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名前のない物語〜ある母娘〜

ようやくあたしは永遠の幸せを手に入れた、とハンが思えたのはほんの数日のことだった。

「綺麗な肌をしてるわね、フロア10」

ドームに入った初日は、好きなものを何でも食べさせてもらい、初めての酒を飲み、見たこともないとても美しい煌びやかな洋服やアクセサリーを身につけ、人生で初めてのハイヒールを履いた18歳のハン。
ハンが12歳の頃から働いていた武器格納庫に入ってきた耳寄りな情報は、やはり嘘だったのだと気付かされたのはドーム内に入ってからだった。

「へぇ、イイ女を連れてきたじゃねぇか。ちょうどいいや、一発出させろ」
「ちょっと!まだ人形化の途中だから触らないで!触ったらあんたのナニを潰すわよ!」
「ちぇー、いいじゃねぇかよ味見するくらいよぉ」
「完全な人形がもういるじゃない、そっちでヤりな!」

フロア10ってどこだ...?
得体の知れない薬を注射され、意識はあるが体は動かない。指一本、瞳さえ動かそうとするも動かないのだ。
ハンは聞こえてくる会話を何気なく聞きながら、故郷を思い出していた。

ハンの生まれ育った村はとても貧しかった。男は働かず借金で酒ばかり飲み、綺麗な女は体を売り、誰が父親か分からない子供を育てる、あるいは子供を売り、生きる金を得る。
捨てられた子供たちは、盗む、奪うことでしか生計の立て方を知らない。
そんな村でも母親は、ハンを売ることなく育てようとしていたので恵まれている方ではあった。
それでも、母親の体を売る姿は見たくなかったハンは言葉を覚えるとすぐに反抗した。

『汚い金で作られた飯なんか食えるか!』

母親が作ってくれた食事を床や壁に投げ捨て、

『なんであたしを産んだ!
あたしはこんな貧しい家に生まれたくなかった!』

こんな暴言を吐き捨てては、家を飛び出していた。自分の暴言を聞いて泣き崩れる姿を見るのもイライラした。すぐに泣く女なんかと一緒にいられるか!と日々母親に対して怒り、苛立ち、一刻も早くこの村を出て行きたいと願っていた。

最初に掴んだチャンスは、武器格納庫の仕分けの仕事だった。給料は安いが、この村から出ていける!どんな重労働でも、この村を出ることが、母親から離れることが一番の幸せだとハンは思っていた。

『ハン、これを持って行きなさい』
『いらない』
『持って行きなさい!必ず役に立つから!』

村を出発する日の朝、母親がハンに渡したのは5万リルとお守りのネックレスだった。いつものように突っぱねた態度を取るも、この時の母親は弱い女ではなかった。
しっかりとハンの目を見て、持っていきなさい、と強い声を出した。
いきなり母親ぶりやがって、と思ったもののハンは渡されるままにもらい、仕事のあるシン行きの飛空艇に乗った。

武器格納庫の仕分けの仕事は女がやるような仕事ではなかったが、持ち前の根性と負けず嫌いの性格が功を奏し、ハンは18歳になるまでにどんどん昇給をし、自分の食い扶持は自分で稼げるようになり、一人で生きていける自信もついてきた。

『この日傘、リュールで買ってきましたの』
『美しいわぁ、やっぱりリュールはいいものが揃ってるわね!』

上流階級の女が話しているのを、街中で聞いたことがあった。炎天下の中、ハンは肌を焦がして武器を馬車から倉庫へ運び出す作業をしているが、彼女たちはどこで洋服やアクセサリーを買うか、どこに良い紳士がいるか、そんな話ばかりで、一度も太陽に当たったことがないんじゃないかと思えるほどの白い肌をしている。
上流階級がこんな下町に来るなと文句を言いながらも、やはり羨ましかった。
どうしたら彼女たちのように、汗まみれにならない生活が出来るのか常に模索していた。
そんな時に手にした、ドームの情報。
しかもドームは同じ国内にあるじゃないか。これぞ神様の思し召しではないか!と初めて神という存在に感謝を感じたハン。

自分も上流階級になるために、幸せを手に入れるために、もう金で苦労しない人生でいられるように...
ハンはあらゆる手段を使い、ドーム行きのチケットを手に入れた。
ドームに入れば、ただ幸せしかない、そう信じていたが...現実は違った。

「日焼けしているじゃねぇか!なんでフロア10に寄越した!」
「まぁまぁそう怒らないで。触ってみなさいよ、彼女の肌の弾力。ピチピチの18歳よ!最年少!だから連れてきたのに...いらないなら、他のフロアに回すわ」
「ちょ、ちょっと待て...日焼けしてる女も悪くねぇな...」

変な薬のおかげで体は動かないが、意識ははっきりしているし、見えるし、聞こえる。
小さい頃から男たちの興奮する様を目の当たりににしてきたから分かる。
あぁ、これから犯されるんだ、と。
薬で体の自由を奪われ、望まない男に体を明け渡すんだ、と。
あれだけ嫌っていた母親と同じじゃないか、と...
そう思うと、涙が流れてきた。

「泣くなよお嬢ちゃん...俺が気持ちよくしてやるから...」

そう言って、口髭と顎髭をもじゃもじゃに生やした、体重は100キロは超えているように見える不潔な男が、ハンの涙と共に頬を舐めた。
汚いのと、気持ち悪いのと、逃げたくても逃げられないのと、たくさんの感情が重なり、ハンは心の中で叫んだ。

お母さん!
助けて!助けてお母さん!
ごめんなさい、お母さん...
お願いだから、助けて...!

「へへっ...俺が最初の相手をしてやるっ...?」

興奮した男がズボンを脱ぎ、ナニを外に出したその時、男の首が飛び、血飛沫を被ったハン。
薬の影響で声を出すこともままならないが、内心では大きな声で叫んでいた。

「...汚い手で触るな...」

首を失った胴体が床に倒れた後、マントで全身を覆い隠している青年が小さな声で呟いた。
太った男の命がなくなったことにより、ハンを運んだ女はいち早く逃げ出そうとしたが、

「残念!捕まえた!」

少女の唱えた拘束魔法により、女は逃げることが出来なくなってしまった。

「サクラ、頼んだ」
「あいあいさー!」

サクラと呼ばれた少女は、小さな体からは想像出来ない程の強い魔力を持っており、拘束した女をいとも簡単に幽閉用の箱に閉じ込めた。
そしてマントの青年は、ハンの拘束を解いた。

「帰ろう、ハン。お母さんが待ってる」

どうしてこの人はあたしを知っている?
そんなことを考えながらも、拘束魔法に目の前で人が殺されることはあまりに刺激が強すぎて、気を失ってしまった。

ハンの意識が戻ったのは、あれから一週間後のことだった。

「おはよう、ハン」
「あ...」

目を覚ました時にいたのは、マントを外した青年だった。素敵な面の男性とこんな近くで話すのは初めてだったので、ぼうっとする意識の中でも、ハンは照れてしまった。

「どうだ、水を飲むか」
「は、い...」

久しぶりに目の中に光を取り込んだので、部屋の中がとても眩しく感じた。言われるままに、口元に近づいた吸飲みを咥え、水を喉へ通した。吸飲みの中の水がなくなるまで全て飲み干した。

「...新しい水を入れよう」

青年は口元を少し綻ばせ、水差しから吸飲みへ水を移した。
これを何度か繰り返し、ようやくハンの喉の渇きは落ち着いた。久しぶりに飲む水は本当に美味しくて、体が喜ぶ感覚にさえ気付くほどだった。

「ハン、どうやってドームに入ったか教えてくれるか?」
「...武器格納庫の仕分け作業員で働きながら、情報を盗んだんです」
「盗んだ?」
「はい...上司の元に届いた会員証を盗みました」
「そうか...上司はどうやって手に入れたか知ってるか?」
「...一定の役職以上になると入れる館があるみたいで、そこで情報が出回っているみたいです」
「そうか...教えてくれて、ありがとう」

青年の興味はドームのことだけだった為、ハンは寂しくも感じた。男性と結婚するなら、目の前にいる青年のような人がいい、と少しうっとりした瞳で青年を見た。
すると青年はにこっと微笑み、

「そうだ、ハン。お母さんが来てるぞ」
「え...?」

期待した答えが返ってこなかった以上に、母親がここに来ているということに驚いた。
どうして、なぜ?
思わずパニックになってしまった。

「女の勘は本当に凄いな。お母さんが行動しなければ、私たちは君を助けられなかった」
「え...?」

青年の話によると、たまたま休息で立ち寄った村で随分と痩せこけた女性に助けて欲しいと懇願されたらしい。
女性はここ最近、娘が巨漢で不潔な男に犯されそうになる夢を見る、それはとても大きな丸い建物の中で起こる、と。
娘がどうしているか不安から見る夢ではなく、実際に起こるものだから、助けて欲しい、虚言だったなら殺してくれていい、と...
青年はその女性の話を信じて、ドームまでやってきたと言う。

「おかあ、さん...」

この話を聞いたハンは、両手で顔を覆い、ベッドの上で小さく蹲った。
たくさん暴言を吐いたのに...
いつの頃からか、お母さんとも呼ばなくなったのに...
いつだって、あんたの子どもとして生まれたくなかった!となじっていたのに...

「もう大丈夫よ、ハン...泣かないで...」

流れ始めた涙を隠すように、体を小さくしたハンだが、実際に母親の声が聞こえ、抱きしめられたとき...
今まで抑えていた感情が滝のように溢れ出した。

「お母さん...ごめんなさい...ごめんなさい、お母さん...」
「大丈夫よ、ハン...お母さんは分かってるから...」
「ごめんな...い...」

久しぶりに嗅いだ母親の香り。随分と痩せて小さくなった体。それでもハンの耳に聞こえる声は、まだ幼かった頃、素直に甘えることが出来た頃に聞いた、優しい声のまま...
どんなに乱暴な態度をとっても、それでも愛してくれる母親を、どうしてあたしは邪険にしたのだろう...お母さんの腕の中はこんなにも温かくて安心することを忘れていた...
ハンは母親の腕の中で、久しぶりに泣いた。
子供のように大きな声を出して泣き続けた。母親はそんなハンに、何度も「大丈夫だから、もう大丈夫」と優しく囁いていた。

「母親って、いいね」
「...そうだな」

ハン達をドア越しにそっと覗き見したのは、ルイだった。サクラもルイも、アカリと同様に本当の親を知らずに育った。
サクラとルイは小さな頃から強い魔力を持っていた為、3歳の時既に闇の組織に買われ、生きるために組織の言う通りに動いてきた。
血の繋がりがあろうとなかろうと、それでも一緒に生活し、自分のことを無条件に愛してくれる存在があることが、本当に羨ましかった。

「大丈夫!ルイにはサクラがいるからね!」
「...うん!」

双子の姉サクラは弟の手をぎゅっと握り、安心させるために元気な声で笑った。
そんな小さな二人と母娘を見て、アカリは柔らかく微笑んだ。
また一人、ドームから救出することが出来た。最初は信じられなかった女性の夢見の話だが、どうしても女性が嘘をついているように思えなかったのだ。
夢見とは赤眼などの能力がある者しか見れないものだと思っていたが、娘を強く想う母親ならではの第六感というものが働いたのだろう。
今回の救出作戦では、改めて人間の神秘を感じたのだった。

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