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おめでとう【2020/6/2】

久しぶりに歩いた。
片道30分の道のり。
其処此処に十薬が咲いていて「一句詠みたいな」と思っているうちに目的地に到着した。
一句のその欠片すら出来上がらなかった。

ケーキ屋はお昼時ということもあってか、それなりに人が入っていた。
ショーケースをじっと眺める間もなく、いちごの乗ったホールケーキを選択。
プレートには「おたんじょうびおめでとう」と、息子氏の名前を入れてもらった。
今日は息子氏の5歳の誕生日。
しかしいざケーキを用意しようとしたら近所のケーキ屋が火曜定休ということで、急遽、遠出してケーキを購入したのだ。

息子氏はケーキに大喜びで、徒労に終わらなくてよかった、と思った。
蠟燭に火をつけ、ハッピーバースデーの歌を歌い、火を吹き消す。
その一連の流れも息子氏は本当に楽しそうで。
ささやかだけれどお祝い出来てよかった、本当に。

正直こんなに喜んでもらえるとは思っていなかったので、ケーキを適当に選んでしまったことを少し後悔した。
息子氏は超偏食で「ケーキはどうせ食べないからなあ」と思い、一番定番のいちごと生クリームのホールケーキを選んだのだ。
極々普通のありふれたケーキを、家族3人で分けて食べる。
平凡かもしれないけれど、幸せを感じる瞬間でもある。

お金を稼げるようになりたいとか、夢を叶えたいとか。
そういう大きな目標ばかりを目指して生きてきた。
その、つもりだった。

けれど、どうだろう。
いざ蓋を開けてみれば、家族と一緒に毎日を過ごせることが何よりの幸せと感じている。らしい。
実は先日、夢を書き出すことで本当の夢を見つけるというワークをやってみたら、そういう結果が出たのだ。
その結果は本当に目から鱗で、でもなんだかストンと腑に落ちた。

今までちぐはぐだったものが、ピタっと収まったような。
ああ、そういうことだったんだな、と。
これはもう、そういうことだったと認めるしかないな、と。

つまり、わたしは小説家とかライターとか俳人とかを目指して生きていたけれど、それより何より根本では「家族と共に生きる」ということを求めていたのだ。
つまりつまり、今までやれ執筆だ〆切だと家族を蔑ろにしていたのは、本末転倒だったというわけだ。

家族を第一に考えつつ、その上で出来る範囲で自分のやりたいことをやる。
そういう生き方にシフトしていくべきなのかもしれない。

わたしは、人間をひとり育て上げるという立派な任務を背負っている。
そんな自覚がようやく湧いてきたように思う。
息子氏5歳の誕生日にようやく、である。
親心というものは子どもに育てられているな、と強く実感した1日だった。


■今日読んだ本


今日もよくできました。
明日ものびのびと生き延びよう。


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