「タイムパフォーマンス」を考える

最近、「タイムパフォーマンス」の考え方について、面白い記事を読みました。
それは、タイムパフォーマンスという考え方自体は悪いものではない。しかしタイムパフォーマンスでは得られない価値もある。例えば、5分の動画の感動を重ねても、映画のような120分かけて得る感動には及ばない、というものです。

なるほど、納得です。

実は少し前、自身のSNSで、資格取得の考え方について書きました。最近では、合格までの学習時間をから判断して資格取得を試みる人が増えているのだとか。それによって転職を考えるだそうです。
学習時間を満たして受かるのであれば、そんな資格は誰でも受かりますし、そもそも資格取得は、スタートラインに立ったに過ぎません。
さらに言えば、例えば一定以上の資格は、その能力と責任が問われる職業ですから、そのような気持ちでまともな仕事ができるとは思えませんし、採用されなきのではないでしょうか。

しかし考えてみれば、これも一種のタイムパフォーマンスと言えるかもしれません。

実はこの、資格取得の話を書いたのは、僕自身が質問を受けたからです。少し前ですが、博士号修得までにかかる学習時間をきかれました。
このときは、その人が何を言っているのか理解できず、また周りにいた方がすぐに彼を叱り、僕に謝るという出来事だったので、このときは全く気にかけなかったのですが、後から質問の意図が解り、苦笑してしまいました。

資格取得の話については、あまりにも安直な考えなので話題にする価値もありませんが、共通するのは、タイムパフォーマンスという考え方だと感じました。

記事の意見と同様に、タイムパフォーマンスという考え方が悪いとは思いません。
ダラダラと時間をかけるのは無駄ですし、判断を先送りにして、無為に時間を浪費するのは良くないことです。以前から日本の生産性の低さが問題視されていますが、これは旧来の働き方の意識を、タイムパフォーマンスという観点から改善しなければならないでしょう。
すぐに命に関わるものではありませんが、僕は昨年から、大きな病院で定期的に検査を受けるようになりました。これまで考えたことがありませんでしたが、やはり時間は有限だということを、身を持って感じています。

とは言え、やはりタイムパフォーマンスだけでは得られない、大切なものがあると思います。

以前、あるカード会社が、全世界で「Priceless」というコビーの広告を展開したことがありました。お金で買えない感動などを指したものです。ただし。一定数の人が「price+lesss」と考え、「無価値」と認識してしまったことから、後から「お金で買えないもの」という説明を加えたそうです。

「タイムパフォーマンス」に似た言葉で、「コストパフォーマンス」という言葉がありますが、この広告では、コストでは測れない価値があるというものでした。タイムパフォーマンスにせよ、コストパフォーマンスにせよ、1つの物指しや、1つの視点だけでは、本来の価値は解らないということです。

ところで僕は、タイムパフォーマンスという言葉を聞くと、若い方が言う、一般で使われている意味とは違った意味に感じることがあります。

マーケティングの講義では、「どのような時間を過ごし、どのような感情を獲得するか」ということを重視する必要があると話しています。これ以外にも、経営戦略などで「時間軸」視点を重視していますから、「時間」という言葉を、単に定量的な物差し以外の意味で使っています。
言い方を変えれば、僕の中でのタイムパフォーマンスとは、「いかに充実した時間を過ごしたのか」「その時間の中でどれだけの経験を得たのか」ということになります。
これをもし、既存のタイムパフォーマンスという言葉のように使うのであれば、分母が時間、分子が「経験」になるので、「エクスペリエンスパフォーマンス」ということになるのかもしれません。

マーケティングでは、2010年代に入り、CEM(Customer Experience Management)が重視されるようになりました。日本語では経験価値と表現します。そして近年では時間価値という表現が使われはじめました。ここで言う時間の価値は、タイムパフォーマンスではなく、「どのような時間を過ごすか」です。

時間は全ての人に平等な、定量的な物差しです。しかしその密度は、時間の使い方で変わります。

同じ時間をどれだけ価値のあるものにするのかは、その人次第、たからこそ、表面的なタイムパフォーマンスに惑わされないようにしなければなりません。

そのために必要なのは「人生経験」、エクスペリエンスパフォーマンスです。

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