変革の本質を考える

先日の講義では、マーケティングで考えなければならない「価値」について説明するために、戦後の20世紀、そして21世紀に入り現在に至るまで、人が求めてきたものは何か、という話をしました。

こうした話をしていると、時々ふと、「あ、あのときから、こんなふうに変わったんだ」などといったことを、あらためて認識させられることがあります。

例えば僕は大学院からパソコンを使い、携帯電話を使い、インターネットを使い、タブレットを使い、スマートフォンを使うようになりました。
何も考えなければ、単に「すごく変化したね」とか「すごく進歩したね」という話で終わってしまいます。

しかし今のマーケティングに重要なことを考えながら、目の前の学生さんに、大切なことを説明しようとすると、彼等が認識していないことを話さなければならないように思います。
例えば、「今の若い人は何でもスマホで」と片付けてしまうと、見落としてしまうことがあるのではないでしょうか。

例えば日本でADSLが開始されたのは1990年代末、家庭でもインターネット回線を利用するようになったのは2000年代に入ってからです。その頃はインターネットはPCで使うものなので、それに伴う制約がありました。
しかしスマートフォンの普及によって、人は常時接続のインターネットを携帯するようになったと言えます。
そうした視点からすると、スマホネイティブと呼ばれる世代からが、本当の意味での「インターネット・ネイティブ」と考えるべきかもしれません。

学生さんに、「例えば学校や家など、パソコンのある場所でしかインターネットが使えない」という状況を考えてもらうと、その答えが面白い分、逆にこの変化を一層理解できます。

そう言えば、僕が大学に勤務してすぐのこと。
ある会議中に、スケジュールや辞書など、携帯電話の様々な機能を使っていると、60代後半の先生がこう仰いました。

「今の若い子は、、、あら、違うのよ、今の若い方は携帯電話で色々なことができるのね。」

あのときの先生は、明らかに「若い子」と言いましたが、まあ60代後半から見れば、30歳前なんて子供と言われて当然。
他の先生の中には、面と向かって「今の若いのは全く」と言う方がいたから、かなりお優しいかと。

この話を思い出したのには理由があります。

確かこのときの先生は名の通った政治学の先生でした。
この先生すら、若いのが会議で携帯電話を使う姿を見て、サラッと「時代の変化」と捉えたのだから、僕がどのように時代が変化しているのかについて、すぐに思い至らなかったことの言い訳になるだろうかと。

とは言え、やはり今社会が劇的に変化し始めたことは事実で、「今の若い子」と口にする人が、その変化を「理解」とはいかなくても、どれだけ「感じて」いるかは疑問に感じます。

たまにアンドロイドの横顔のような画像を掲載して、文章生成AIの使い方というビジネス広告を見ると、さすがにステレオタイプにもほどがあると辟易しますが。

映画『AI』や『アイ・ロボット』が公開されたのは2000年代初頭のことで、既に隔世の感があります。学生さん達は作品自体を知らないのだから、AIについての認識も全く違うはず。

彼等に過去の歴史を語るのは、決して不便な時代の滑稽さを語るためではなく、これからの社会について考えてもらうためです。

今、何人もの著名な哲学者が、活版印刷以来の大変革が始まったと述べています。
これを理解するためには、やはり歴史を「理解」しなければなりません。

活版印刷によって、世界はどのように変わったのか。情報という視点から考えるなら、20世紀にはどう変わったのか、インターネットの普及によってどう変わっのか、というように、それぞれの変革で、‘本質的’に何が変わったのかを考える必要があります。

このような変化の本質を理解することで、今、本質的に何が変革しようとしているのか、これからの社会がどのようになるべきなのかを考えることができます。

大変革の時代だからこそ、本当の意味で、物事の本質を見る必要があるかと思います。

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