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風景が見え隠れするような、インストゥルメンタル的な音楽を作曲しております。時より、歌詞…

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風景が見え隠れするような、インストゥルメンタル的な音楽を作曲しております。時より、歌詞のないメロディーラインも入れたりします。 新潟県生まれの北海道育ちです。 その他、ボクシングと、サウナが大好きです。 また、群発性頭痛という持病を抱えてます。

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ボクがいた街

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    • また、この音を思い出したこと。

      また、この音を思い出したこと。 この音を思い出したのは、病院のベットの上だった… 先日、出勤途中で倒れてしまい、意識朦朧な状態であった。もともと、群発性頭痛という持病があると診断され、約10年経過していたが、今回のは、時より襲われる頭痛とは明らかに違った。 今回も、数日前から、頭痛を感じてもいたが、感覚は明らかに違っていた。後頭部のあたりが、やけに重かった。倒れた時も、後頭部から頭全体を覆うような耐えられないくらいの重さを抱えて動けなくなった。 なんとか、CTやMRIの検査も、致命的な問題はなく、過労気味な疲れだろうと診断であった。 救急車に2年ぶりくらい乗ることとなり、倒れて、救急車で救急隊の方に、意識が薄い中で運ばれて、約5時間くらいの記憶は薄れている。 昏睡している夢の中で、また、このフレーズが聴こえた。生きていたいだけ。このご時世、明るい未来がなくても、生きていたいだけって。 今住む街の近所の公園の風景、生まれた街、新潟県の親戚と遊んだ公園の風景が夢の中で見えた。 若い頃は、若くして亡くなったロックスター達のように、伝説を残せば別に長生きなんてしたくないとか、本気で思っていた自分がいた。持病を持っていても、訳わからなく倒れても、今は、もう少し、音楽活動も含め、もう少しだけ…生きていたいだけ。https://note.com/saytou/n/n3ea29fa96877

      • 赤いサイコロというチーズケーキ

        会社の同僚の方が、とあるデパートの北海道物産店にて購入されたものを、北海道育ち北見市にもいたんでしたよねと渡された。ありがとうございますと同時に、全く知らなかった。 現状でカーリング女子チームの活躍効果もあり、北見市の有名な土産となっているらしいのだが、ボクが小学校の5年間を過ごした、北見市の街で有名だった土産は、ハッカの菓子とオニオンスープ、北見市とはちょっと違うかもだが、ぽん鱈という魚の珍味的なものであった記憶がある。 何年前ですかね?カーリング女子チームの活躍で、北見市のことを思い出した。 ボクら家族は、札幌市から、北見市に、ボクが小学1年の秋に引っ越し、ボクが小学校6年の夏の時に、また、札幌市に引越した。 ボクは、札幌の新しく住んだ街に馴染めなかった。ボクは、人付き合いが今でも下手くそだが、当時は、もっと下手くそ過ぎて、小学校に馴染めなかった。 教師とも、同級生とも合わず不登校になった。 教師は、学校に来させようと、今考えると、いかにも正義感のある言葉だけを言い、ボクに対しては、どうでもいい感じだったように思い返せる。こいつ面倒臭いなみたいな。 そもそも、今、普通に考えると、授業中の、幼かった自分に対する貴方の言動で、いじめの対象になったと言っても過言でなかった。今、考え直せばと。もちろん、彼は、そんなことを、全く、感じても、思ってもいなかっただろう。 もう少し、北見市で過ごせる時間があったら、どうだったんだろう? 北見市でも、仲のよい友達ができるのも、学校に馴染むのも、かなりの時間がかかった。 最後に担任だった女性の教師は、厳しい方だったが、好きだった。 札幌市の男性教師より、生徒のことを確実に思ってくれていたと思う。 少なくとも、授業中に、厳しいことは言っても、前向きになれる言葉で、他のクラスメイトが、同級生をバカにするようなことは言わなかった。札幌市の教師は、その差ではクソだったと思う。 あの頃は、教師の言うことは正しいと思うこと当たり前と思っていたけど、北見市の教師にはない、生徒への侮辱が札幌市の教師には確実にあったと思い返せる。 北見市の女性教師と、札幌市の男性教師と、どちらと、自分が学べたら幸せだったんだろう、それだけである。 今の自身であれば、札幌市の男性教師にいろいろと、言えたと思うが、当時は幼すぎて何一つ言えなかった。 ただ、引っ越しに対し両親を否定することは、もちろんできない。姉が高校受験も控えていたし、このタイミングと思ったのだろう。 あの当時のボクは、本当に弱かった。 死ぬまでに、もう一度、北見市の街を見たい。ボクが過ごした、本当は引っ越したくはなかったかもしれない北見市三輪の街を。 ボクがいた街。https://note.com/saytou

        • 気がつくと、またか、またか、またと見る夢。

          気がつくと、またか、またか、またと見る夢。 頻繁によく見てしまう夢のひとつに、子供の頃にボクが住んでいた、小学校の頃に約5年間住んだ北見市の家にいる夢、その後に、東京に出るまで住んだ札幌市にあった実家にいる夢を見る。何故かわからないが頻繁に見る。それぞれの家にいた、たわいもなかった、たあいもなかった、ひとときの時間の夢。弟がいて、姉がいて、母がいて、父がいて、自分がいて。正直、両親には迷惑ばかりかけた。 もう、それぞれの家に行っても、他人の家だから入ることはできない、夢で見ているような家の中の風景は、肉眼で見ることができない、現実があるからかもしれない。ただ、夢の中では鮮明に家の中の風景を思い出すように見ている。 それか、ボクにとって、生きてきた大切な時間が流れていたことが、間違いないからかもしれない。 コロナの現実が続く中。北海道の空気を吸いたいと、ふと思う。来年は行けるかな。 ボクがいた街。https://note.com/saytou

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