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「本を読ませる」という教育

うちの会社は月に数万円分の本を買う。
スタッフと近場の本屋にてくてく歩き、30分くらいで欲しい本全部持ってきてくださいといって各自解散。それぞれ持ち寄って丸っとお会計。
年間で考えると本に関わる出費がすごい。税理士にも突っ込まれる。
厳密にいうと飲み会の経費の方が突っ込まれるけど。

なぜ僕らの会社が本に糸目をつけずにお金を突っ込むかというと僕の幼少期の経験がある。


我が家はいかつめな父がいる。とても厳しく強い親父という感じだ。
仕事は自衛官。そんな対岸な仕事をしてる父親の祖父は本の虫のような人で毎日何かを読んでいた。嘘か本当か、ある図書館の本を全部読んだ人だと言われていた。いかつめな父は、そんな祖父に育てられている。父も小説をよく読む方だった。その風景を見ていると僕も弟も本を読む子に育つ。

我が家のマイルールは本屋に行くと「漫画じゃなければ何でも買って良い」というものだった。子供ながらに漫画欲しいと思いながらも、何か買ってくれるならと小説なんかを物色して面白そうなものを発掘していた。そして本の世界に魅了されていく。親の出費としても1000円くらいする本より500円の漫画の方が家計を抑えれるはずなのに、そうしなかった。

ある時であったのが「はてしない物語」という本。映画「ネバーエンディングストーリー」の原作だ。分厚い本だった。それがどうしても欲しくて2000円くらいする本を手に入れた。それが心底面白かった。まるで映画の中にいるような感覚を今でも覚えている。本作がそういう内容だったというのもある。バスチアンと大冒険を繰り広げ、気づけばあっという間に分厚い本を読了していた。その冒険は僕の人生に大きな影響を与えている。


本は先生だ。
あるとき、それに気づいた。バスケットのやり方の本には綺麗なシュートの仕方が載っている。コーチはたくさんの部員全てにコーチングするのは難しい。でも、本という先生は一対一の関係だ。料理の本だって、ビジネスマナーの本だって、小説だって、全部が何かの先生になる。

僕らの会社は少人数だ。その割、仕事の数はそれなりにあって、スタッフのコーチングに充てる時間は他社より少ない。現場で覚えるしかない仕事だらけというのもあるが、ここの手の届かないところを本という先生に任せている。だから、本への出費は厭わない。そんな考え方だ。


そして、本屋は僕らの倉庫である。
今はまだ必要のない知識を預けていると考えている。
その管理コストをお支払いしている。こういう先生=本ないですか?と聞くと引っ張り出してくれる僕らの巨大な知識の倉庫が本屋さんなのだ。

本を通じて、僕も学ぶし、新卒も、中途も、子供もまなぶ。
何か自分にないものを手にしようとしてる人は年齢なんて関係ない。みんな1年生だ。そういう僕らに本という先生は対等に一対一で向き合ってくれる。
だから今日も本を読む。黙々と本を読む。

経営を学ぶために経営本を。
会計を学ぶために会計本を。
持続可能性ある社会を知るためにSDGs本を。
ストーリーを学ぶために漫画を。
人生を学ぶために小説を。

本は僕らの先生なのだ。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。