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ほんとうに優しいひとはとても強いひと


そうやって私に八つ当たりすることで、線路に飛び込むことを防げたんならそれでいいかと思う時がしばしばある。

先日、精神的に病んでしまった幼馴染から、自分がこうなってしまったのはあなたのせいだと遠回しだけど、言われてしまった。私の人生終わったと。なんでそんなことを言われたかって、まあ色々あるんだけど、実際のところ私のせいではない。そして彼女の人生は終わった訳ではないし、私に責任はなく、実に理不尽な言いがかりだった。それを本人も十分解っている。それでも誰かのせいにせずにはいられなかったのだろう。

このようなことは初めてではなかったので、私は無言で受け止めることができた。内心冷静ではなかったが、敢えて感情や思考を冷やして、ギリギリのところで泣きそうな気持ちに蓋をした。一歩間違えると、もしかしたら私のせいなのかもしれないと自分を責めそうにもなりそうで。


そんなことをしても何もならない。誰も救われない。彼女のやるせない思いを受け止めることがきっと、私の唯一できることだとも思った、それで我慢した。



私は人から相談を受けたり、話を聞くことがしばしばあるのだが、親身に話を聞いたりアドバイスをし続けた結果、相談者は私に依存したり、前述のような理不尽な八つ当たりをすることがたまにある。思いがけず傷ついたことも昔はあった。家族は私がLINEと睨めっこして返信を考えてるのを見つける度に、また不毛なお節介をしてるの?といつも呆れている。

友達が言うには、このような私のことを優しい、とか精神的に強いとか、プラスに評価してくれることもある。だが、私は優しいのではなく強いのでもなく、そこそこ冷たくて適当なんだと思う。

相手に寄り添っている雰囲気を漂わせながらも、でも結局は自分自身の問題だから、自分でなんとかするしかないんだよと心の隅っこの方で突き放しているというか、冷めた視線も持ち合わせている。もちろん真剣に相手にとって何が最善なのか考えるが、100%自分の全てを注ぎ込んでとかはない。そんなことしたら共倒れしてしまうし。その辺はきっと適当なのだ。だから八つ当たりされても受け流せる。まともに取り合わないことも可能だったりする。


誰かに八つ当たりして、周りのせいにして自己を慰めても、救われないことを知っているからなのかもしれない。どれだけ逃げても弱い自分からは逃げられない。自分が立ち向かうしかない。代わりに戦って解決してくれる者などいないのだから。自分の最大の敵は自分。だが、自分の最大の味方もまた自分である。


そういった一連のことに気がつくのは誰かに何か言われたからとかではなくて、自力で気がつく他ない。だから実際のところ私ができることって何もなくて。とても苦しんでいる姿を眺めながら、うん、でもその苦しみはきっと無駄にならないからね。がんばるんだよと、そっとエールを送る。

相談に乗ったり話を聞くのは別に苦にはならないし、自分もとても苦しい時代があったから、藁にでもすがる思いで私に来てくれているのなら答えたいと私は思う。出口の見えない暗闇の中は本当に孤独で辛いものだから。

眠れない夜に、こんなの死んでしまった方がマシかもしれないと何度考えたことか。あの頃の私と同じような思いをしている人に、少しでも出口の光を感じさせることができるなら、別に私は八つ当たりされてもいいとも思っている。

ただ、たまに辛いんだよね。そこそこ適当な性格だけではスルーできない場面もある。だからやっぱり、もう少し強くなりたいなと思う。真に優しいひとって強いひとだから。

強くなろう。


久しぶりの考え事。

文章を書くことをどうにかして夢に繋げられたらなと思っているのです。 頑張ります!