見出し画像

太宰治『畜犬談』読書会 (2022.7.22)

2022.7.22に行った太宰治『畜犬談』読書会のもようです。

メルマガ読者さんの感想文はこちら

青空文庫 太宰治 『畜犬談』

朗読しました。


『世間の隘路』


宮崎県の椎葉村で、猟友会が猪を狩っている昔の映像を見た。(昔のNHK特集の再放送 『椎葉・山物語』

10匹ばかりの犬が、谷あいまでオスの若猪を追い詰めたのだが、反撃されて、2匹が瀕死の重傷を負い、何匹かが、怪我をしていた。雑種の駄犬とはいえ、向こう見ずな勇敢さがあるものだと思った。

勇敢な犬たちを見ていて、フォークナーの『熊』という短編小説を思い出した。伝説の大熊を狩に行く話である。猟犬たちは熊と勇敢に戦い、殺されていく。代々、山奥で自立して生きてきた村人たちの強い意志を感じた。

さて、『畜犬談』である。

読了後に、なんとはなしに、『姥捨』を思い出した。『姥捨』は、男が、浮気した妻と水上温泉に心中に行く話だった、

妻との心中を、ペットでも捨てに行くかのように描いていた。よくよく読めば、妻をペット扱いしているような気がして、私には、違和感が残った。

『畜犬談』は、まさに、皮膚病を患ったペットの犬を引っ越しにあたって、殺そうという話である。
その犬は、主人公が、飼いたくて飼った犬ではない。行きずりの腐れ縁でたまたま飼っただけである
それも、主人公の煮え切らない中途半端な優しさからできた腐れ縁である。

想像するに、太宰は寄ってくる女性にも、万事この態度で接したのだろう。
自分の優しさにほだされてずるずる女性と関係を持って、捨てるに捨てられず、心中未遂を繰り返したのだろう。

『畜犬談』の皮膚病を患った犬と、『姥捨』の浮気して薄汚れた妻と、同じではないか。

捨てるに捨てられない、懊悩。

『弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、最高の目的なんだ』

弱者というのは、中途半端に他のものに優しくして、苦労を背負い込む。だけど、救いきれる強さも、決断力も判断力も足りないのである。おのれの手に余れば、逃げてしまう。そして、自分の無力に凹み、傷つく。
だから、世間では生きづらい。
そういう性格の弱い人たちの同伴者であること。
それが「芸術の出発で、目的だ」と太宰が言っている。

そうかも知れん。しかし、そう決めてしまえば、ますます世間の隘路に迷い込むという気がした。


ニーチェならば、芸術は、強者のものだというだろう。それは、世間の隘路を打ち破り、新たな道を切り開くから。


弱者救済のキリスト教が、結局、弱者のルサンチマンだとニーチェが批判するのは、その意味だ。

(おわり)


読書会の模様です。




この記事が参加している募集

読書感想文

お志有難うございます。