こんな人と恋がしたい

雨の降りしきるあの日の夜。
あなたは何も聞かずに私を家に入れてくれた。
私に暖かな食事を用意してくれて、お風呂も着替えも寝床も全て...
だから私はお礼が必要だと思ったの。

「ねぇ...気持ち良くしてあげるよ」
「...早く寝ろよ、風邪ひくぞ」

裸になって、あなたの眠るソファに行き、あなたの体の上に乗った。
だけどあなたは私をどかして、毛布をかぶせ、早く寝ろと言った。
あなたの言葉になぜか涙が溢れ出した。
眠りに入ったあなたを起こさないように、嗚咽を抑えながらベッドに入った。
止まらない涙、初めての体を渡さないお泊り。
あなたが私に興味がないのか、ただ疲れていただけなのか。
分からないけど、あの夜はただひたすら泣いて、いつの間にか寝入っていた。


あれから三ヶ月。
私は未だにあなたの部屋にお世話になっている。あなたが仕事に行っている間、部屋の掃除や洗濯をして。
食事の準備をして、仕事から帰ったあなたを迎える。
体の関係のない、不思議な同居生活。

「そういえば、今度連休もらえるんだ」
「そうなんだ!珍しいね、いつも誠司さん仕事で忙しいのに」
「ようやく連休の申請が通ったんだよ。大きな案件を成功させたからね。上司からご褒美にって、1週間休ませてもらえることになったんだ」

いつも静かなあなた、誠司さんが今日は微笑みながら食事をして、美味しそうにビールを飲んでいる。
その微笑みがなんだか可愛らしくて、私もつられて笑った。

「良かったね!誠司さん、どこか行きたい所ある?」
「うん、ある」
「どこに行きたいの?」
「遊園地。麻美、行きたがってただろ。一緒に行こう」
「え...?」

誠司さんは2本目のビール缶を飲み干して、私を見た。
ご飯を口へ運ぶ途中だった手元の箸が、思わず止まった。

「麻美さ、テレビで遊園地の特集をする度に目輝かせてたもんな。俺もジェットコースターは嫌いじゃないし、久しぶりにはじけよう」

誠司さんは3本目のビール缶を開けて、満面の笑みでこちらを見た。
その笑顔が眩しくて、すぐに目をそらし、ご飯を口に入れた。
下を向きながら、口を動かす間も誠司さんは続けた。

「ずっと家政婦みたいなことしてもらってたし、外出だってしてないだろ?
三ヶ月も家の中にいたら、どんなに健康な人だって、病気になっちまうからな。
たまのストレス発散だよ」

ごくりごくりとビールを美味しそうに飲みながら、誠司さんは視線をテレビへと移した。
その間も私は顔を上げることが出来ず、下を向いたまま食事を続けていた。
どうしてあなたは、私のことが分かるのだろう?
どうしてあなたは、自分のために休みを使わないのだろう?
どうして...

「麻美?待って、なんで泣いてるの?」

口に入れたご飯を噛みながら、涙が自然と溢れ出していた。
ぽたっぽたっと、食卓の上に落ちていく。
私が泣き出したことに驚いた誠司さんは、少しうろたえながら、私の顔を覗き込んだ。

「どうした?何かあったのか?」

今の時間帯、お気に入りの番組がやっているのに。誠司さんは、テレビの音を小さくして、私に聞く。何かあったのか、と。
些細なことだけど、あなたの全てが私には優しすぎて、眩しすぎて。
溢れ出る涙を止めることが出来ない...

「どうした?」

そう言って、誠司さんは私の目の前に座って、抱きしめた。
男らしくごつごつとした腕に広い胸板。抱きしめられることがこんなにも気持ちの良いことだったなんて...改めて思った。

「どうして、私を追い出さないの?」
「え?」

誠司さんの腕の中で落ち着きを取り戻した私は、視線を下ろしたまま聞いた。
今まで、私が一番聞きたかったこと。

「私がどこの誰かも知らないのに、どうしていつまでも家に置いてくれるの?
私、家事も上手にできないし、仕事もしてないし、誠司さんの彼女でもなんでもない、ただの赤の他人なのに...どうしてそんなに優しくしてくれるの?!」

落ち着いたと思ったら、また感情が盛り上がって、泣き出してしまった。
誠司さんの顔を見ることが出来ない。私はまだ俯いたまま。

「俺な、両親に捨てられたんだ」
「え...?」

思わず顔を上げた。聞こえた言葉が信じられなくて。
でも、誠司さんは嘘をついていないと思った...ただの直感だけど。

「10歳の頃、両親に知らない町に置き去りにされてさ、当時は携帯電話も持ってないし、お金もないしで、どこに行けばいいか分からなくて。
その日は土砂降りだったから、とにかく屋根のある所に逃げ込んだんだよ。
逃げ込んだ屋根のある場所が、今の俺の育ての親の家だったんだ」

誠司さんはビールを飲みながら笑っていた。昔の辛い過去を話しているはずなのに、どうしてこんなに平然としていられるのだろう。

「育ての親は本当にお人好しで、困っている人を何が何でも助けるっていう人達でさ。赤の他人の俺を、本当の子供のように叱ってくれて、育ててくれて。
そんな親を見て、俺も決めてたんだ。もし困っている人を見たら、助けようって」

だから...こんな私に優しくしてくれたんだ。育てのご両親のお陰で、誠司さんは優しい人になって、だからこそ、こんな馬鹿な私と暮らしてくれているんだ。
ただ私は家に帰りたくなくて、夜道をフラフラしていただけなのに。
事情を聞かずに住まわせてくれて、ご飯まで食べさせてもらって...

「誠司さん...優しすぎるよ...」

優しすぎる。たとえ、誠司さんの生い立ちがそうであったとしても。赤の他人を住まわせるなんて、お人好しすぎる...

「俺は優しくないよ」
「え...?」

誠司さんの腕の中から離れて話を聞いていた。だけどもう一度、腕の中に戻された。今度はもっと、力強く。
誠司さんの唇が額に、頰に触れていく。
そして、私の顎をぐいっと上げて、しっかりと瞳を見つめた。

「俺は男だから、麻美を抱きたいってずっと思ってたよ」
「誠司さん...」

どれくらいの間、見つめ合っていたのだろうか。
誠司さんの切れ長の目、柔らかな黒髪。私を見つめる瞳の奥で、興奮しているのを感じる。
私は誠司さんとならいいと思っていた。
このまま、ただの同居人ではなくていずれ彼氏彼女の関係になれたなら...って思っていた。
だから、私は目を閉じた。このまま、キスをされてもいいように。

「悪い、麻美。俺、酔っ払ってるわ。シャワー浴びてくる」

誠司さんは、抱きしめる腕を解いて、バスルームへ向かった。
私は一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。どうして止めたのか?
今にもキスが始まりそうな雰囲気だったのに。
私を抱きたいと思ってたって言ったよね?
なのにどうして...?


少し放心した後、私は食事を再開させた。
さっき起きたことは忘れた方が良いのか?
私の火照った体はどうしてくれるのか?
頭の中がぐるぐると迷宮入りしそうになった所で、思わず立ち上がった。

「誠司さん!私を抱いて!」
「え?」

服を全て脱いで、バスルームに飛び込んだ。
私も誠司さんに抱かれたい、そう思ってた。一緒に暮らした三ヶ月、誠司さんの優しさに触れて、こんなにも素敵な男の人がこの世にいるとは思いもしなかった。
私の目の前に現れるなんて考えてもいなかった。

「麻美...」

濡れた髪の毛をかきあげ、驚いた表情を見せる。

「私も、誠司さんに抱かれたい」
「...ごめん、俺、酔っ払ってたから。忘れてくれ」
「いやだよ...誠司さんと一緒に住み始めて、こんなに優しくしてもらったの初めてで。誠司さんが笑ってくれると嬉しくて、だから苦手な家事も頑張ったし...私、誠司さんのことが好きなの!
だからっ...!」

言葉の続きを発することが出来なかったのは、誠司さんの唇と私の唇が重なったから...
シャワーで濡れた体に抱きしめられながら、柔らかな唇で、温かな舌で、濃厚なキス。
ずっと、ずっと、こうしたかった...

「...俺は、ずっと我慢してたんだ。
家に住まわせる代わりに抱かせろなんて言いたくなくて」

誠司さんの唇が離れ、私を抱きしめたまま、静かに口を開いた。

「麻美が初めてうちに来たときも、裸で上に乗ってきて...最初はとんでもない女だって思った。
だけど、一緒に生活するうちに...仕事から疲れて帰ってきた時も、いつも笑顔で迎えてくれて...
料理だっていつも美味いもの作ってくれるし...お前をかまってやれない時も、ワガママ一つ言わずに応援してくれて...
お前がいたから、俺は頑張れたんだ。
麻美がいたから...」

シャワーの音でかき消されないように、誠司さんは私の耳元で話していた。
そして、抱きしめていた腕を少しだけ緩ませて、私を見た。

「俺のことが好きなのか?」

しっかりと見つめてくる、強い瞳。
その目は家で仕事をしている時と同じ、真剣な眼差し。

「誠司さんが好き。ずっと一緒にいたい」

私も真剣に答えた。この気持ちは本当だから。初めて出会った頃とは違う、あなたと一緒に過ごしてきて、本当に心から好きになってしまった。

「俺も麻美が好きだ。お前と一緒にいたい...後悔するなよ?俺は性欲が強いんだからな。壊れても知らねぇぞ...?」
「...壊して。誠司さんになら、壊されてもいい!」

もう、私の目の前にいるのは、いつもの優しい誠司さんではなかった。
私が欲しくてたまらないと、獣のように激しく私を求めてくる。
でもその瞳には嘘がない。
下心で私に好きだと言ったのではないって分かる。
本当に下心があるのなら、あの夜に私を抱いていたはず。
だけど、何もしなかった。何もせず、ただ私を住まわせてくれた。

こんなお人好しな人がいたなんて知らなかった。
こんなにも優しい人がいたなんて知らなかった。
こんなにも人を愛することが出来るということを初めて知った。


「おはよ」

気がつくとベッドの上にいた。
二人とも裸の上に布団をかぶって、私は誠司さんの腕の中で目を覚ました。
先に起きていた誠司さんは、私の目を見て、にこっと微笑んだ。

「可愛い...」

そう囁いて、額に、頰に、唇に...
誠司さんの優しいキスが送られる。
こんな日が来ると思ってなかった。
いつも体だけの関係だったから。心から愛されることがこんなにも気持ちよくて幸せになれるって知らなかった。

「今日は何もしたくねぇな。麻美とずっとゴロゴロしてたい」
「あっ...」

にかっとイタズラな笑みを浮かべたあなたは、私の上に覆いかぶさって、胸の上に顔をうずめた。
子供のように甘える誠司さんが可愛くて、その頭を抱きしめた。
誠司さんの匂い...凄く安心する。

「麻美、ごめん」
「え?」
「興奮してきた...」

私の胸元から顔を上げた誠司さんは、私の唇を奪い始めた。優しく激しい濃厚なキス...
私はされるがままに、あなたを受け入れる。求められることが嬉しくて、いつまでもこの温もりに触れていたい、そう思える。

「好きだよ...」
「私も...」

何度でも何度でも何度でも、抱いて欲しい。
誠司さんの腕の中で死んでも構わない。
狂ってしまったのではないかと思えるほどの愛がここにあった。

ねぇ誠司さん。
ずっと一緒に、おじいちゃんおばあちゃんになってもずっと一緒にいようね...

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