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太った思考との付き合い方

いい年をして、ってフレーズ使わない。と思っているのに、いつもいい年をしてと書き出してしまう。

このままの自分でいいとおもってる。だけど多分変わりたくて、たくさんの情報を取り入れていた。

情報は私の頭の中で散乱して、それをうまく使っているつもりが、それらに操られていたことに昨日のnoteを書いていて気がついた。

情報を取っても使えない。とても頭が悪いようにも思えるが、多分そこに感情やしがらみや色んなものが絡み合って出来上がっているのだろうと思う。文字にすると気持ち悪いが、もちろん得た情報で心が軽くなったり、前に進む情報でもあったわけで。

でも、そんなに情報を取って何がしたいの?そのままの自分だと何が良くないの?あと何がほしいの?通り過ぎる情報、残る情報色々なものがありました。

連ねた文字を見て、この人危なくないか?大丈夫?と思う私がいる。昨日のnoteは、こちら。ヨーガのシャバアーサナをしてるイラストを見つけました。素敵なイラスト書いてくれてありがとう。

さて、痩せたいということと、捌ききれない頭の中の情報。

食べなきゃ痩せない、タンパク質取らないと痩せない、筋トレするなら体重と同じ数字のタンパク質を取らないと、食べてるもので体は作られる、白いものより黒いものなどなど、プロテインは欠かせない、いいとこ取りしてたつもりが何がなんだかわからない。

ダイエットだけではない。インプットのために沢山の本を読み、ここまででいつも終わる。

アウトプットしていかないから、貯まる一方で。このアウトプットということは、自分で使っていないというレベルのことで、他者に発信するほどのことでもない。

子供の時から何事にも頭でっかちな自分。それはずっとそのままだし、月日とともに過剰になっていくように感じる。

昨年気がついた、情報は取るけど行動してないよね、もう入る場所がないくらいにインプットしたもので頭はぐるぐるする。出さないと。

いつかやろうとか、他にいい情報あるかもとか、グスグスと行動せず、と思えばひらめきで動いて失敗する。

ぐるぐるするものをとりあえず脇に置いといて、日々を過ごしてきた。ぐるぐるするものがいても、他のことも普通にできる。けど疲れた。

だからヨーガと瞑想を教室に行ってやる。

クラスは正座によく似たバジュラアーサナという姿勢からはじまるのだが、「骨盤を立ててその上に背骨をのせる感じに」と言われて姿勢を正したら、これまでと違う?
なんと、これまで骨盤を立ててと言われてきたのにお知り突き出す、骨盤をずっと後傾?前傾?していた。あーびっくり!!

これも隙間が空いたからわかったことなのでしょうか?一瞬激しく動揺しました😅


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