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ピンクのカーテン

柔らかくも硬くもない合皮の椅子にボッーと座りながら、総合病院はまるで空港みたいだと思った。

吹き抜けの大きな内装、どこまでも続く大量の座席、目的の診療科へ進む老若男女の患者たち。

自分の行くべき場所を受付で質問し、診療室というゲートへ旅立つ患者には付き添いの家族がそっと寄り添う。

そんな空港、いや総合病院の産科に、今まで大病もせず生きてきた私が2週間から4週間に1度のペースで通院している。

理由は妊娠、お腹に宿った命の安否確認のためだ。もうすぐわたしが呼ばれる番である。

お腹の子は大丈夫なのかという心配はもちろんだが、再びあの診察椅子に座り、下着を脱いで股を開くのかと思うと緊張が走る。

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日々多くの患者を診る医師に対して何を意識しているのだと呆れられるかもしれないが、診察となると私の中のティーンエイジャーがむくむくと顔を出し、恥ずかしさでいっぱいになるのだ。こんなの余裕ですよ〜と平然とした顔をしつつも、心の中はてんやわんや状態である。

あれこれ心配しているうちにわたしの番が呼ばれた。

例の診察椅子に座り足を載せると、自動的に足はパッカーンと開かされ、あっという間にあられもない姿にさせられる。こんなところを見せて申し訳ない...という気持ちと、早く終わってくれという邪念で頭はいっぱいだ。

そんな私のような人間を守ってくれるのが、上半身と下半身を区切るカーテンである。

婦人科に一度は行ったことのある女性にはお馴染みではないだろうか。お腹の上でスルスルと閉じられる例のカーテンだ。

病院によってサイズや形は違うが、このカーテンにはとても助けられている。しっかりと下半身から向こうの世界を遮断できるし、足を広げているときに医師や看護師と目が合うという最悪の状態も回避できる。

だが最近、海外の産婦人科ではカーテンがない方が主流だという話を聞いた。日本の産婦人科においてもカーテンがあるのに使わない(!)ところもあるらしい。(以下のブブさんの漫画を参考にしてほしい)

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引用:https://taikenki.zexybaby.zexy.net/entry/2018/03/02/special1626

薄いピンク色のカーテンの向こう側で、ぼんやり見える医師のシルエットが検査を始めた。わたしは急いで目をつぶり「これはみんながやっている普通のことだ」と自分に言い聞かせる。検査器具のヒヤッとした感触に思わず体が強張るが、先生の「力抜いてね〜」という言葉に「あ、はい」と慌てて返事をする。

お腹の子は大丈夫だろうか?何か変なことは起きていないだろうか?それと一刻も早くこの恥ずかしいポーズを終わらせたい。クリーム色の天井を半目で眺めながら、ドキドキしながら医師の次の言葉を待つ。ピンク色のカーテンの向こうが随分遠くに感じた。

体感にしておよそ数分。主治医は「よしよし、赤ちゃん元気そうだね」とご褒美のような言葉をくれた。すると恥ずかしい気持ちはどこえやら、「本当ですか、よかった!」とプライドのかけらもない黄色い声を出してしまう。

子が元気だとわかった途端、私の恥部は単なる記号のような存在となり、きちんと診察をしてくれた医師に「ありがとう」とハグをしたい衝動に駆られた。

そうやって毎度人としての尊厳や羞恥心、不安感を生贄にしつつ、赤子の安否を確認する。これを出産までの間に何十回も繰り返すのだから、母になるということは等価交換かもしれない。

医師に2、3質問をして検診は終わり、診察室のドアを開けると、そこにはまだたくさんの人々が自分の順番を待っていた。

やはり総合病院は空港のようだ。

皆が自分の順番を待ち、診療室というゲートへ次々と旅立っていく。

ゲートから戻ってきた人々の表情は皆それぞれで、晴れやかな人もいれば悲しみのすべてを煮詰めたような顔をしている人もいる。

それぞれがどんな状況であれ、彼らの向かう足取りの先が、どうか平和で安らげる場所であってほしい。

緊張感から解放され羞恥心を乗り越えた今、気づけばいつもより人に優しくなっている私がいた。さっきまであんなに内心バクバクしていたのに、わたしはなんて単純なのだろう?

2週間後の妊婦検診も、きっと緊張の面持ちで私はここに舞い戻る。その時もどうかお腹の子が元気でありますように。

それを確認することができるのなら、今後もどんな辱めでも受けてたとう。母になるためには、羞恥心や不安感すらも味方につけて、ひたすら進むしかないのだ。

ふぅと大きなため息をつき、足早に人々の合間を通り過ぎる。吹き抜けの天井窓から、夏の日差しが降り注いだ。



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