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今は地方迷走時代?

戦後、日本の主要産業が重化学工業への路線を明確にし、地方でも積極的な工業配置によって全国的工業開発振興に取り組まれていた。この時の地方の資源とされたのは用地、用水、労働力であり、開発のための資源は海外資源に依存していた。

この時期は工業地帯と後発地域との所得格差が大きく、工場を誘致して地域格差を是正することが今でいう地域活性化というものであった。

その後、不況に陥り国土計画の見直しが行われた。国は巨額の財政赤字を余儀なくされ、地域開発の根幹をなる国土開発の全てを国が面倒を見るという体制をとり続けることが困難となった。そのため、「地方の時代」という言葉が流行し、地方の自主性、自立性が強調されることとなった。

地方の自立性を活発にさせたのは「一村一品運動」「自ら考え自ら行う地域づくり産業(ふるさと創生事業)」であり、地域における多様な歴史、伝統、文化、産業等をいかし、独創的、個性的な地域づくりが行われた。土地や労働力ではなく、地域の持つ特徴が地域資源となった。

地域開発の遅れた地域を全国並みに引き上げるのではなく、地域が自ら自立することによって国に貢献せよと地域開発の指針が変貌した。

そして、今に至る。

高齢化、人口減少は止まらず、地方行政の財政は逼迫している。自立は全ての地域が出来るわけではなく、自立することが出来れば"成功"と言われる。
地域の地域づくりを成功、失敗の評価でしているのは地域づくりが地域ごとの個人戦のようになっており、国を支えるために必要な役割を分担し、担うという意識が欠如しているのかもしれない。

現代は全国において都市型の生活様式となっており、暮らし、食べ物に大きな差はなくなってきている。だからこそ、全体で高レベルを求めており、食糧生産、工業、市場等の役割が曖昧となり、必要かどうかではなく社会的にどう評価されるかで重要と感じるものに差をつけてしまっているのかもしれない。これでは、地域の自立どころか、海外に依存し続ける国自体も自立が出来ていないのではないだろうか。

また、地域の人口減少についてこんな意見がある。

「人口減少は本当に克服すべき課題なのか」

いわゆる「むらおさめ」も地域の選択肢として前向きに捉えてもいいのではないかということである。
重要なのは住民が生き生きと暮らすことであり、必ずしも地域を残すことが美学ではない。

だが、人がその場所で暮らすのは豊かに暮らすことだけが目的ではない。人が地域に手を入れなければ災害被害のリスクを高めること、野生動物との棲み分けができなくなることなど国土保全の意味でも重要である。
近年都市部にも野生動物の出現が話題になり、人に怪我をさせる例もある。

また、むらおさめをして合併すると、役場の目が届きづらくなる。小さな単位で社会、地域が存在するというのは行政との距離、地域の環境監視においても必要なことである。

そして、人。
中央依存体質の中生きてきた人から、自立的にしなければならないと考える人まで考え方は様々である。また、その中で本当に地域づくりについて学んできた人はどのくらいいるのだろうか。町議会は老人の小遣い稼ぎなんて言われてね。

地方の活性化無くして国全体の活性化はありえない。
地方地域は自立を求められているけれど、自立に関する認識に相違はないだろうか。

考え方は多様化する一方で、それぞれが答えを持ち始めている。
そんな中で1本、目指すべき道が見えないと繋がる線も繋がらない。

こんな地方が迷走する時代をどう乗り越えるのだろうか。

って研究してます。
もっと考えを深めたいので、コメント頂けると嬉しいです。

読んでいただき、ありがとうございました。



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