これからのブランディングを考える

昨年は新型コロナウィルスの影響によって、様々な価値観が否応なく変化を強いられました。その結果、先行きの見えないなかでの判断として、消費者行動も変化を強いられました。

しかしこれらの変化は、僕は新型コロナウィルスの影響dだけではないと考えています。

人の価値観や常識は日々刻々と変化します。とは言え、こうした変化が社会通念として受け入れられるのには時間がかかります。僕は常々、こうした社会通念の変化を「パラダイムシフト」と説明してきました。
このパラダイムシフトは、僕は約25年を必要とすると考えています。文献によっては、50年以上、100年単位という考え方もあります。
これは僕個人の考え方なのですが、例えば自分の研究から考察すると、学術論文で問題として取り上げられている内容が、実社会に反映されるのには、最低でも25年が必要だと考えています。

例を挙げましょう。
数年前から、歩行者信号と車両信号の順序が変わりました。いわゆる「車歩分離」です。
車歩分離という言葉を僕が初めて学んだのは、1997年です。CiNiiで検索すると、古いものは1970年代に、頻出するのは1990年代半ばからです。
こうしたことから、学術の世界で研究されていることが、実際に社会に反映されるのは、最低でも25年以上かかると考えています。

ただし、社会に大きなインパクトが与えられると、このパラダイムシフトが急速に進行します。例えばテクニカルイノベーションや自然災害、社会性度の変革などです。

経営経済学を専門とする僕から見ると、今回のパンテックによる変化の多くは、実は予測された、または求められていた変化が、否応なしに迫られたと感じられるものの方が多いのです。

こうした変化によって、昨年ないし今年は、変化への対応が重要になります。今後どのように変化するのか、昨年末から、特にブランディングについて、いくつか質問を受けましたので、今回はこのテーマについて考えてみたいと思います。

・何をブランディングするのか
単純に「ブランディング」と言っても、捉え方は人それぞれ。一応僕も専門家の端くれですから、曖昧な定義にはウンザリしています。
「ブランディング」については、以前のnoteでも説明したので、細かい話は割愛して、「何を」ブランディングするのかについて考えたいと思います。

そもそも、ブランディングによって、何を確立しようとするのでしょうか?

端的にいえば、消費者の「優先順位」です。
消費者や顧客の選択肢の中で、自社を最優先にすることが目的となります。このとき様々な選択基準が存在するわけですが、上述のパラダイムシフトによって、「価値」の基準が急速に変わりつつあり、ブランディングの考え方も、徐々に変化を迫られていると考えます。

・認識のブランディング
「ブランド」とは何でしょうか。
単純に訳するなら「名前」です。あらゆるものに名前がありますから、全てのものに[ブランド]があります。
しかし多くの人にどのように認識されているかというと別の話になります。僕は「ブランド」とは「認識」であると考えます。ですから、より多くの人に認識してもらう作業が「ブランディング」ということになります。

例を挙げます。
僕はマーケティングの講義で、ブランディングを「究極的な抽象化」と説明しています。例えば学生さんに「穴が空いた棒状の駄菓子って何?」という質問をします。

答は皆さん、想像がつきますね。「うまい棒」です。

そこでもう1つ考えます。

コンビニエンスストアには、多くのPB商品があり、例えばポテトチップスなどもありますが、「うまい棒」は見かけません。何故なら、「うまい棒」のPBを生産・販売しても、その知名度や品質、コストを上回ることができないからです。

つまり、コンビニエンスストアのような大企業でも、「うまい棒」のブランドエクイティを凌駕すことができない競争優位が存在するのです。

これが「認識のブランディング」です。

・意味のブランディング
先に述べたように、一般的にブランディングとは、競争優位を確立するための手段です。言い換えれば、競争優位が成立しないものの「見栄え」を取り繕っても、ブランディングにはなりません。これが「ブランディング=高級品」の根本的な間違いです。

ところが、消費行動の変化によって、これまでのブランドエクイティでは、購買につながる意思決定を促すことが困難になりつつあります。
現状のような、先行きが不透明で、社会不安が広がっている状況では、消費者はよ厳しい選択をします。このとき、最終的な意思決定要因(選択基準)は、製品やサービスの「意味」になります。

企業がその事業を行う「意味」、その製品やサービスを提供する「意味」、製品やサービスを選択・購入、使用する「意味」、製品やサービスがもたらす効用(メリット)の「意味」、その製品やサービスを使用している「意味」といった、様々な「意味」が重要となります。

この「意味」は、近年言われるような「ストーリー」とは、若干異なるおと考えます。
ストーリーがもたらすのが対外的(インスタ映えのような)「共感」であることに対して、ここで言うなれば「意味」は、内的なベネフィット、例えば家族の安全や安心、将来の保証、アイデンティティの確立、自己実現などです。

もちろん、消費サイクルや限界効用、価格、嗜好性などによって異なります。しかし「意味」に価値を見出だす人は、あらゆる選択に「意味」を求めます。そしてこうした「意味」は、より強いブランドエクイティを形成します。

・物事の本質は変わらない
実は、大量生産に基づく消費生活以前は、「ブランド」とは正しく「意味」であったと考えています。

数年前のこと、英国のチャールズ皇太子が、クレリックシャツを着用したことが話題になりました。
クレリックシャツとは、襟や袖口が白い(異なる)Yシャツで、擦りきれやすい部分だけを交換できるものです。現在はデザインの一貫ですが、本来は、シャツを簡単に買い換えられない労働者のためのアイデアですから、これを皇太子が着用することは、本来あり得ないことです。英皇太子が着用することで、1つの製品に異なる意味が加わりました。

また、ジーンズも同じです。
今ではファッションアイコンとして定番です。かく言う僕も普段はほとんどジーンズです。しかし元来は作業服です。大学院、特に博士課程に進学したとき、お年をめした先生から「そろそろ最高学府で学ぶ意味を考えなさい」とお叱りを受けました。
(学ぶ姿勢の問題で、労働者が大学院へ来るなという意味ではありません!、念のため。)

このような「意味」に基づく消費行動が崩れたのは、大量生産、大量消費以降ですから、ほんの4、50年の歴史しかありません。
そもそも人は、「意味」に基づく意思決定をしていたのです。しかし大量生産ん・大量消費や、マスコミュニケーションの発展により、「価値」が変化しました。

現在の状況で、「意味」に基づく消費形態が広がっているのは、何とも皮肉なようにも感じますが、これからの「良識」に基づいて判断する消費に対応するためには、「意味」のブランディングが不可欠になるでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?