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サイゼリヤとエレクトラ、そして日曜美術館──ある週末の気づき

週末に本屋さんに出向いたところ、『サイゼリヤの法則』という本が目に飛び込んできました。創業者の正垣泰彦さんがお書きになられて、発売されたばかりの本です。サイゼリヤが好きなので、買って帰りました。


『サイゼリヤの法則』

この本のなかで繰り返し説かれている思いが「人のために生きましょう」ということ。正垣さんはお母さんからこの言葉の真髄を学び、サイゼリヤの経営で実践していきました。そして今日のサイゼリヤの発展の礎を築かれました。

印象に残ったエピソードで、サイゼリヤの第一号店の立地環境のことがありました。八百屋さんとアサリ屋さんの2階で、さして広くなかった第一号店。環境としては決していいとは言えないものでした。けれど正垣さんは、「目の前にあるものが最高のものだ」「すこしでもお客さんに喜んでもらえるようにしよう」と考えを切り替えます。

そして、八百屋さんの野菜を使ったサラダ、アサリ屋さんのアサリを使ったボンゴレというメニューを考案したり、お客さんに喜んでもらうために定価の7割引にしたりして、サイゼリヤを繁盛店に育てていきました。その後も紆余曲折があったそうですが、正垣さんはこの第一号店がこの立地環境でなかったら、その後のサイゼリヤの成長はなかっただろうと振り返っておいでです。

ほかにも正垣さんのお人柄や考えの深さが伝わってくるエピソードが多く書かれており、いますぐにでもサイゼリヤに行きたい!とうずうずしてしまいました。

そして読みながら、近年の自分は自分中心にしか生きていなかったのではないかと思い至り、深く反省していました。

自分中心に育ててしまったエレクトラ

近年の私はエレクトラなど、ソプラノ・ドラマティコの中でも特に重たいレパートリーを育てていました。声の向かう方向に向かっていったというのもありますが、その方向を恣意的に、自分の意思を介在させて選んでいたというのも、無意識のうちに自覚していました。

なぜなら、こうしたレパートリーを歌う歌手はほとんどいないから。争いのきらいな自分にとってのブルーオーシャンはここだ!と思い込み、これらのレパートリーを育てていました。

ただし、これらの役は生半可な覚悟とマテリアルでは歌えないものばかり。私は「歌えなくはない」というレベルであると同時に、こうした役を歌いこなすだけの強靭なメンタルを持ち合わせていませんでした。

それを認めるのが、いやでした。自分の弱さを突きつけられるようで、いやでした。けれど中途半端な欲に目がくらんで、理想を最優先して、自分の資質に目をつむり、突き進んだ先に待っていたのは体調不良。明らかに、「目指す場所はここではないよ」というサインです。

それでも、手放したくなくて必死にしがみついていました。理想としていたレパートリーを育てていくということは、自分が憧れていた世界に近づくための第一歩だと思いこんでいたからです。

逡巡の末、「いまの自分は無理してエレクトラを歌わなくてもいい」と結論づけたとき、気持ちが楽になりました。そして、エレクトラへの偏愛や執着が、いかに自分勝手なものであったか、気がつくきっかけになりました。

『サイゼリヤの法則』を読んで思い至ったのが、この顛末の一部始終です。私はなんて、自分勝手に事を進めようとしてしまったのだろうと反省しました。そして、エレクトラに向き合っていたときには、自分が音楽に向き合うときに大切にしていた感覚を忘れていたということにもあらためて気がついて、反省を深めました。

そして、日曜の夜にテレビを見ていたときに、これらの気づきが深まる言葉と出会いました。

「歌は祈りであり、自分は〈筒〉である」

これは昨日のNHK ETV「日曜美術館」で坂本美雨さんがおっしゃっていた言葉。美雨さん、そのとおりですよね……と頷くと同時に、近年の自分にはその感覚が知らずしらずのうちに少なくなっていたことにも気づき、深く反省しました。

そう、自分にとっては歌は祈りそのもの。私は特定の信仰を持ちませんが、祈るということは幼い頃からとても身近なものでした。東京の実家マンションには仏壇こそありませんでしたが、信心深い祖母が、毎朝炊きたてのごはんと新鮮な水をテレビの上に供えて、手を合わせていました。いつしか、私にとってもそこが祈りの場所となりました。

自分にとっては、歌は自己実現の手段ではなく、祈りなのだ。自分にとってのシンプルな事実であり信念があらためて腑におちたうえで、これまで辿ってきた道筋を見直してみると、その信念に沿ったもの、そうではないものがはっきりと色分けされて見えるようでした。

そして、その信念に沿ったものには追い風が吹いていたけれど、そうでないものには向かい風が吹いていたなということにも気づきました。ここまでくっきりと、色鮮やかに分かれると苦笑するばかりです。

この気づきには、正垣さんのご本がなければ至ることができませんでした。感謝しています。ありがとうございます。まだ道半ばですが、自分なりの思索の道を歩み進めていきたいと願います。

今日は帰り道、サイゼリヤに寄り道しようと思います。ボンゴレビアンコをいただこうと思います。


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