体への負担を減らそうとするも、体格のがっしりした者の足によって頭や手首を抑えられ、確実に腹めがけて重い蹴りが飛んでくる。
涙と鼻水で顔は汚れ、声はかすれていく。

「あーっ、蹴り疲れた!帰ろうぜ!つまんねぇっ」

少年たちは暴行するのに疲れたのか、ボロボロになって倒れている少年を置き去りにして、校舎を後にした。

「...げほっ」

散々殴られ蹴られた少年は、涙を流したままその場に倒れこんだ。

「...頑張ったよ、おばあちゃん...僕はもう、アイツらの言いなりになんかならないよ...」

空を見つめながら、へへっと力なく笑った少年は、そのまま意識を失った。


「...ん?」

少年が目を覚ました場所は、柔らかなベッドの上だった。
今、自分自身がどこにいるのか理解出来ないまま、体を起こす。

「い、ててっ...」

上半身を起き上がらせるだけで、感じる体全身の痛み。
だが、腕を見ると絆創膏が貼られていた。

「一体...ここは?」
「お、起きたか坊主!おーい、美桜!坊主が起きたぞ!」

柔らかなベッドの上で目を覚ました少年の目の前にいたのは、左頬に大きな傷のあるがっちりとした体格の男だった。
少年はこの男を見て、ゴクリと唾を飲んだ。
一体ここはどこなのか?
不安になり、体までも震え始めていた。

「お父さん、そんな大きい声出さなくても聞こえるから!」
「おぉ、そうだな!坊主、茶を飲め、茶!体の痛みも吹っ飛ぶぞ!」
「だからうるさいっての!怪我人の体に障るでしょ、もう...ごめんね、うるさい父親で。君、大丈夫?」

少年は目の前で繰り広げられる漫才のような親子を見て、少し不安が解けたのか、体の震えも消えていった。

「うん...大丈夫。ここは...?」
「ここはあたしの家。明日から、一宮高校に転校するから、どんな校舎か見てみようと思って、散歩してたんだ。そしたら君、傷だらけで倒れてるんだもん。びっくりして、家まで運んで手当てしたってわけよ」
「そっか...ありがとう」
「どういたしまして!あぁ、あとお茶、温かいうちに飲んでね」

少年が何故ここにいるのか、経緯を説明した少女は、体格のがっちりした父親とは違い、スレンダーで目のくりっとした愛らしい女の子だった。
こんなに可愛らしい女の子と話すことに慣れていない少年は、伏し目がちになりながら、お茶を受け取った。

「あたし、美桜!高校二年生!君は?」
「僕も、二年...」
「名前は?」
「ゆ...豊」
「豊?よろしくね!」

太陽のように朗らかな笑顔を見せた美桜。豊はドキドキと心臓を高鳴らせながら、小さく会釈をし、視線を湯呑みに移した。

「それにしても...どうして、豊は傷だらけで倒れてたの?」
「...ちょっと喧嘩したんだ」

美桜はお茶をすすりながら、豊に聞いた。言えない。誰かに話してしまえば、またあいつらに殴られる...そんな思いを胸にしまい、力なく笑った。

「大丈夫、ちょっと喧嘩しただけだから」

豊の力ない笑みを鋭い目で見つめる美桜。

「ふぅん...」

だが、深く聞こうとはしなかった。美桜も豊もお茶を飲み、少しだけ静かな時が流れた。

「おーい、坊主!飯食ってくか!」
「え...あ、大丈夫です。僕、そろそろ帰りますので...」
「いいから食ってけよ!美桜の友達第一号だからな!祝いだ、祝い!」

台所から大きな声を出した美桜の父親、真司は豊の断りの声を聞かずに強引に夕食へ誘った。

「うちの父親の誘いは断れないよ!ご飯一緒に食べよ!」
「あ...はい」

美桜は面白そうに笑いながら、豊の背中を軽く叩いた。
二人は台所へ向かった。豊は内心で思った。
家に帰っても誰もいないからいっか...と。


翌日。
豊の心は晴れやかだった。
久しぶりに誰かと夕食を共にし、学校で起きたことを話し、笑った。
昨夜のような日は1年ぶりだったろうか。
中学生までは自分は幸せだと思っていたが...今は...

「おはよ、豊!」
「お...おはよう」

過去のことを思い出しながら、教室へ向かう階段を上っていると、突然声をかけられ、驚いていた。
美桜だった。

「あたし、2-Aになったんだ!豊は?」
「僕も...A組だよ...」
「ほんと?やったぁ!一緒じゃん、よろしくね!」

朝から元気な美桜は、豊と同じクラスになったことを素直に喜んでいた。
そんな美桜は眩しくも思えた。

「今は校舎内散歩中だから、また後でね!」
「う、うん...」

美桜はニコニコと笑顔を振りまいて、職員室の方へと向かった。
そんな彼女のそばを通り過ぎた他の組の男子生徒数名が少しはしゃいでいた。

「え、なにあの子、ヤバくね?」
「可愛いー、ヤりてぇ!」
「転校生じゃね?先生が言ってた気がする!」

男子生徒たちのはしゃぎ声が聞こえる中、豊は優位に立っているようにも感じた。
僕はもう友達って言ってもらえてるから...
こんなことを思いながら、教室へ入った。


朝のホームルームが終わり、転校生である美桜の席は豊の隣に決まった。
豊としては、自分のことを友達と呼んでくれた人が隣にいるのは嬉しいのだが、クラス中の男子生徒から羨望の眼差しと憎しみの視線を浴びていることはとても怖かった。

「良かった、豊の隣で!仲良くしてね!」
「う...うん」

美桜は真っ直ぐに豊を見つめる。豊にとって美桜の笑顔は眩しすぎる。視線を落としながら、小さく頷いた。

「豊、どうした?」
「な、なんでもないよ...」

伏し目がちで視線を合わせようとしない豊に対して不思議に思った美桜は、豊の顔を下から覗いてきた。

「まだ、傷が痛む?」
「だ、大丈夫。本当に...大丈夫だから」
「...?」

顔を覗き込んだ美桜の瞳は怪訝な色を浮かべていた。豊としては、これ以上美桜と近付きたくなかった。ただでさえ、複数人の男子生徒からカツアゲの対象となっているのに、これ以上彼らの暴行するネタを増やしたくなかったのだ。

「ちょっと、トイレ...」

クラスの後方部窓側に陣取っている少年たちの視線を感じる。豊は本能的にこの場から逃げなければと思い、教室を離れた。
少し経ってから、少年たちは動いた。

「木崎...転校生と仲良いんだな」
「あっ...」

男子トイレで用を足し終え手を洗っていると、豊を暴行するグループのリーダー、新井が声をかけてきた。
柔道で鍛えられた握力の強い手が、がっしりと豊の肩を掴んだ。そして、ギリギリと力を込めていく。

「た、たまたまだよ。仲良くなんてないよ...」
「じゃぁなんで、下の名前で呼ばれてんだ、あん?」
「それは...」

昨日殴られた時に助けられた、とは言えなかった。余計なことを言えば、更に殴られると経験上、理解していた。

「まぁ、いいけどよ。...俺さぁ、いいこと考えたんだ」
「い、いいこと...?」
「あぁ。河合さん、可愛いじゃん?俺の彼女にしようと思ってるんだ。どうだ、いい考えだろ?」
「そ、そっか...」

豊の肩を強い力で握ったまま、新井は話を続けた。

「そこでだ。お前が俺たちの仲を取り持ってくれれば、もうお前にはちょっかい出さねぇよ...どうだ、いい案だろ?」

新井は意地の悪い笑みを浮かべながら囁いた。

「俺の方が河合さんを楽しませてやれるしなぁ...ひゃっはっはっは!」

汚い笑い声が男子トイレの中で響き渡った。新井の言わんとしていることは分かった。豊はどうすればいいのか分からなかった。
もし、美桜が新井の彼女になれば、もうお金を奪われることはない。大好きなおばあちゃんに心配をかけることもない。
そして自分自身に降りかかる痛みも終わる。だが...一宮高校に入って、初めて友達と呼んでくれた人を、悪魔に売り渡すのか?
豊は良心と葛藤していた。どうすればいいのか...

「よーく考えろよ、木崎。どうすることがお前にとって一番か...」
「あっ...」

最後に新井は豊の背中を乱暴に突いて転ばせ、教室へと戻っていった。
豊はトイレの中で倒れた体を起こしながら、呟いた。

「一体...どうしたら...?」


午前中の授業を終え、昼休みになった際。新井はすぐに行動に移した。

「河合さん、一緒に飯食おうぜ!」
「ありがとー!ねぇ、豊も一緒においでよ!」
「ぼ、僕はいい...」

豊は背中を丸めて、美桜と視線を合わさないようにしながら声を出した。
美桜は不思議そうな顔をしながらも、新井の後についていった。
他のクラスメートが新井の行動に興味を持ち、ざわざわし始める。美桜たちの姿が見えなくなった後も、豊は背中を丸めていた。
これでいいんだ。新井の希望を叶えれば、本当に暴力から解放されるかしれない。今後一切、新井と関わらなくても良くなるかもしれない...
だが、豊の胸にはあの言葉が引っかかっていた。

ー俺の方が河合さんを楽しませてやれるしなぁ!ー

豊の手は震えていた。もしこの昼休みの時間に、新井が行動に起こしていたら?
転校早々、美桜が不登校になってしまったら...?
そうなったなら、自分を許せるのだろうか?
豊は自分に問いただした。
初めて自分を友達と呼んでくれた人を、襲おうとしているやつがいる。
それを知って、見て見ぬ振りをするのか?
思わず、走り出した。
自分が今されていることを、自分の苦しみを味合わせたくない。
こんな痛みを感じるのは自分一人で十分だと、豊は新井を探しに廊下を走り出した。


「へぇ、ここでいつもご飯食べるの?」
「まぁね。なんつーか、秘密基地みたいな感じで好きなんだ」
「あはは!男の子っぽい!でも、いいねこの部屋...好き」
「だろ?昼休みとか放課後にみんなで集まって、廃材で机も作ったんだ」

豊が新井を探し始めた頃。新井は不良生徒の溜まり場となっている部屋に美桜を案内していた。
煙草を吸い、酒を飲み、相手がいれば営みも楽しめる場所。
教師の指導さえ及ばない場所だ。

「河合さん、ほんと可愛いよね」
「そう? それよりご飯食べよ!お腹空いてるんだ!」

新井は美桜をソファに座らせ、新井自身も隣に座った。新井の言葉をさらっと流し、美桜は持ってきている父親お手製のお弁当箱を開けようとする。
だが、その手を新井に止められた。
新井の手は、美桜の胸を鷲掴みにした。

「気持ちいいことしようぜ...?」

意地の悪い笑みを浮かべ、一気に美桜の服を脱がそうとしたその瞬間。

「ぐはっ...」

新井の腹目掛けて重い膝蹴りが当たった。

「新井くん...なにいきなり触ってるの?」

その華奢な足からは信じられない程の力。美桜は愛らしい笑みを浮かべたまま、新井の顎を下から拳で突き上げる。

「うぐっ...」

思いもよらなかった。こんなにも愛らしく華奢な少女が、こんなに強いとは。
ガードをしようにも、美桜の動きは速すぎた。
ソファの上に仰向けになった新井の腹に向かって、右肘を思い切り突き落とす。

「がはっ...」
「あんたみたいな男にヤられる程、あたしはヤワじゃないのよ...暴力でねじ伏せて、自分の思う通りにしようとする人間が一番嫌い!」

最後に美桜は右足を蹴り上げ、新井の顔面に向かって思い切り落とした。
靴が顔にのめり込むのではないかと思えるほど力強く...

「たっす...」

新井は助けを呼ぶことも出来ないまま気を失った。
上半身は床に、下半身はソファの上に乗っかったまま気を失った新井を見て、美桜ははっと我に返った。

「や、やばいっ...またやっちゃったぁ...」

美桜は自分のお弁当箱を持ち、誰も見ていない間に逃げようと思ったのだが...

「え!うそ、やだ、豊?」

美桜の背後には、不良部屋の扉を開けたまま、ぼうっと立ち尽くしている豊がいた。

「ど...どこまで見た?」
「ドアを開けたら...美桜が足を蹴りあげてた...」
「いやー!ヤバイ、見られた!豊、お願い!この事は誰にも言わないで!また転校することになっちゃうっ!!」

豊は今目の前で繰り広げられた光景を信じることが出来ないまま、美桜の言葉になんとなく頷いていた。
この細い体のどこに、がっちりした体格の男を気絶させる力があるのか?
これは現実なのか、どこかのアニメの物語に入り込んでいるのではないのか?
多くの疑問が豊の脳裏を埋め尽くす。

「美桜...とりあえず、逃げよう」
「そ、そうだね!この場から早く逃げる!」

少しずつ冷静さを取り戻した豊は、美桜の手首を掴んで走り出した。
不良部屋の中、新井が気を失っているところを見られてしまえば、犯人扱いされるに決まっていると思ったのだ。
自分がどうにかして、いじめられている恨みを晴らしたのではないのかと...
疑われないようにするには、兎にも角にも逃げなければ。
そう思い、美桜の手を引いて走った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?