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不安は全て可能性のタネ

「もっと頑張ろう」と思わせてくれる人が周りにたくさんいる。
僕とは違う才能の人たちばかりだけれど、努力の重さを想像すると今の自分より多くの時間をそれに賭している。背筋が伸びる。

不安やわからないことなんて誰にだってある。
それが自身の経営となると、もう逆にそういうものしかない。
純粋に作ることだけに向き合えればいいなとずっと思っていたけれど、これはただの逃げだなと痛感した。

純粋に作ることだけに向き合えるような環境を作るには、その環境づくりという今まで手をつけずわからないと逃げていたことにしっかりと向き合わなければいけない。食べてもいない食材を嫌いと言って食べない子供と変わらないではないかと、自分で自分をダサいなと気付いた。

これまで色々な不安に突っ込んでいた。それは全て仕事の中においてだった。誰もアイデアの作り方を教えてくれない現場で、自力でがむしゃらにアイデアを書き続け、いいアイデアの勘所を掴んでいった。
見たこともない大型案件もやるしかないと、ひたすらゴールだけみてガムシャラに働いた。なんだったら子供の時に、はじめて自転車に乗ったり、スキーやスノーボードをしたり、その度に失敗があり、悔しい思いもし、それでもできるようになっていたじゃないか。

ただ怖かっただけで大人になった今の方が賢く見て見ぬふりをしているだけだ。なんてダサいんだ俺と思う。初めての不安にビビって避けて通っているだけ。これまでの状況とは環境が違う。多くの新しいことや不安なことが増える。でも、思い出せ。全ての初めてのことは今どうなった?僕を貶めたか?

いや違う。全てが可能性に変わっていった。
あの時始めた挑戦が不安の壁を突き抜けて、新しい可能性の花を開いていた。つまり、不安の全ては可能性なんだ。おどろおどろしいものに見えてるかもしれないがわからないベールを拭い去るとキラキラした可能性がそこにあるんだ。

ふと周りに見ると不安なことが多い。
そうか、これが全て自分の可能性か。
もう一度、何度でも、失敗してやろうじゃないか。
もっとよく、最高の存在になってやろう。

知ってるんだ、みんな僕と同じ不安に囲まれてることを
だったら、先に僕が躍り出よう。かっこ悪くてもいい。逃げることだけは絶対にしない。今に見てろよ、俺。

Photo by Akil Mazumder from Pexels

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。