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【読書録】『ファスト教養』レジー

今日ご紹介する本は、『ファスト教養』(2022年、集英社新書)。副題は、『10分で答えが欲しい人たち』。著者は、レジー氏(regista13)。

レジー氏とは。著者紹介によると、ライター・ブロガー。1981年生まれ。一般企業で事業戦略・マーケティング戦略に関わる仕事に従事する傍ら、日本のポップカルチャーに関する論考を各種媒体で発信している方だ。

Amazonの書籍紹介文に、以下のように記載されている。

【「教養=ビジネスの役に立つ」が生む息苦しさの正体】
社交スキルアップのために古典を読み、名著の内容をYouTubeでチェック、財テクや論破術をインフルエンサーから学び「自分の価値」を上げろ───このような「教養論」がビジネスパーソンの間で広まっている。
その状況を一般企業に勤めながらライターとして活動する著者は「ファスト教養」と名付けた。
「教養」に刺激を取り込んで発信するYouTuber、「稼ぐが勝ち」と言い切る起業家、「スキルアップ」を説くカリスマ、「自己責任」を説く政治家、他人を簡単に「バカ」と分類する論客……2000年代以降にビジネスパーソンから支持されてきた言説を分析し、社会に広まる「息苦しさ」の正体を明らかにする。

暫く前に、何かのきっかけで、「ファスト教養」という言葉を知った。私もその頃、自己責任論や、成功するためにコスパ良く教養を学ぶべしといった論調が、世間に蔓延しているな・・・とおぼろげながら感じていた。だから、「ファストフード」「ファストファッション」と同じような語感で「ファスト教養」と名付けたのは、言いえて妙だと思った。その名付け親のご著書だということで、本書を手に取った。

著者の「レジー」氏については本書を手に取るまで存じ上げなかった。匿名であることや、ペンネームから受けた私の個人的な印象から、本書は、最近のトレンドを追っただけの、軽いタッチの読み物なのではないかと思っていた。しかし、良い意味で期待を裏切られた。

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まず、私が書き留めておきたいと思った箇所は、以下のくだり。

(・・・)ファストフードのように簡単に摂取でき、「ビジネスの役に立つことこそ大事」という画一的な判断に支えられた情報。それが、現代のビジネスパーソンを駆り立てるものの正体である。

P10

(・・・)「ビジネスに役立てられるから(つまり、お金もうけに役立つから)」という動機でいろいろな文化に触れる。その際自分自身がそれを好きかどうかは大事ではないし、だからこそ何かに深く没入するよりは大雑把に「全体」を知ればよい。そうやって手広い知識を持ってビジネスシーンをうまく渡り歩く人こそ、「現代における教養あるビジネスパーソン」である。着実に勢力を広げつつあるそんな考え方を、筆者は「ファスト教養」という言葉で定義する。

P27

(・・・)古き良き教養がファスト教養に押されつつある、というのが昨今の状況に対する見立てである。教養のあり方が「人生」や「存在」と結びつく以上、「人生」や「存在」のあり方を規定する時代の流れが教養というものに対して影響を与える。現在のムードからすると「人生を豊かにする」と「お金儲けをする」はダイレクトにつながりやすく、それゆえファスト教養が「今の時代らしい教養」となるのも無理のない話ではある。

P31

 ビジュアルな情報はあっという間に感覚に入る。脳は瞬時のうちにそれを享受することができるわけですけど、文字言語はイメージと違って、すぐには像が向ばれない。イマジネーションを働かして自分で像をつくり上げなくちゃいけないわけです。実はこれがすごく重要です。効率という意味では非常に悪い。文字から像までには時間的なラグがあって、そこで考えたり想像しないといけない。これはわずかな時間なんですけど、ずれているその間に自分の脳が想像力と思考力を働かせる。そこではじめて言語の運用能力が出てくる。本じゃなくちゃいけない最大の理由がそこにある。それは本以外には考えられません。本はある意味では時代おくれの遅いメディアなんだけど、その遅さのなかに途方もなく重要な精神の形成力がある。

P42で引用されている、小林康夫『教養のためのブックガイド』

 ここまでいくつかのキープレーヤーを紹介しながら論を展開してきたが、大きく共通しているのは「公共との乖離」である。彼らは人々が支え合う社会といったモデルをうっとうしいと否定するかのごとく、個人としてのサバイバルを重視する。

P123

 努力して何かを学ぶこと自体にとがめられる要素は何もない。その成果が金銭的な対価として着実に個人に返ってくる社会のあり方は、一つのあるべき姿ではある。成果を出すために世の中においてニーズのあるスキルに絞って勉強するのは戦略として正しい。それを進めるための効率的なやり方を志向するのは当然で、時にはリスクをとってルールすれすれのチャレンジを行うことも必要かもしれない。
 ただ、「自分が生き残ること」にフォーカスした努力は、周囲に向ける視線を冷淡なものにする。また、本来「学び」というものは「知れば知るほどわからないことが増える」という状態になるのが常であるにもかかわらず、ファスト教養を取り巻く場所においてはどうしてもそういった空気を感じづらい。

P124

(・・・)成果を出すために自分で努力すべきという一般にも受け入れられやすい思想は、行き過ぎると「成果の出ない人は努力していないから救済されないのは当然」という立場につながる(中略)。
 これは言ってみれば、何もかもを自分でコントロールできるという思い上がりに他ならない。成功も失敗も偶然に左右されるし、そもそも努力できる性向を持っているかということ自体も偶然に左右される。そんなふうに思うことで、失敗した人や成果が出ていない人に対する目線も変わってくるはずである。
 マイケル・サンデルは『実力も運のうち』の結びにおいて、「自分の運命が偶然の産物である」と理解することから生まれる謙虚さが「われわれを分断する冷酷な成功の論理から引き返すきっかけとなる」と述べている。「圧倒的な努力」や「強い意志」とは違うところで動いている「偶然」に心を開く。これこそ、ファスト教養と決別するために求められる視点である。

P216-207

(・・・)もしビジネスパーソンにとって教養が必要なのだとしたら、そこに含まれるべきは小銭稼ぎを進めるための考え方ではなく、成功者を正しく支えて評価する受け皿になるためのリテラシーなのかもしれないということである。
 誰もが(中略)スティーブ・ジョブズのような存在(中略)になれるわけではない。ただ、そういった存在を育むには、イノベーターが提示する価値の意味を正確に把握するだけでなくそれに対する深い批評をフィードバックするオーディエンスが必須である。どんな文化においても、アウトプットの質は受け手の質に規定される。革新的な取り組みの意味を理解する一方で適当な仕事に対しては容赦ないダメ出しを返す土壌の一員となることは、仮に突き抜けた個になれなかったとしてもイノベーションを社会全体として生み出す上での重要な役割を果たしていると言える。

P220-221

 ファスト教養の世界に通底する「ビジネスの役に立つ」「コスパ」「自己責任」といった考え方は、徹底して「無駄を省く」方向に人々の行動をいざなう。しかし、自分の狭い基準で「無駄か無駄ではないか」を勝手に判断してしまう人に、本当の意味でのビジネスの成功がもたらされるだろうか。ファスト教養を説く人々が大好きなイノベーションは、むしろそういった出来合いの基準から自由になった人こそ生み出せるのではないだろうか。
 ファスト教養の時代に持つべき考え方は、「お金儲けの役に立たない情報は無駄」というスタンスからひたすら距離を取ることである。それを基本としたうえで、自分の置かれた局面に応じて必要な情報取集も適宜行えばよい。この順番を間違えてはならない。 

P228

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続いて、この本を読んで理解したことと感想をまとめてみる。

まず、ファスト教養を考える鍵になるのは、ビジネスの役に立つ情報をコスパ良く簡単に吸収することが重要だという価値観だ。これをもたらした背景には、新自由主義、競争社会、自己責任論、人生100年時代、AI技術の発達などがある。そういった社会のトレンドのせいで、「成長し続けて生き延びなければいけない」という恐れや強迫観念が、ビジネスパーソンに植え付けられる。それがファスト教養を流行らせていった。

本書では、中田敦彦、メンタリストDaiGo、堀江貴文、ひろゆき、橋下徹、勝間和代などのインフルエンサーたちの発信の例が豊富に挙げられており、なかなか刺激的な発言がたくさん引用されている。これを複雑な思いで読んだ。

ここで名前の挙がっている人々の著作には、私が読んで良いなと思った本もある。過去の読書録では、以下のような本を紹介してきた。

これらの論者に共通するのは、効率的に努力して成長し、成功をつかめ、というメッセージだろう。日本社会に元気がなく、無気力が蔓延しているような現代社会においては、こういったメッセージに鼓舞されてモチベーションを持つことは決して悪くはない。実際、私はこれらの本を読んで大いに良い刺激を受けた。ファスト教養も、今の世の中には必要だと思う。

しかし、ファスト教養や、それを支える価値観が、偶然や運に支えられているということを軽視する傲慢さや、社会における弱者への優しさの欠如に結び付きやすいというのも、また事実だ。さらに、ファスト教養を追求するあまり、個人個人の生き甲斐のための深い教養を学ぶ機会を失ってしまうという副作用もあるだろう。

そこで、ファスト教養を肯定しつつも、ファストでないものは無駄という考え方からは距離を取れ、という著者のメッセージには納得だ。

自分の興味や関心に応じてしっかりと学問や文化に向き合い、新しい発見や偶然の出会いを重ねて世界を広げる。地道で、時間がかかる作業だが、そこから得られるものはマニュアル通りの陳腐なものではなく、個人のオリジナルなものであり、人生の指針となり、常識や他人の意見に支配されず自分の頭で考えることを助けてくれる、一生の財産となるだろう。ファスト教養で得られる広く浅い知識と比べて、はるかに価値あるものだ。

繰り返しになるが、ファスト教養も有用だと思う。ファスト教養を、古き良き教養を得るための手段として使えば良い。文化や知識の探究への入り口として、ファスト教養は役に立つ。難しい名著などに対するとっつきにくさを取り払ってくれる。要約本やYouTubeなどで興味を持てば、そこから原著に当たればよいのだ。また、自分の興味関心を追求するうえで、情報収集の手段として利用するには、ファスト教養は便利だ。ファスト教養の価値観を鵜呑みにせず、批判的な観点を持って、必要な限度で利用すればよいだけだ。

また、傑出したイノベーターのみならず、それを囲む社会の一般の人々にも、イノベーションを評価できるだけの教養が必要だ、という点は、目から鱗だった。そのとおりだと思った。社会全体の批評力が下がると、中長期的に、政治や経済にも悪影響を及ぼす気がしてならない。

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本書のスタイルについては、構成や論旨が明快で読みやすく、好感が持てた。所々で、「この本ではこういうスタンスを取る」という小括がなされていて、何をどう論じていくか予測がつき、分かりやすかった。おそらく、読書が苦手な方でも、迷子になることなく読み通すことができるだろう。著者は、一般企業でビジネス戦略立案に従事されているということだから、きっとロジカルな思考やプレゼンテーションがお得意な方なのだろう。

また、「ファスト教養」だけではなく「古き良き教養」についての手がかりとなる参考文献も豊富だ。さらには、ポップカルチャーにお詳しいだけあり、Mr. Childrenの歌や『花束みたいな恋をした』という映画などからも象徴的なエピソードを引用している。自己の経験談に終始するような自己啓発本が多いなか、そういったものとは異なる、幅広い調査と思考に裏付けられた名著だと感じた。

さらに、著者紹介を読んで驚いたのは、一般企業で会社員をされながら、副業でも成功されていて、この本の発表も副業の一部であることだ。主たる職業を持ち、生活の糧はそちらでしっかりと得ながら、別のところで自分の好きなことを極める。これがまさに、競争社会で生き抜きながら、古き良き教養を深めるロールモデルなのかもしれない。

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この本を読んだ後、複数の家族や親しい友人に、「あなたにとって、教養とは何?」と聞いてみた。答えは千差万別だった。これは、個人の生き方や価値観に関する根源的な問いだ。

私にとって教養とは、と聞かれると、どう答えようか。今のところ、自分の常識では理解できず、私の脳内をかき乱し、考えたことのないことを考えさせてくれるものや、新しい発見の悦びを与えてくれ、未知の世界へ想像の旅に連れて行ってくれるものかな、と思っている。

ファスト教養の罠に陥らないために、多くの人にこの本を読んでほしいと願う(ファスト教養を盲信する人には、本書のメッセージは届かないかもしれないが。)。

ご参考になれば幸いです!

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