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補聴器のウェアラブルデバイスとしての可能性

突然ですが、私は定期健診の聴力検査で右耳の4kHz40dBが聴こえません
音圧レベルを上げてもらうと聴こえるので、その周波数帯の有毛細胞が完全に死んでいるわけではなさそうですが、常にその高さ付近の耳鳴りがしているので、検査音が耳鳴りに埋もれるのです。

どうしてそうなったのか、原因を考えると、大学生時代にライブだったりヘッドフォンだったりで耳を爆音に晒し、かけがえのない絨毛をいじめてしまいました。
あまつさえ、社会人になると軽音部に入って、部室で長時間、ドラマーのキックやスネアを浴び続けたのです。そのドラマーは、メガネを掛けた痩せ型・色白で、一見真面目な文学青年風なのだけど、曲合わせの時間になっても自己練を止めようとしないほどの自己没入系ドラマーでした。そして部室内のポジションが、私の右方向にドラムだったのです。右耳のほうが聴力低下したのはそのせいだと推測しています。

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※写真はイメージです

聴力低下への気付き

私が右耳の異常に気付いたのは、まだ20代の初秋の夜でした。
就寝する際、コオロギの鳴き声がうるさいと妻が言いました。秋の風物詩に対してなんて無粋な、なんて思ったものの、そもそもその鳴き声が聴こえないことに気づきます。

そのとき私は左耳を枕につけて横向きになっていました。左耳が塞がれて右耳でのみ聴いている状態です。体の向きを変えると、コオロギが風流に響きます。つまり左耳が加われば知覚できます。後になって鈴虫ならば右耳でも聴こえることがわかりました。セミも聴こえます。鈴虫やセミの周波数は4kHz程度、コオロギは高いもので5kHz前後だそうです。
虫の知らせなどと言いますが、図らずも4〜5kHzを境目に右耳の感度が落ちている事実を虫たちに知らされることになりました。後天的な感音性難聴に疑いようがありません。普段の日常会話でその自覚がないのは、音声の周波数帯域は0.2kHz~4kHzにすぎないためです。

本来防ぐことのできた失態

さて、どうして私が有毛細胞だの感音性難聴だのと聴覚系専門用語を持ち出して知ったかぶるかというと、大学時代に音響工学を専門としたがゆえのプライドです。そこでは知識として難聴の原因ついても学ぶことがあり、本来その予防においても指導的な立場にならなければいけないわけですから、この状況を寝耳に水などとは言っていられません。むしろ耳を疑いたくなるようなお粗末な失態と言えるでしょう。せっかくの学びも馬耳東風。・・・耳の慣用句はこのくらいにしておきます。

この状況が恥ずべきものと感じる理由がもう一つあります。それは、かなり難聴が進んだ母を持つことです。母は女性の声は比較的聴こえるようですが、私のボソボソとした低い声はほとんど聴こえていないようです。隣でも会話が成り立たず、妻の声帯を介してコミュニケーションをとる始末です。そのような母を横目にしながらも、自分自身の耳を大事にできなかったのです。先人に学ばなければ進歩はないのだから、蛙の子は蛙、などと開き直ってはいけません。

後ろめたさ故に深まる、音への興味・関心

問題が我が身にふりかかってようやく、耳の保護に気を遣うようになりました。ライブを観に行くときには涙を飲んで耳栓し、ヘッドフォンの音量もセーブしています。そして、難聴者に対して配慮された環境設計にも関心を持つようにもなりました。

その視点からすると、救急車のサイレンのデザインは、本来の役割からするとあまりよい選択に思えません。救急車のピーポー音は、960Hzと770Hzを基本周波数とする音を0.6秒ごとに繰り返したものです。その音色は純音(単一周波数のみの音。つまり正弦波)に似ますが、1kHz付近の純音は老人を含む難聴者にとって聴こえの低下が認められる高さです。

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※引用元:公益社団法人 益田市医師会

更には、音の定位(音源の場所の知覚)も一般的に周波数成分が広帯域であるほど知覚に有利です。つまり、救急車の音は高齢者にとって聞こえにくいし、方向に至っては健聴者でもわかりにくい音設計になっています。なお、純音に近い音の場合、人間の耳が左右に対で存在することから避けることが難しい前後誤判断という現象も起きやすいため、救急車の来る方向を前後ろまったく逆に知覚してしまったという経験がある人も少なくないと思います。

そうは言っても、救急車があまりに「聴こえすぎる」音に設計されていたとしたら、病院の側に住む人からのクレームが増えることでしょう。また、我々が長年この音色で慣れてしまっているから、今更変更したときのハレーションの大きさは想像に難くありません。聴こえやすさ、方向のわかりやすさで言えば信号機のスイープ音のような周波数変調音が有利でしょうけど、そのように別の目的で使われている音色と似せるわけにもいきません。今から変えるとなったらおおごとになります。

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ならばそれを逆手に取って、変わらない前提で利用したら良いと思います。車は必ずマイクを装備するようにし、あの特徴的な音を検出したら、警告灯を表示したり、方向やおおよその距離をカーナビに表示するようなシステムを備えるようにしたら良いと思います。検索してみると、それにつながるような研究がとっくにされていました。当然のことです。

こういったアイディアがまだ実現されていないことを思うと、車メーカーがやれること、やるべきことがいかに多いかを考えさせられます。痛ましい事故で多くの犠牲が積み上がってようやく、ブレーキ踏み間違え防止機能や、飲酒運転防止機能などが日の目を見てきましたが、それらは技術的にはもっと早くできたのでは?と思ってしまいます。自動運転よりも先にやるべきことがあるだろうとの思いが禁じえません。

5G+IoTで車も信号機もネットワークに繋がり、センサーで見張られた横断歩道の状況が随時車に連携されたなら、そこに侵入しようとする車を強制的に減速させることもできるのではないでしょうか。暴走自動車の検知や取り締りも容易だし、落ち度のない歩行者が犠牲にならないような抑止策にこそ技術の粋を尽くして欲しいと思います。

補聴器の現状

話を耳に戻しますが、今回取り上げたいのが「補聴器」です。
これに注目するのは、自らの耳に不具合が生じているというからという理由だけでなく、補聴器を構成するDSP、電池、通信といった要素技術の発展が目覚ましい今、そのポテンシャルが大きく開花しそうだと感じるからなのです。

日本人は耳が悪いことを恥と思う風潮があるようで、日本では難聴者1430万人に対して補聴器の普及率がわずか13.5% というデータもあります
欧米先進国が30〜40% ということですから、国民気質的、文化的な要因があるように思えます。眼鏡がファッションとしてフェティシズムの対象になり、黒縁メガネのフレームがむしろ厚くなって存在感を増している現状とはあまりに対照的といえます。

しかし、この補聴器というのは、人間の身体機能を補足するウェアラブルデバイスとして最も自然でかつ有効なものなのではないかと思うのです。

いまいち普及しないウェアラブルデバイスたち

ウェアラブルデバイスといえば、販売終了になったGoogleグラスや、AppleのiWatchなどの製品が思い出されます。

しかし、メガネ型のウェアラブルデバイスは日本人に似合わない上に、いかにもな感じで「イキってるやつ」に見られてしまいます。常に最先端ガジェットを試すレビュアーだったり、超多忙で常に情報に触れていなければならない存在ならかろうじて理解できます。しかし普通の大学生やサラリーマンが街中でつけていたら「もっと大事なことが他にあるだろ」などと余計なイチャモンをつけたくなること請け合いです。もしそんな人が女子高生にでも道を尋ねたものなら「不審なカメラ付きメガネをかけた約170センチの中肉中背」などと「声掛け事案」サイトへの掲載は免れません。

iWatchについても、最初は喜々として使っているAppleファンを見かけましたが、最近はあまり見ません。やはり液晶を使うので充電がこまめに必要だったり、邪魔な厚みがある点が「煩わしい」と指摘されています。そもそも時計すらしない人が増えている中で、ファッションや大人のアイコンとしても価値のある時計とはいかないようです。

とはいえ、時計という形状は不利な点だけではありません。手首に密着していることで心拍数や脈拍を常に測定できるという点は、一定のニーズがあります。ただしそれだけならばフィットネス向けのスマートリストバンドで十分であり、こちらは既に大きな市民権を得ていています。


"ウェアラブルデバイス"として見た補聴器

最近、在宅ワークでの「ながら聞き」のニーズや、音声広告のブランディング効果の高さが注目され、音声配信サービスは群雄割拠状態となっています。そんなムーヴメントもあり、AirPodなどのイヤフォンは「ヒアラブルデバイス」など言われて他のウェアラブルデバイスとは一線を画した価値が再注目されています。その点補聴器はどうでしょうか。

■ 補聴器の「違和感」

まず見た目と装着の違和感ついてはどうでしょう。日本で普及が進まない要因として、耳につけるのが煩わしいとかかっこ悪いというのがあるかもしれませんが、若者なんかは頼まれなくてもairpodsをはじめとしてBluetoothのイヤフォン・ヘッドセットを装着して町を闊歩しています。ソニーのワイヤレスイヤホンの中には、見た目が最新の耳掛け型補聴器そのものといえる製品もあります。

つまり、難聴を患う層である今の高齢者にとっては受け入れ難くても、いずれウォークマン→iPod→スマホと携帯音楽プレーヤーに慣れ親しんだ世代の年齢が高くなったら、「補聴器つけてます感」への忌避はなくなっていくのではないかと思います。

見た目だけでなく、つけているときの圧迫感や自分の声のこもりが嫌だとかそういう違和感への耐性も若い世代ほど高いはずです。音楽の愛好者はおそらく健聴者のまま年齢が進んでもイヤフォン利用をやめないでしょうから、見た目では音楽を聴いているのか補聴器をつけているのかわからなくなるでしょう。
そもそも、以前の製品からイメージされるような大きな耳掛け型だけでなく、最近は超小型の耳穴型(外耳道にすっぽり収まるタイプ)が登場して機能も向上しているので、今後はそれがシェアを伸ばしていくと思います。

■ 補聴器の「電池持ち」

もう一点、ウェアラブルデバイスとして課題となる電池の持ちについてはどうでしょう。交換式の空気電池なら持ちは1週間(ただし補聴機能に限る)。5年コストで金額にすると15,000円という算出があります

補聴器も充電式のシェアが増えていますが、その場合には使い捨て電池と比較してコストがかさんだり、小型化が難しいので耳掛けタイプに形状が限られる上に、毎日充電が必要という点では他のデバイスと同様の課題となりそうです。メガネや時計のように液晶に視覚情報を提示するよりは、音信号処理に特化した低消費電力のDSP処理がメインとなる補聴器のほうが電池持ちが良さそうですが、使用中は絶え間なく処理し続けなければならない点は省エネの余地が限られそうで不利です。

とはいえ、充電電池の技術進歩は目覚ましいので、いずれは補聴器もある程度の価格帯からは耳穴型であっても充電式が主流となり、長時間連続使用にも耐えうるようにになるのではないでしょうか。
(↓昨年、ついに充電式の耳穴型モデルが登場)

補聴器のポテンシャル

生体情報取得

スマートリストバンドの主な装着目的は、心拍数等の生体情報取得です。やはり健康への関心は高いですから、生体情報の取得はウェアラブルデバイスにとって必須でしょう。
その点、日本の企業であるサルーステックが、外耳道から脈拍等の生体情報を取得できることを実証しています。

まだ補聴器に組み込まれての実用化はされていませんが、音楽など可聴周波数帯域の信号とは区別できるようなので、聴力補正処理または音楽再生をしながらでも測定できることになります。もし補聴器にこの機能が搭載されてネットや外部デバイスに情報をアップロードできるようになれば、健康管理や身体異常の発症検知に役立てることができるでしょう。

音楽再生、外部連携

もちろんですが、音楽由来のイヤフォン・ヘッドセットと同様に、娯楽や利便性を目的とした機能を持つことができます。

最近の補聴器はBluetooth接続で音楽・電話が聴けるだけでなく、テレビの音声を補聴器にストリーミングできたり、IFTTTというWEBサービス連携プラットフォームを使ってIoTデバイスを用いた他サービスとの機能連携ができるものもあります(例えば、ドアのインターホンとの連携や、照明器具との連携など)。

つまり、ニーズと価格との兼ね合いの問題さえクリアできたのなら、補聴器はイヤフォンが持つ機能と同等のものが搭載できるのです。
今までのメインターゲットであった高齢者は、スマホを駆使したりIoTのデバイス連携などは考えない人が大多数だったことでしょうけど、上に書いたとおりスマホ世代が補聴器に手を伸ばすとき、「イヤフォンでできたことがなぜできないのか?」と思うはずだし、「どうせ1日中装着するものなら、いろんな目的で使えるものにしたい」と思うのではないでしょうか。

補聴器で音楽を聴くことを考えると、少なくとも「聴こえの良さ」に関しての性能は「音楽専用のイヤフォン」を大きく超えることができるでしょう。
イヤフォンの性能を追求すると行き着くところは「オーダーメイド」です。羽生結弦選手のように自分の耳にフィットするように形状を特注し、自分の好みの音質になるようにエコライザーをかける。人によってはヴォーカルが浮き出て聴こえるようにとか、チェロの音色がまろやかになどとリクエストする。
問題は、個人向けにカスタマイズするほど、測定や成形など専門家の技術を要するため、大量生産の工業製品の価格帯からかけ離れていくことです。歌手が使うイヤモニターも、耳型をとって自分専用にしたものは高価です。

しかし、補聴器の場合は、そもそも個人のフィッティングが欠かせません。難聴の程度や種類、特性が人によって異なるため、周波数特性等の設定を個別に行います。物理的な形状で言えば、耳穴型では個人ごとに耳型を取るのが普通です。つまり、補聴器としての性能適正化のために必要な手間・費用は、そのまま「高音質なイヤフォン」制作に必要なものと重なるのです。

なお、耳型を採る方法は、従来は歯の型採りと同じように外耳道に印象材を注入していましたが、最近は「3D耳型スキャナー」で10分ほどでできるようになってきています。今はまだスキャナーの機械が高いだろうし、対応する補聴器メーカーも限られるなどであまねく省コスト化は少し先の話かもしれませんが、印象材での型採りのような専門技術が不要になれば、専門家の人件費がかからず、値下げが見えてきます。

さて、もし自分専用の耳穴型補聴器を作ることができたのならば、外部プレーヤーのストリーミング音楽に対して自分好みにエコライザーをかけることができるばかりか、理論的にはホールで聴く生演奏の音楽も、自分の外耳の形状から生じる周波数特性を加味した上でフィルターをかけることができます。もっと言えば、後ろからの音はなるべく遮断するとか、横に座っている人の声がうるさいからそれは聴こえないようにする、といった聴力の指向性さえコントロールできることでしょう。
(人間の耳がそういう機能を持たないのは理由があるわけなので、理論的に言えばのお話です)

■ 補聴器で「潜在的な難聴を抑止」

iOS 13では、「ヘルスケア」というメニューでヘッドフォン難聴を抑止する機能が登場し、音楽を「聴かせる側」が耳の健康に対して気を向け始めています

もし補聴器メーカーの知見を音楽プレーヤーとイヤフォンに活かすことができれば、特定レベル以上の音に晒される時間を計測して警告を発したり、耳に「優しい」音に加工したりといったことができるはずです。加齢性難聴を遅らせることができるかもしれません。
また、ノイズキャンセリング処理によって外部からの騒音とみなされる音をキャンセルすることもできるでしょう(一部のオープンフィッティング型を除く)。職業性騒音暴露を減らしながら、会話などの必要な音だけを拾い上げることもできそうです。

前述の車の例のように、身体に危害を生じさせうる機器を制作するメーカーにおいては、技術的に単独で対応しうる限り、それを防止する機能をつけるのは必要な良心に思います。ソニーなどの音響メーカーは補聴器メーカーと提携した上で、健康に末永く音楽が楽しめるような製品を共同開発してほしいと思います。

人の背中を押すものとは

さて、今回は聴覚や補聴器について書いてきましたが、もう一つ言いたいテーマがあります。ここからが大事なので、コーヒーブレーク後で結構なので読んでいただきたい。

このように私が補聴器について興味を持ち、調べ、執念を持って長文を叩けるのは、自分がちょっとだけでも耳に不自由があるためにほかなりません。この先としては、まだアイディアレベルですが、大学の専攻を活かす意味でも、音をテーマにして他の人がやっていないことをはじめてみたいという考えもあります。

誰もが偉人の伝記を1冊は読んでいると思いますが、その人の実績を記録しただけのものを読んでもちっとも面白くありません。その人がどのような経験から何を考え、何を選択したのかという記録こそが読者に対して物事を考えさせたり人生のヒントを与えたりします

そういった選択の拠り所となるのは、何か特定領域で極めて秀でた能力があったならそれを活用すれば成功しやすいかもしれません。実際にそういった偉人もたくさんいるでしょう。
しかし、私もそうですが、凡庸な人であれば、自分自身が否が応でも背負っているもの、とりわけどちらかといえばハンディキャップの部類、ときには不幸かもしれませんが、それがその人の行動を後押しすることが多いと思いますし、それが周囲の人の心も動かすのです。

私の地元の偉人であり伝記の定番とも言える野口英世は、子供のときに囲炉裏で手を火傷し、それを医者に治してもらったことから医師を志します。

私の知人の例を出せば、例えば以前の職場の先輩は、若くして癌を患った経験から「がん患者の為のドライブサービス」をはじめました。

また、ある親戚は、母親を早く亡くした経験から、生前保存した故人の「存在感」をバーチャルに再現するシステムのアイディアを考案し、熱く語ってくれました(詳しくは言えません)。

このような行動原理を何とか言葉にするならば、「極めて属人的な負の状況から生じる前向きな行動」とでも言えましょうか。これをもっと広く解釈すると、「あの人が困っているからこれを開発した」「自分が欲しいけど無かったからこれを作った」というのも近いものがあります。

自己実現のパワーを社会活動に還元できる仕組みが大事

このような行動は、「自己実現欲求」の成就に向けたものに他なりません。
それは「マズローの欲求5段階説」の最上位に位置し、会社の生産性最適化を目指ず組織論の文脈でも頻繁に登場します。しかし、どうしたら従業員の労働に対する動機をこのステージに持っていけるのか。その解は会社ごと、従業員ごとに違うので、世の経営者の多くが苦心しています。
それも当然です。みんなが「あまねく世のため人のため」に働くような聖人であるなら解は見つかるかもしれません。時代が時代ならば、「お国のため」「天皇のため」でもよかったのかもしれません。しかし、今は拠り所を統制されることは少なく、それこそが人権という風潮。そうなった「自己実現欲求」が個人のハンディキャップ、ときにはトラウマなど極めてプライベートなことと深く結びつきやすいのだとしたら、会社の中の人間関係だけでそこまで動機を掘り下げて仕事を最適化することは困難です。

よく、上司は部下とコミュニケーションを頻繁にとるべきとか、ワン・オン・ワンミーティングが効果的とか言われますが、それらは生産性向上に繋がる「働く動機の掘り下げ」が目的の一つと言えます。しかしそんな遠回しなアプローチは限界があります。そもそも入社した後に起きた出来事で強く志向が変わっていたのならその会社ではもはや何をやらせても満足できない可能性があります。

だから、個人の能力発揮と幸福感を最大化するためには、職種も地域も超えて人が動きやすい仕組み、フリーランスや起業もしやすい仕組みを社会で整えないといけないと思うのです。

特にやりたいことが思いつかない人は、とりあえずこれまでどおり会社の指示に沿って働いていれば何か見えてくるかもしれないので、それが必ずしも悪ではありません。そのかわりいざというときに動きやすくはしないといけないのです。
最近、就職や転職のサポート企業では、求職者がどういう興味や関心を持ち、何を重視して働きたいのか、といった内面について職務適性診断のようなシステムを使って数値化し、事前に応募先企業に公開することで、短期での離職を抑止しようとしています。このようなデータや仕組みは特定企業が独占するのではなく、国全体として広く共有されるべきです。企業もそれに基づいてオファーでき、人材を集めることができれば、新しい事業にも挑戦しやすいので革新的なサービスも誕生しやすくなるでしょう。もちろん退職・入社・引越などの周辺手続きも簡単になることが前提ですね。

閉塞感を抱えながらも打開の糸口をつかめず会社の言うがままに自分を殺して仕事を続ける、というスタイルは、本人にとっても国にとっても良いことがありません。それは会社にとっては都合が良いようで、実は生産性低下の元凶であることがバレています。令和ではそんなやり方は即刻やめましょう。


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