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夜の散歩

こんばんは。お体にお気をつけくださいね。

noteの入力画面より

こんな言葉を久しく言われていないので、じーんとしました。
ありがとうございます。
もはやnoteと会話しているnoteです。

さて、表題について。
やっぱりどうしても不安になるというか、元気と躁鬱の境目がよく分からない。有り体に言うと自分が正しいのかどうかが分からなくて、いつも迷っている感じがします。
夜なので気持ちを吐露しているというわけでもなく、もっというとSNSだとかnoteとかをやっていて、それがいいことなのかどうかが判別がつかなくて、普段あまり考えすぎないようにはしているけれども、なかなか軌道修正がうまくいかない夜もあるというような。

ずっとおうちにこもっているから気持ちも塞ぎがちになるのかもしれない。

なるべく一日一回は用事を作って外に出かけるようにはしていますが、特に長期休暇があると、私の人生って一体なんだったのだろうという気持ちが強くなります。こんなの錯覚かもしれないけど、まあどうなんだろうか。

今日久しぶりにアナログのノートを書いていて、そう思いました。
全部が全部無駄になっていることはないと思うけれど、なんだか無くてもよかったような、どれが私を構成している一因なのかがたまに見つけられなくなる感じがします。
ちゃんと一部は大切な思い出としてしまってあるけれども、その他は捨ててしまった方がいいような気もする。その取捨選択が上手くできなくて、いつまでも踠いているような状態です。
うーん、こういうのを世間の人はどうやって昇華しているのだろう。
これもまた考えすぎなのかもしれないです。

それで夜の散歩もといドライブをして、今考えている小説の話のプロットなどを考えていたら少しスッキリしたような気もします。
一方で、余計にもやもやしたような気もしています。
私は自分に対して嘘をつきすぎてしまっていて、どれが自分の本心なのかがいまいち分からないところがありますが、それで何が好きなのか嫌いなのかもあやふやになっているんだろうな、ということにもっと早く気がついて欲しかった。

終わり。


そうだけど、やっぱり多分、私は私の書く文章が凄く好きなのだと思います。それは昔から変わらないけれど、何なのだろう。
うーん。
悩みながら寝ます。おやすみなさい。


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