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4月29日(2011年) 震災から再開2試合目、仙台のホーム開幕戦で初黒星

 2011年4月29日(金・祝)、浦和レッズはアウェイ、ユアテックスタジアム仙台でベガルタ仙台とJリーグ第8節を行い、0-1で敗れた。3月11日に発生した東日本大震災で中断していたJリーグが再開して2試合目。震災の被害が最も大きい地域での試合だった。

再開2試合目で被災地へ行くとは

 中断後、リーグ戦の日程やナビスコカップの大会方式が組み直された。いま思えばリーグ戦の「節」も試合順に付け直されるべきだったのではないか。2020年にコロナ禍で中断したときは、そうなっていた。
 この第8節は、第3戦だった。日程が発表されたときは少し複雑な心境だった。日本中が落ち着いてきたからこその再開決定ではあったが、浦和とは比べものにならない大きな打撃を受けた仙台での試合がこんなに早く来るとは。しかもこれが仙台にとってホーム開幕戦となるのだ。

支援物資を仙台に持って行こう

持ち込まれた支援物資を受け付け、整理するサポーター(4月24日、埼スタ)

 しかし決定してからクラブとサポーターは、この遠征を「復興支援」と位置づけ、全力を挙げた。リーグ再開の4月24日、ホームの名古屋グランパス戦にサポーターが支援物資を持ち寄り、それを29日に仙台まで運ぶことにしたのだ。寄せられた物資の受付や整理には大勢のサポーターが当たった。物資は試合日にクラブがバスで仙台まで運んだ。

 レッズ戦がユアスタで行われるのはJ2時代の2000年以来11年ぶりで、遠方アウェイの中でも浦和から行きやすい仙台には、いつも多くのレッズサポーターが駆け付けるが、この日は特別な思いを持って来場したのだろう。ビジターエリアは真っ赤に染まっていた。

レッズにとって11年ぶりのユアスタ
「組長」スタイルではない大槻さん(当時、ベガルタのコーチ)

きょうは「WE ARE Jリーグ」

自衛隊音楽隊の演奏

 自衛隊音楽隊の演奏の中、災害救助、復旧支援の映像が場内のビジョンに流れた。レッズサポーターがアウェイゲームでのイベントを、長時間、整然と受け止め、終了後大きな拍手を送ったのは初めてだったと思う。当然のことではあるが「相手のイベント」ではなく、日本人の式典だととらえていたのだろう。そして被災地は、当面の復旧が何とか終わり、これから本格的な復興が始まることを感じていたに違いない。試合の前後に被害の大きかった地域を訪れたサポーターも少なくなかったようだ。
 タイトルの写真にもあるが、この日「WE ARE」の次は「REDS」でなく「Jリーグ」のゲーフラが掲げられていた。

貴重な経験をした4.29

 試合はレッズが前半40分に失点し、そのまま0-1で敗れた。J1、J2を通じてベガルタ戦初黒星だった。
 レッズの選手たちが相手の状況に忖度したということはなかった。ベガルタの選手たちは最後までよく走っていた。「震災ジャッジ」などと良くない言葉も生まれたが、あのシーズン、ベガルタの選手がホームタウンの人々の力になることを自分たちのモチベーションとして、異様な力を発揮していたことは間違いない。

 2011年は、災害に対する考え方はもちろん、人生観や物の価値観などが変化した年だが、このベガルタ戦はその象徴の一つだったと思う。
 ベガルタのホーム開幕で対戦したことは貴重な体験だった。

この日の先発メンバー

 さて、みなさんは2011年4月29日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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